Sunday, December 6, 2009

Dangerous Liaisons: How to Deal with a Drama Queen

From the November 2009 Scientific American Mind


Dangerous Liaisons: How to Deal with a Drama Queen
The damaging theatrics of drama queens may spring from defects etched in the brain. Yet you can limit the havoc they wreak on your life
By Ophelia Austin-Small
http://www.scientificamerican.com/article.cfm?id=dangerous-liaisons

サムに呼び出された。夜の9時だ。泣いている。自分の髪が抜け落ち続けていると信じ込んでいてそこから話は始まった。アシスタントティーチャーとしての仕事は、「愛と喜びで自分を満たしてくれるもの」ではあったものの、お昼休みに上司が自分に不快な一瞥を投げたのは間違いないと彼は思う。それですっかり気分がまいってしまったらしい。そのあと、サムはこの頃つれないと感じていた恋人に電話をかけた。そして、もう捨てられてしまうに違いないという恐怖に苛まれ、職員トイレに閉じこもり、一時間ちかくも泣き続けたのだ。仕事を終えることもままならなかったどころか、他の職員たちは、おかげでトイレが使えなかった。

サムはドラマクイーンだ。日々の出来事に過剰な感情と人の注目を引く大げさなふるまいで反応する人間。このタイプは、恋人とのひどいいさかいの話を2時間もかけてすることで、気の置けないランチを台無しにしてしまう友人であったり、絶えずどんなに自分が失業しそうになっているかとう恐怖にとりつかれ、日々をのりきるのに他人のサポートを必要とする同僚だったりする。ドラマクイーンは些細な出来事へ過剰に反応し、あなたを持ち上げたかと思えば、次の瞬間には、こきおろしたりするのだ。

ドラマクイーンと生活や仕事をともにする。それはすなわち疲弊と撹乱の日々を意味しうる。ドラマクイーンが同僚だった場合、職場での生産性を奪われたり、騒ぎを収めようとするためチームとしての活動がとめられたりすることさえある。もしドラマクイーンと暮らしているならば、非難あるいは芝居じみた謝罪を毎日のように浴びせられ、あなたは怒りや罪悪感や疲労とともに捨て置かれているのかもしれない。他人に対して過激なふるまいをみせるドラマクイーンもいて、自傷行為や自殺をほのめかしたりする。そうした激しい行動が家族や同僚をうつにしたり、不安にしたりするのだ。

科学者たちは解明し始めている、こういった、専門医の助けがなくては治療困難な、破滅的な特性の原因の一部に関して。その状態が最もひどくなり、こういった行動が生活のほとんどの部分まで広がってしまうと、彼または彼女は、人格障害と診断を受けるかもしれない。境界性人格障害の患者は、例えば、極端に興奮しやすく衝動的で、人間関係で頻繁に問題を起こす; ヒステリー性の人格障害患者は、非常に感情的で、異常に同情を求めることから人の気を引こうとする。しかしながら、こういったドラマクィーンと、親密な関係にあったり、そうでなくても付き合いがある場合、いくつかの簡単な方法が彼らの感情の渦に巻き込まれるのを避けるための助けになる可能性がある。

トラウマからドラマへ
何がドラマを促すのだろう? 幼少期のトラウマが一部のケースでは引き金になるかもしれない。ヒューストンの、小児トラウマ研究所の精神分析医であるブルース・ペリー氏は、トラウマを経験した子供たちが、―虐待から自然災害までの― その脳内物質に変化を起こし、それが、脳内の、人を憂鬱にさせたり、刺激に対して過敏にさせたりする領域に影響し、社会の行動様式や、周りの雰囲気を正確に判断できなくさせてしまうことを発見している。

育児放棄もまた1つの要因になりうる、とその分野の専門家たちは考えている。両親や保護者が常に子供の考えや、感情や経験について無視したり、軽く見たり、撥ねつけたりし続けると、その子供は、周囲の気を引くためには劇的な表現が必要なのだと決めてしまうかもしれない―例えば、挑発的な服装をしてみたり、突飛な冒険の話や、危機の話をするほうがいいと考えるのだ。

遺伝子もまた同様に一因である可能性がある。ハーバード・メディカル・スクールの精神分析医ジョン・ガンダーソンらによる2004年の研究によれば、過激な行動は家族を追い込むのだという。ガンダーソンのチームは、他の人格障害患者の血縁者の17%に比べて、BPD患者の血縁者の27%がその障害の問題ある人間関係持つという面を見せたことを発見した。共有される環境的な要因が―つまり、それぞれの子育ての習慣から子供は学ぶのだ―この場合ある役割を担う可能性がある、それでも、ガンダーソンは、今までのところはまだ発見されていない遺伝的変異もまた、家族の中の誰かの愛情や気分の調節を困難にさせるかもしれないという理論をうちたてた。

回路変化
人格の根底をなすものが何であっても、ドラマ・クィーンの脳には冷静な人の脳とは異なる構造が見られる。2007年にウィール・コーネル医科大学の精神分析医であるエミリー・シュターンとその同僚たちは、MRIを用いて脳活動を分析した、14人の健康な人たちと、16人のBPD患者に、否定的な言葉、肯定的な言葉、中間の言葉への反応を求められる作業を行わせて計測した。このBPD患者の脳の前頭葉全部大脳皮質の一部―これは、否定的な言葉に対する反応 (この実験ではボタンを押すこと) を抑制しなければならない場合に、考えや感情反応を制御する領域である―に活動減退が見られた。それ故に、深刻な症状のドラマクィーンたちは、否定的な感情に対する不適切な反応を抑制するための回路が弱いように見られた、つまり感情を表に出そうとするのを自分で止めるのが困難なのだ。ドラマクィーンたちは、そしてまたより激しい感情を持っているのかもしれない:コーネルの研究によると、へんとう体 (感情を司る脳の領域) は、BPDの患者においては異常に活発であった。

このような欠陥のある回路の結果が苦痛の余波を残す。その激高しやすさは、仕事における能率や適合性の障害となり、家庭における安定した幸せな人間関係を阻んでしまう。こんな人と付き合うのは辛いことかもしれない、たとえその大げさな言動を、脳に深く刻み込まれたものとして受け入れることが、数ある方法の中でも特に、自分自身をドラマクイーンから遠ざけ、その影響を軽減する助けになるかもしれないとしても。

ドラマを無害化する
ドラマクイーンへの対処には、計画性、冷静沈着さ、如才なさが必要とされる。

境界線を引いて下さい。対話の長さと、話してもよいと思う話題に制限を設け、その制限についてドラマクイーンに具体的に説明しましょう。本人に直接言って下さい、例えば、「ジェーン、私の席におしゃべりしに来てもいいけど、お昼休みだけよ」と。電話が掛ってきたら、本題の前に前置きしましょう「15分しか話せないわ。」と。

一貫した態度でいることです。会話を引きのばしたり、噂話を広めたり、夕食に誘ったりして、自分のルールを破ってはいけません。そういった些細な過ちは、"ノー"が時として "イエス"を意味するのだと暗示するし、彼または彼女の押しの強い振る舞いを助長する可能性があります。会うことに同意する場合、いずれにせよ、約束は守って下さい。安定しない振る舞いは、ドラマを悪化させるのです。

冷静でいて下さい。自分自身が大げさに反応するのを避けて下さい。"激怒した"や、"完璧な"や、"悲惨な"などのような形容表現は、感情を高ぶらせる傾向があるのです。

言い分を認めて、それから話題を変えましょう。一部始終を話し合いたがる人もいるが、ドラマクイーンにとっては、そういった分析は感情を高めるだけです。彼らの困った事情を認め、その後で、前向きなことに目を向けるよう仕向けて下さい、もしくは、もしできるのであれば、彼または彼女の状態を改善出来るようなものに目を向けるよう手助けして下さい。例えはこんな風に言うのです、「そうね、あなたが困るのは当然だわ、でも、どうすればもっとうまく解決出来るかしら?」

記録をつけて下さい。もし、そのドラマが職場を混乱させるのであれば、全ての厄介な対話を文書化しておいて下さい、日付、時間とその事件の様子を書き留めて下さい。いつか、その問題について、人事課に知らせたくなるかもしれません。

縁を切ることを考えましょう。もしその人との関係が、自分の努力にもかかわらず致命的なものになってしまったら、そこから抜け出す必要があるかもしれません、たとえそれが、新しい仕事を探さなければならなかったり、配偶者との別れを意味するものであったとしても。その人間関係が自分にどんな影響を及ぼしているか、そしてその人間関係を保つことに価値があるのかどうかを知るために、カウンセラーを訪ねたくなるかもしれませんよ。





Saturday, December 5, 2009

How Feng Shui Is Being Discredited in Hong Kong

By Liam Fitzpatrick Monday, Dec. 21, 2009
http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,1946757,00.html











香港人たちは、私自身もそうだが、こと風水に関しては、ある程度の専門知識を好んで用いるものだ。私自身は、他の点においては、実利主義者なので(例えば、実質的なことだけを信用しているというようなことであって、派手な暮らしを、という意味ではない)、中国人の土占いの流儀や、景観や物の配置が幸福な生活に影響を及ぼすのだという考えを話すことは、常に私自身にとっての自己矛盾となってきた。晩餐の席で、私は神秘主義を―それとか、ヨガの空中浮揚とか輪廻転生などを―どんな紅衛兵にも負けないくらい辛らつに、公然と非難しようと思えば出来るし、キリスト教信者から選挙権を剥奪するべきだと断言することも出来る。しかしそれと同様に、招いてくれた主人に向かって、アルネ・ヤコブセンの腰掛がその家の青竜の角で気の流れをせき止めていると、その夜の別れ際に言うことも出来る。私が混血の中国人だという事実が、いつでもそういったことを許してくれるようだ。本当に、風水はナンセンスだが、それは化体説や同毒療法のようなたぐいのものではない。中国全体を取り巻いているナンセンスであり、私が現代の民族的で形のないものとして受け継いだものの中ではよい部分である。It was a superior Chinese nonsense, a righteous part of my fashionably ethnic, intangible heritage.

しかし最近、わたしはそういった理論的な矛盾から立ち直った。その上、私は風水の占い師たちを、軽蔑に値するインチキだと糾弾できる。では、どのようにして確信を持てるようになったかを説明しよう。

夏の間、チャイナチェム・慈善財団・有限会社の陳振聰氏の事件が、香港第一審裁判所で審議されており、年末までには判決が出るだろうといわれている。その概要は:69歳で亡くなった億万長者のニナ・ワン・龔如心(お下げ髪に、ロリータ・ファッションで、リトル・スウィーティ(小甜甜)と呼ばれて返事をする女性)の死の際に、2通の相反する遺言書の提示があったというものだ。1通は、ニナの420億ドルの遺産を、兄弟が運営しているチャイナチェム慈善財団に譲るというもの。もう一通は風水の「導師」であるトニー・陳振聰(彼はニナの愛人だとも言っている)が提示したもので、財産の全てをトニーに遺すと明記されている。裁判中に浮上したのは、トニーがニナに、多額の現金と宝石を香港のあちらこちらの80を越える秘密の場所、風水の流儀で吉兆だと思われる場所に隠すように話たことと、そのお礼として、そしてまた別のいくつかの似たようなアドバイスのお礼として、ニナがトニーに少なくとも2,500万ドルを支払っていたことである。この目を見張るような棚ボタに満足しない卑劣なトニーは、(成り上がり者風なのだ、ちなみに一番上の息子にウェルシー(富)と名付けている)自分にニナの遺産を受け取る権利があると考えている、たとえそのために慈善に使われる分から奪うことになったとしても、彼こそが遺産を手に入れるべきだと考えているのだ。

法廷で、トニーの常習的な愚行が(トニーはかつて、ある元国会議員に「幸運」の代償として2,000ドルを捨てろと言ったことがある)卑劣な彼の報酬に対して、はっきりとした形で浮上した―あまりにも明白になったので、私自身も含めた香港の人たちは、ついに、これまで私たちを縛りつけていた風水というものの呪縛から目を覚ました。トニーは信憑性のある証明1つさえ提示できなかった。ジョセフ・ユというオンタリオ州在住の風水占い師、そんな風に呼ばれている彼は、トニーが殆んど独学だったことを明かし、そのことが、ジョンソン・ラム判事に「これ以上の反対尋問は必要ではない」と言わしめた。

この風水に関する公然の辱めは、それだけではすまなかった。10月に、土地開発業者であるハンダーソン・ランドは、高級マンションの最高級の部屋をその土地の数占いに合わせるために、奇妙な部屋番号を割り当てたことで嘲笑された、数占いに寄れば、6と8は吉兆である。記録的な価格で、68階や88階と呼ばれるメゾネット式の部屋が販売された、実際にはそれぞれ、43階と44階、それから45階と46階だったのだが。程なくして、ブロガーたちが笑い、そしてタブロイド紙がいやらしい目つきを送った事件がおきた、55歳のブルドーザー操縦士が、19歳の少女に、自分は風水の導師だと偽り、2人の接触は少女のモデルの仕事を成功させることを目的とした儀式なのだと言って、9回にわたってセックスをしたことで告発されたものである。もう分かりましたね。風水は単に非科学的なだけではないのだと。悪趣味なのだと。

こういったことは、もちろん、物事をうまく運ぶために風水をかつてないほど奇妙に利用した不信心な主張である。These are, of course, impious assertions to make in a place with some of the most marvelous feng shui ever bestowed. 港がコイ(幸運のシンボルである魚)のような形をしているので香港は恵みの泉なのだ、と考えられている。しなやかな竜が丘の上に住んでおり、そこから流れ出して、限りない幸運の巨大な宝庫の中にある海に集まっていくと言われている気(chi)の流れを鼓舞している。多くの主要な建築物は、周知の通り、風水の法則を忠実に守っている―ある場所では大金をはたいて、エスカレーターの配置を変えたり、また別の場所では、より費用のかかる噴水を設置したりして―気(chi)を外気から取り込んで建物の内部に流し込むのによいように、建物の内部では、その気の流れは、その後、家具で作られる道筋によって導かれるのだ。香港政府観光局は、旅行者に風水見学ツアーを薦めてさえいる、そのツアーでは、行く場所全てに、常に、狂気じみた女相続人や、不安に満ちたコブラや、社会的名士である建築家がいて、ドラゴンの力や、不死鳥の火について話したがっている。だけど、私は、そういった旅行者全員の方を掴んで、激しく揺すって、言って聞かせたい、易経に手を出さないようにと、そして、そういったフライングスターの組み合わせのことは忘れるように言って聞かせたい。あまりにも長い間ずっと、我々は時々やって来る旅行者を、仲間同士を、自分自身もだまし続けてきたのだ。


Read "Ideas How to Keep the Dragons Happy."

Wednesday, November 25, 2009

Protecting Jungles: One Way to Combat Global Warming

http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,1940544,00.html
By Andrew Marshall / Ulu Masen Monday, Nov. 30, 2009












野生の像を追跡するうえで知っておくべき重要なことが2つある、そしてその2つとも、実際にジャングルに行って野生の像を追跡する前に知っておいたほうがいい。1つめは、像は足が速いということ。鬱蒼とした森の中では―今回の場合、インドネシアのアチェ州にある広大なUlu Masen生態系で、ヒルが人々の足元で蠢き、白い手をしたテナガザルが木の上でキーキー鳴いているような場所なのだが―像は鹿よりも速く動けるのだ。2つめは、像は木に登れないということ。これはよいことである、何故ならば、もしも像の群れの1頭から狙われた場合、何をするべきか、これではっきりしたからだ。


あるいは、これは少なくとも、ジャングルのことを熟知した森林警備員たちの助言である、彼らは、この190万エーカー(7,700平方キロメートル)の荒野の一角を巡回している。この警備員たちは、ロンドンに本拠地を置く、フラウナ&フローラ・インターナショナル(FFI)によって、Ulu Masenを、違法な森林伐採者たちや、密猟者たち、つまりそこにある貴重な硬材や豊かな野生生物たちを欲張って狙っている輩から守るよう訓練されている、そこにいる野生生物たちというのは、像や、手長猿、豹、熊、ニシキヘビ、そして穿山甲(センザンコウ)などだ。ここの警備員の仕事は、現代社会とかけ離れているように見えるかもしれないが、Ulu Masenの未開の地をこえたはるか遠くの地と密接なかかわりを持っている―つまり、アフリカやアマゾンのようにインドネシアと並んで、熱帯雨林がまだかろうじて存在している場所から、コペンハーゲンの会議室、数千人の使節たちが来月の歴史的な気候変動に関する会議のために集まってくるだろう場所までと密接な関わりがあるのだ。


緑色の植物は光を利用して、大気中から吸収した二酸化炭素と、それから水とを有機化合物に換える、その副産物として、酸素を生成しながら。この一連の過程は光合成と呼ばれ、Uli Masenのような森を、地球の気候を調節するうえで、重要な役割を担えるようにさせている。森林は、推定3億トンの炭素を蓄えている、これは、全世界における温室効果ガスの年間総排出量の40倍に相当する―炭素の排出は、地球温暖化を引き起こすのだ。森林を破壊すれば、そこにあった炭素を大気中に放出することになる、現代における大きな難題―破滅的な気候変動を避けるという問題―を解決できないものにしてしまう。森林破壊による炭素排出量は、全世界の人間活動による炭素排出量の15%を占めており、これは、車両や航空機全てを含めたものによる炭素排出量よりもはるかに多くなっている。インドネシアにある森林は非常に速い速度で消滅していっている、信じられないことだが、発展途上国であるインドネシアの炭素排出量は、産業大国である中国とアメリカに次いで3番目なのだ。1950年以降、グリーンピースの推定によれば、1億8千200万エーカー(740,000平方キロメートル)を超えるインドネシアの森林が、Ulu Masen95個分を超える広さに相当する森林が破壊されあるいは劣化してきたという。


良いニュースはある、森林を保護することは、”炭素排出に関して得をする最も簡単でお金のかからない方法の1つであるということだ”と、グリーンピースの広報担当者であるダニエル・ケスラー氏は語る。Ulu Masenは、REDDと呼ばれる国連の先駆的な計画のもとで保護される最初の森林のひとつになるだろう―REDDとは、発展途上国における林減少と森林劣化に由来する排出を削減しようとすることである―国連のこのプロジェクトは森林を無傷のまま保つための多額の奨励金を提供する。ここにその仕組みをあげる。Ulu Masenの森林を保護してそのままこれから30年過ぎれば、推算で1億トンの炭素の地球の大気圏への放出を止めることができる―この量は5,000万回のロンドンからシドニーへのフライトによる炭素放出量に相当する。こうして蓄えた炭素量は、何100万ものカーボン・オフセット・クレジットに換えることが出来る、このクレジットは、国連による排出量の削減目標を達成しようとしている、裕福な国や企業に売られる。こうしたクレジットの販売によって生まれた収入は、その後、森林へと再投入されて、その森のすぐ傍で暮らしている集落の生活を改善し、それによって、人々に木々を生かしたまま保たせることへの理由を与えるのだ。言い換えれば、森林は枯らされるよりも、保護されて温室効果ガス排出量を削減するほうがいいということ。

Sunday, November 1, 2009

Hunting for Tuna: The Environmental Peril Grows

http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,1933116,00.html









By Krista Mahr / General Santos City Monday, Nov. 09, 2009
Tuna on sale at Tokyo's Tsukiji market, the biggest fish and seafood wholesaler in the world. Japan consumes some 80% of the 60,000 tons of bluefin caught on average worldwide each year
Atlantide Phototravel / Corbis


ほぼ毎日のように、夜が明けると、ジョン・ヘイツ氏はちょっと恋に落ちたようになる。150ポンドのキハダマグロに身を乗り出している、55歳のアメリカ人で魚の輸出を商売にしている彼は、マグロの、深い眼窩の周りをクルッとなぞるように指さす。「ほら、なんて澄んだ目なんだ」彼は、釣り上げられた時の針のし穴をなぞり、釣り糸でついた胸鰭の下の跡をなぞる。「時々」ヘイツ氏は語る、「いいマグロに会うよ、僕にとっては女よりもよく見えるやつにね。」

ヘイツ氏、ブロンドのイリノイ出身で、色あせた“マウイ&サンズ”のTシャツを着て、二の腕のマグロの刺青を誇らしげに見せている彼は、徹底したマグロ人間である。だから彼は、地球最大のマグロ水揚げ漁港の一つである、フィリピン南部にあるジェネラル・サントス市で生活し働いている。8月の朝6時になれば、埠頭の暑さ(騒々しく、金属音をたて、騒然と飛び交う、1万人もの買い手や売り手、運搬業者や、銀色の肌に鈍らナイフを突き刺す男たち)は、情け容赦ない。漁船の乗組員たちは、デッキ上の影の一角にしゃがみ込み、煙草をくゆらしながら、自分の分け前を待っている。揺れている漁船の船体は、血の混じった氷水にまみれていて、殆どカラになっている、シャーベット状の氷の中にほんの一つか二つのマグロの光る腹が揺れているだけだ。運搬業者たちは、すでに、何千頭ものマグロを肩に担いで、輸入業者のところへ運んでしまった;輸入業者たちは、よく肥えた新鮮なマグロに群がっている、新鮮なマグロの、ぬらぬらとした滑らかな皮はいまだに潮のにおいがしているし、その鱗は、まだ生きていた時のようにほんの少しの黄色い色に光っている。

これが、週にほんの数回しかない、質の良いキハダマグロの水揚げである。ヘイツ氏は、売り手と買い手の間で罵倒や冗談の飛び交う、集まりの中に飛び込んでゆく。品質調査官は、鉄の棒を魚の肉の中に沈め、赤身のサンプルを引き抜き、それを、親指と人差し指の間ですり潰して匂いを調べる。最大で最良のマグロは、卸値でおよそ700ドルになる、それは、洗い、頭を落とし、腸を除き、ドライアイスを入れて梱包されて、10:30のマニラ行きの便に間に合うよう運び去られる。翌日には、東京やシアトル、又はカリフォルニアに届き、翌晩には、その肉が、箸でつまみあげられるのだ。

世界のマグロ取引は、21世紀における酷い狩りである。古代ギリシャ人は、かつて断岸に立ち、マグロの群れが沿岸を通り過ぎるのを待っていた。今日、漁船の群れは、マグロを追いかけて何千マイルもの海の彼方へと行く、ヘリコプターやGPS,音波探知機を使って。1950年には、およそ60万トンのマグロが世界中で捕獲された。昨年、その数値は、600万トンに達した、フィリピンからカナダのプリンス・エドワード島まで追跡した成果である。

いくつかの種類のマグロにとっては、この追跡は続けられなくなってきている。9月に、欧州委員会は、EUは大西洋のクロマグロ国際取引の一時停止を支持するべきだと要請した、クロマグロは、キハダマグロの仲間で大きな種であり、刺身用として喜ばれるので、一頭数万ドルで売れるのだ。

現在の漁獲高から、世界野生動物保護機構が推算したところによると、地中海で産卵する大西洋のクロマグロは、現在生息している海域から、早ければ2012年には消えてしまう可能性がある。しかし、この停止要請はEU加盟国である諸国によって棄却された、ギリシャ、キプロス、マルタ、スペイン、フランスそしてイタリアであるがこれらの国は全てマグロ取引の利害がからんでいる。「この狩猟は容赦がない」と、マイケル・サットン氏は語る、彼は、カリフォルニア州・モンタレー・ベイ水族館にある、海洋の未来センターの副館長である。「マグロは海の、狼、ハイイログマ、ライオン、そして虎なのだ。もし、頂点にいる捕食者がいなくなれば、その生態系はバランスを崩し始める。」陸地では、ライオンや狼などの捕食者の頂点が死に絶えれば、その次にいるヒヒやコヨーテが頭角を現すものだ、食物連鎖を壊して。海でも同じことが起る。大西洋地域の南方クロマグロ生存数は、1950年代以降90%をこえる減少を見せているようで、それは今後も減少し続ける可能性がある、と科学者は考えている。缶詰業者、科学者たち、そしてWWFと協力関係にある国際シーフード維持基金によると、世界中の、19種の、クロマグロを除く商業マグロの生存数のうち、半数は、現在乱獲され、クロマグロと同様のリスクを抱えている。

これは、海にとってばかりでなく、ジョン・ヘイツや何百万人もの他のマグロ類で生計を立てている人たちにとっても悪いニュースである。ジェネラル・サントス社は“フィリピンのマグロの町”というモットーでその名を馳せたそのとき、漁師たちは朝になると出かけて行き、夕暮れ時には2頭か3頭の150ポンドのキハダマグロやメバチマグロを抱えて戻ってくるのだ、その2種類のマグロはクロマグロ同様に、刺身として売れる。現在、そのマグロのうち最も小さなものでさえ、少なくとも2日か3日は洋上にいなければ捕獲できない。この海域は、他の多くの海域と同様、非常に長い間、激しい漁が行われていたのだ。「ジェネラル・サントス社はマグロに一喜一憂している」とヘイツ氏は語る。「今、それもどんどん減ってきている。人々は、しっかり目を覚まさなければならない。」

Wednesday, October 21, 2009

Narita air port-worth long struggle to build?

Narita air port-worth long struggle to build?
Amid Japan slide,Asia rivalries,Haneda starts to make more sense
By Kazuaki Nagata

成田空港-長い闘争や困難を経て建設する価値はあるか

日本の零落、拮抗するアジアの国々、そして今、羽田がいっそう意味を持ち始める

1978年の開港以来、成田国際空港は航空産業において重要な役割を果たしてきた。しかしこの日本の主要国際空港の歴史には収用権をめぐり長期間の政治的紛争が暗い影を落としてきた。戦後の重大な社会的泥沼紛争の舞台のひとつとされ、政府対、地元農家と主として左翼系からなる支援グループとの戦いが繰り広げられてきた。

成田空港は現在、ソウルに近いインチョン国際空港やシンガポールのチャンギ国際空港を含むアジア主要空港間で激化する競争に直面しているのだと専門家たちはいう。

以下は成田国際空港の過去、現在、そしてこれからについてのQ&Aである。

成田空港についての概要

千葉県北部の成田市に位置し、面積は1,125ヘクタール。それぞれ4,000メートル、2,180メートルの二本の滑走路と二つの旅客ターミナルからなる。

2008年では3千300万以上、一日あたり平均91,616人のひとびとが利用した、国際線利用客にとり一番の日本の玄関空港である。

成田はまた主要な貿易空港としても機能している。昨年は206万トンの貨物が成田を通過し、貨物取扱量では世界でも最も利用数の多い空港に数えられる。

成田空港が直面している国際的競争とは何か、また何故か?

取扱貨物量に関して言えば、成田空港は世界でトップであったが、近年、インチョン空港と香港国際空港に追い越された。

アジア各地の多くが、主要空港施設を拡大し世界の中心空港になるべく、戦略的に投資をしてきた。それが収容能力に限界のある成田空港との競争をあおっている。空港施設拡大の流れはまたアジア地域における日本の経済的存在感の低下でもある。

2007年、成田空港の貨物取扱量は220万トン、一方インチョン空港では250万トン、香港空港においては370万トンであった。国際線旅客数では成田空港は7位にランクインしており、香港、チャンギ空港については、それぞれ5位と6位であった。

成田はサービスの質においても、アジアのライバルたちに大きく水をあけられている。

国際空港評議会が2008年に行った調査によると、インチョン空港は2001年に開港し、サービスの質では世界一位に利用客から選ばれた。あとの順位はシンガポール、香港、日本のセントラル空港、そして台北と続く。

政府は成田空港の狭く混雑した施設を拡張することが難しいとみている。それは開港31年を経た今も、地主らからの根強い反発があるためでもある。では、どのような歴史的背景があるのだろうか?

1971年、政府は二度にわたる強制収容を経て、空港用地を公用徴収したため機動隊と反対派の間に武力衝突を引き起こすこととなった。

超左派のグループが土地所有権を守ろうとする農民たちを支援するために集まり、輸送関連機関との長期にわたる闘争へと先導した。

2回目の強制収容時には、3人の警官の死亡、150人以上の負傷者、375人の反対派の逮捕をうむこととなった。

政府側が、開港日を1978年の3月30日に決定すると左翼活動家たちが管制塔を数日にわたり占拠した。この事件により開港は5月に至るまで持ち越されることになった。

1991年になり初めて両サイドは話し合いによる平和的解決を求めることに同意をした。

5人の学識経験者からなる組織が、農民と政府との会談を調整した。

政府側が公式謝罪を行ったのち、反対運動はほぼ終息を迎えた。一方で、闘争を続けた活動家や農民もおり、なかには訴訟にまで発展したケースもあった。

空港運営側は現在短いほうの滑走路を10月までに延長する予定だが、収容力を押し上げることになるだろうか?

収容力の向上は望めるが、大きな変化は期待できない。

2180メーターの滑走路を2500メーターへと拡張する工事が開始された。この工事により、成田の年間取扱量は現在の約20万便から22万便に増えるだろうとされる。

空港運営側は当初第3の滑走路となる横風用滑走路の建設を予定していたが、その計画は流れた。

地域住民とのあつれきという負の遺産を背負うがため、空港側は土地の権利や騒音公害といった問題には細心の注意を払わねばならないのだ。

空港を改善し国際線利用者にとり使い勝手がよくなるよう、政府が考慮しているほかの方策については。

京成電鉄は新しい急行の導入を計画しており、来年には成田と東京都心をたったの36分以内でつなぐことになる。

現在の急行では、都心まで約50分かかり、普通列車を利用した場合はおよそ90分もかかる。

さらに大きな動きとしては、国土交通省が長い間のタブーを破ろうとしていることである。都心にほど近い羽田空港を国際空港に変更しようというものだ。

政府はこれまで長い間羽田空港を国内線の中心空港に、成田空港を国際利用にと指定していた。

政府にとり、主要機能を成田から羽田へと移行することはタブーとされてきた。成田空港の運営に地方自治体と住民が支払わなければならなかった高い政治的代償を考慮してのことだ。

しかし、アジアと世界における日本の経済的地位は下降している。国土交通省はついに政策転換に動きつつあり、最近では羽田空港への国際チャーター便の増便を許可している。

国土交通省の最終的な目標は、羽田空港を完全な国際空港に転向させることだと考えられている。

羽田航空は来年4番目となる滑走路の運営を予定している。これにより、航空交通量は11万便増え、そのうちの6万便は国際便になる予定だ。

Monday, October 19, 2009

What Women Want Now

By NANCY GIBBS
 http://www.time.com/time/specials/packages/article/0,28804,1930277_1930145_1930309,00.html













もしも貴女が、40年前の女性でにこの雑誌を読んでいたとしたら、貴女の夫がこの本を買うためのお金を出した可能性は高いだろう。貴女は夫が投票した候補者に投票しただろうし、もし貴女が乳がんを患っていた場合、乳腺切除手術の同意書にサインするようにと言われるのは貴女の夫だろう。貴女の息子が大学に進学したとしても、娘は進学しないだろう。貴女がもし働いていたとしてだが、上司は、結局のところ、貴女は小遣い稼ぎでしかないだろうと言って、貴女の給料を安くする理由を説明したかもしれない。

ものごとの変化の緩やかさは不思議なもので、我々は、すっかり変わってしまうまでは、その変化に気がつかない。年末までに、歴史上初めて、アメリカの労働者の過半数が女性になるだろうと予測されている ― その主な理由は、不況が男性をあまりに激しく攻撃したからである。これは、一世代の間に起った尋常ではない変化であり、この変化は加速しつつある:労働統計局によれは、成長の分野は、典型的な女性の職業である、たとえば、看護師や小売業や接客業である。より多くの女性たちが、家庭の主要な稼ぎ手になっていたり(およそ40%)、家計にとっての重要な収入を提供している。彼女たちの購買力はこれ以上ないほど高く、― その選択眼は、これ以上ないほど厳しい。

このような背景で、ロックフェラー基金はTIME誌と提携して、個々のアメリカ人がどのように反応するかを調べるために、性差別の問題に関する大々的な調査を行った。性差別の戦いは終わったのだろうか?もしそうだとしたら、誰がかったのだろう?男性たちは、女性の勢力を、いまどんな風に見ているのだろう?どれだけの敵意、戸惑い、あるいは感謝の気持ちがあるだろう?ファミリーライフの形を変えてしまった、そして、経済の形を変え、男女それぞれの役割を新しく作り直してしまう力に対して。そして何が、もしそれが有るとすればだが、全てがうまくいくために、誰もが必要だと賛成するものは何だろう?この調査によってわかったことは、男性も女性も、殆どの人にとって問題なのは何かについて広義で賛同しているということ;過ぎ去ってしまったのは、女性の台頭は男性の犠牲のもとにあったという考え方である。旧経済が終わりを告げ、共働きの増加に圧力をかけると、子供達に及ぶ影響への恐れや、世の中の変化を認めない制度への不満を、人々は分かち合ようになる。現在、我々が闘ってきた戦いは我々を定義付けるものである。

A Quiet Revolution
1972年春、TIME誌は、「女性解放運動」の苦しみの中での女性の地位を評価するために、特別号を発行した。アメリカ社会、がまるで、向う見ずなティーンエイジャーのようにあっという間に変わってしまっているとき、フェミニズムは失速し、行き詰まった。女性の平均収入は確かに男性と比べると安かった;その4年前と比べれば、わずかながら女性の高級官僚がいたが(2%もいないが)。アイゼンハワー政権以降、女性の閣僚はいなかった;FBIや、全国ネットのニュースキャスター、最高裁判所判事にも女性はいなかった。国内の大学は社会的反乱を起こすのに忙しかったが、ハーバードの、421人いる終身在職権付きの教授団にさえ、女性は6人しかいなかった。現代美術館で、過去40年の間に開催された1,000回の個展のうち女性によるものはたった5回だった。ヘッドハンター達は、女性を役員席に着かせるよりもむしろ、男性を月に連れて行くほうが容易いと嘆いた。「ムーブメントなどない」と、全米女性機構が設立された2年後に、その指導者的な役職を退いた活動家は不満を漏らした。「ムーブメントというのは「何かに向かっていく」ものだけど、この活動は何処にも向かっていっていない。未だかつて何も成し遂げられていない。」

それは気難しい誇張表現だった; 目に見えるものよりもむしろ多くの変化が感じられた、希望や期待の変化は、家父長制度の基盤を壊していた。「実際の力に関していえば、(経済的にとか政治的に)我々はまだ始めたばかりなのだ」グロリア・シュテイネンは認めた。「けれど、自覚とか気づき、それは決して同じものにはならないのだ。」

だから、我々が冷戦を終わらせ、多分か社会を構築し、そして史上もっとも長い好景気を謳歌するのに忙しくしていた間にいったい何が起こっていたのかを見る為に立ち止まることは価値がある。スローモーションのようにぎこちない家庭生活を過ごしていると、単にうまくやっていくこと、記念日をチェックし、台所のドアで子供達の身長を測り、そして、ムーブメントを見逃すことは簡単だ。1972年に高校でスポーツに参加していた女子は、たったの7%しかいなかった;現在、その人数は7倍まで上がった。女性の中退者は半減した。大学キャンパスには、かつて60対40の割合で男性が多かったが、現在その割合は逆転している、そして、法律と医学の学位を取得する学生の半数近くは女性であり、10%にも満たなかった1970年より増加している。アイビーリーグの学長の半数は女性であり、全国ネット3局のうち、2曲のアンカーマンが間もなく女性になる予定だ、ここ最近の4人の国務大臣のうち3人は女性だった。145を超える機関が、世界中の女性に権力を与えるために作られている、貧困と病気に対抗する最強の武器であるという信念の元に作られたのだ、1972年にそういった大きな機関は1つしかなかった(the Ms. Foundationというものだった)。初めて、同じ年に、5人の女性がノーベル賞を受賞した(医学、化学、経済、文学の分野で)。そして、選挙年を過ごしたばかりだ、候補者たちである、ヒラリー・クリントン、サラ・ペリン、ティナ・フェイそしてケイティ・コーリックは脇役ではなくて、主役だった。それに、アメリカ合衆国大統領は、母子家庭で育ち、自分よりも地位も収入も上の弁護士と結婚している。

Thursday, September 24, 2009

Coke's Recession Boomlet





BEVERAGES

Coke's Recession Boomlet.
コーラ、不景気時の小ブーム

世界経済がこれほど険しい様相を呈するのは、大恐慌以来のことだ。ということはコカ・コーラ社にとっては運気があがってきたのに違いない。1929年の大恐慌後の1年間で、コーラは記録的な収益と3%の販売成長を発表した。タイム誌はこれを「おそらくこれから耳にするであろうなかでも、もっとも注目すべき1980年の発表となるだろう」とした。
80年近くが経過した2009年の上半期、コーラは3%の販売成長を記録した。


消費者が値段の張るもの、たとえば新車、または新しい服にさえにも散財することができないとき、清涼飲料水といった安く手に入れることができる快感に救いを求める。コーラ事業が非常に複雑に発展した今も、その論理は変わらずにシンプルでありつづける。


1930年コーラの利益は1300万ドル、事業網は二十数カ国にあった。昨年の利益は58億ドル、売上319億ドル、200カ国以上に渡る事業からのものだ。


グローバル企業のさきがけであるコーラは、これまで以上に世界を対象にした売上をあてこんでいる。
ヨーロッパと北アメリカにおいては頭打ちだ。とくに企業の看板商品であるコカ・コーラは新世代飲料や水に猛攻撃によって力を削がれつつある。コーラはビタミンウォーターといった商品を獲得することでその動向に対応したが今年の全体の売上は北アメリカで2パーセントダウンした。
それでも、コーラは2009年度の第二4半期においてインドで33%、中国では14%の販売成長を享受した。


コーラは常に、国ごとの一人当たりの消費量を測定基準として使い、売上の将来性を測ってきた。そのはかりによると中国とインドは未開発の噴出油田なのだ。
ふつうのアメリカ人が1年でコーラ製品を422本消費するのに対し、中国では28本、インドでは7本だ。
10億人を越える人口を抱える 「インドと中国は企業の未来を担う」 と、マーク・スワーツベルグ氏は言う、彼はスタイフル・ニコラス社のアナリストだ。「世界には、今でも多くの経済成長の可能性がある、そして、中国とインドが、確実にその先頭を切っている。」


中国とインドは過去においても未来であった。コカコーラ社は、1927年に中国に参入し、1949年に撤退した、そのころ中国には大衆向け飲料が参入する余地がなかったのだ。1979年に戻ってきたとき、鄧小平が経済改革政策を立ち上げた年であった。2001年、中国はコカコーラ社にとって7番目に大きな市場であったが、現在は、合衆国、メキシコに次いで3番目である。


その後、大陸での成長は、広大な国を網羅する小売流通にともない、炭酸飲料メーカーや瓶詰め業者の立ち上げの着実な発展であった。コカコーラ社は現在、殆んど全ての地域で販売されている。


コークブランドは、昨年、中国の炭酸飲料市場において、52.5%のシェアを占めた、これは調査会社であるユーロモニター・インターナショナルによるものだが、一方、ペプシは32.8%だった。ペプシは、より大きなライバル者に対して引かなかった、洗練されたコマシャル活動を行って、そのコマーシャルは、多くの中国の若者にとって、よりカッコいい飲み物だと位置づけた。コカコーラ社は、NBAのセンタープレイヤーである姚明や、オリンピックの板飛び込み選手である郭晶晶のような、スポーツスターたちのスポンサーになり、一方、ペプシはポップカルチャーを支配している。最近は、中国の音楽レーベルを立ち上げたし、アメリカン・アイドルのような形式の音楽コンテストのスポンサーになっている。看板商品であるコーラの対決では、コークの22.2%に対して、ペプシが23%の市場シェアという僅差で勝っている。しかし、そのどちらも、中国では1番の炭酸飲料ではない。その栄誉は、シェア23.4%を占めるレモン・ライム・スプライトのものだ、そしてスプライトはコカコーラ社のものだ。


コカコーラ社のインドにおける上昇は、長年に渡る混乱を伴う。1958年から1977年まで、コークはトップクラスの清涼飲料ブランドだった、1977年に、インドの経済環境は、国家主義へと一変した。政府からその配合比を公表するように、また、少数株主になるようにと要請されると、コカコーラ社は撤退した。ペプシは1988年にインドに参入した、国有企業と、ヴォルタス社との共同事業者として、ヴォルタス社は、タタ・グループ複合企業の傘下にある。コカコーラ社が居ない間に、この企業は、徐々にその市場を拡大した。


コカコーラ社は1993年に、それはインド経済自由化の後だった、競合社のボトリング・ネットワークと、サムズ・アップやリンカ・レモンのような地元のソフトドリンク・ブランドを買い上げて再び参入した。その後10年に渡って、コカコーラ社は10億ドル以上も投資し、2001年になって初めて、インドでの利益を上げた。

しかしコカ・コーラ社に浮かれている間などほとんどなかった。二年後、ペプシ、コカコーラ社はともに環境科学センター(the Center for Science and Environment :CSE)という環境維持問題を扱うNGOの調査の対象となった。CSEがこの二社の飲料のサンプルテストをしたところ高い残留農薬を示す数値結果がでたと申し立てたのだ。両社ともに、売上も評判もひどく落ち込んだ。

団結することなど、まずありえなかったペプシとコカコーラ社はそのNGOを非難する共同記者会見を行った。
同じ申し立てが2006年にも再びもちだされ、炭酸飲料の年間売上は落ち込んだ。保健家族福祉省
(インドの政府機関)によって選任された専門委員会はその後、CSEの試験方法に問題があったことを発見した。


そのスキャンダルにより、二つの巨大清涼飲料水会社は自社製品を保護せざるをえなくなり、また水資源の保護といった社会的環境政策もはっきり打ち出さざるをえなくなった。
もちろんペプシコ株式会社の最高経営責任者でありインド出身のインドラ・ヌーイ氏はある目的をもったNGOに振り回されるつもりはなかった。
「その二社の汚名の返上が早かったとすれば、ある程度の誠実さと透明性を示すことができたからでしょう」とニューデリーを拠点とするマーケティングコンサルタント会社、フューチャーブランドの最高経営責任者であるサントシュ・デサイ氏はいう。

「売上は短期間では影響を被りましたが、顧客に安心感を与えることに成功しました」。2005年よりコカコーラ・インド社でCEOをつとめるアトゥル・シン氏は、自社についてかつて語った。外資系企業であったため「絶えず疑われ、試されてきました」と。今ではそういった監視の目も歓迎している。「実際に順調にいっているときは自分自身で水準をあげるに限るのだ」。と語る。


安全性に関するスキャンダル問題が起こったのち、コーラとペプシは消費者を引きつけるのに小さなサイズのボトルと割引に頼ることにした。小サイズのボトルで売り上げは増えたが、両社と、双方の炭酸飲料メーカーの利潤率は下がった。
2005年、シン氏は40%から60%への値上げを行い、その後1.25リットルのような新パッケージを導入し、家庭での消費を増やすこととなった。
2006年の売上の落ち込みが一度あってから、インド市場は2007年にふたたび盛り返しはじめた。
「まあ、こんなものですね。」とインドの南にあるコーラメーカー、スリ・サルバラヤ製糖会社のS.B.P.ラモハン氏はいう。「もう、なにがなんでも(売上?)量だというときではないのです。」


しかし中国では、コーラは売上量に依然焦点をしぼってきた。たった15セントほどで、小さなボトル入りのソーダを売っている。そして従来のプラスチックボトルの半分より少し大目の355ミリリットル入りを35セントで、輸出の不振によりひどく打撃をうけている南沿岸省のような場所で販売し始めたところだ。
コカコーラ社中国の代表であるダグ・ジャクソン氏は厳しい経済状況のなかでもやれることをやるまでだと述べる。
「もし手持ちのクゥワイ(元)がさびしかったら、誰もが1クゥワイ節約ができるところを探すのです。何も飲まないのではなく、安いほうなら手にとるのです。私どもは、まさに選択肢を提供しているのです。」と中国通貨を話言葉で呼びつつ話す。

もうひとつの重要な点で、コーラ社の伝統の戦略でもある点は、とにかく冷やしておくということであった。インドと中国では習慣と冷蔵庫の不足が理由で、コーラはぬるいままで飲まれることが多い。冷たい飲み物は不健康であるとさえ昔から考えられている中国のある地域では沸騰させ、レモンと生姜と一緒に供されることがある。コーラ社の理想とする温度は3度で、消費者が冷たいコーラを飲む気分にさせるようすることも昨年の北京オリンピックと関連広告のスポンサーとして支払ったとされる4億ドルの目的のうちのひとつであった。

インドでの売上が復活し、メーカーは電力なしで12時間も保冷可能な超断熱の小売用冷蔵庫をはじめとする新しい技術を導入した。田舎では送電線網はたよりにならないためだ。
コカコーラ社はインドにおいてインフラを拡大するため2011年までに2億5千万ドルをつぎ込む予定だ。

30年前に鄧小平が打ち立てた経済成長中心政策はコカコーラ社がなんとか事業を拡大するためのある程度の安定した足がかりを供給してきた。
「私たちは、自分達がどこに向かっているのかしっかりと認識しているのです」。とジャクソンは説明する。「中国政府は、今年から年間2千万人の人々を都会化し、引き続き2020年までその政策を続けていくつもりだといっています。これからの10年間で、ほぼアメリカ人口と同じくらいの人々を都会化させるのです。この会社にかけて損はしませんよ、確信をもっていえます」。
もちろんジャクソンは中国当局がコーラ社の24億ドルもの中国のジュースメーカー、ヒュイユアンの買収取引を阻止するだろうとは思っていなかった。実現していれば中国産業史上で最大規模の外国企業への売買であったろう。しかし、商務部(中国)はトラストの規制を理由にあげ、合併を許可すればコーラ社の国内ジュース市場の支配力が強くなりすぎるとし、阻止をした。

 その吸収合併が拒絶された一件は、コーラ社にとっての敗北、また中国の保護主義の台頭として大方に受け止められたがヒュイユアンを獲得できなかったことはコーラ社にとり、そう悪いことばかりともいえぬかもしれない。「当局の決定のおかげで、コーラ社はヒュイアンという高い買い物をせずにすんだわけです」スタイフル・ニコラス社のアナリストであるスワルツバーグ氏はいう。ジャクソン氏はコーラ社はひとりでに成長するだろうという。「2020年の目標は変わりません。買収して進出していくより自社自身を成長させることで発展するでしょう」。

近い未来、コーラ社の中国への投資は大規模なものになるだろう。コーラ社は1979年以来16憶ドルを費やしてきたのだが、これからの3年間の成長に20憶ドル投資する予定だ。(昨年、ペプシは4年間で中国へ10億ドルの投資をすると発表した)。

コーラ社は今年9千万ドルをかけリサーチセンターを上海に建設し、そこで中国版ミニッツメイドにグレープ、レモン、ミックスフルーツ味を加えたような新製品グオ・リ・チェンという果肉入りのジュースを開発した。

西地域のシンチアンや東地域の内蒙古のような未開発エリアにも進出中であり、内蒙古には39番めとなるボトリング工場を建設中だ。
不景気時というのに大胆な動きだろうか。

そうかもしれない。が、しかし前例がある。1930年代、コーラ社は20ヵ所にのぼる国や自治区に新たに進出し、その年代当初からすると74%の拡大を成し遂げた。2010年代を世界大恐慌の再来とはいえないかもしれない。が、同じ戦略をふたたび試す価値はあるようだ。

Wednesday, September 23, 2009

Ardi Is a New Piece for the Evolution Puzzle

http://www.time.com/time/health/article/0,8599,1927200,00.html
By MICHAEL D. LEMONICK AND ANDREA DORFMAN
Thursday, Oct. 01, 2009
Science magazine with the skeleton of Ardipithecus ramidus, aka "Ardi." T. White

















ヒトの起源について解き明そうとするのは、非常に大きくて複雑で、ほとんどのピースを失くしてしまったジグソーパズルを組み立てようとするのに似ている。多くのピースはもう見つからないだろうし、見つかったピースは何処に当てはまるのか分からないこともある。時々ではあるが、化石探索者はパズルの大きな部分をいっぺんに埋める発見に出会い、そして同時に、今まで組み立ててきたと思っていたパズルの絵そのものの形を変えることがある。

まさにそんな発見の道が、1994年11月に、エチオピアの埃っぽいアワッシュ河中流域から、ヒト科の手のひらの骨が2欠片発見されたことによって、始まった。数週間のうちに、今後15年間続くだろう集中的な発掘調査活動によって、さらに100を越える骨の欠片が発見され、ついに、今週明らかにされた進化論の証拠に関する鍵を発見した;それは、4,400万年前の、アルディピティクス・ラミダスとして知られているヒトとみられる骨である。

10月2日発行のサイエンス誌特別号に掲載された一連の研究において(この11件の論文は10カ国から47人の著者によるものだった)、研究者たちは、アルディピティクスのベールを剥いだのだ、125片のヒト科の骸骨は、著名なルーシー(アウストラロピテクス・アファレンシス)よりも1,200万年前のもので、今までに発見された骨の中では飛びぬけて最古のものであった。カリフォルニア大学バークリー校のティム・ホワイト氏、この新しい化石を発見し研究しているアワッシュ調査チームの共同責任者である彼はが言うには、「生物学を理解するために、皆が心から欲しがっている部分は、頭蓋骨、骨盤、脚や腕、そして手足なのだが、我々はその全てを手に入れた」

アルディのいいところは、良い骨だということだ。アルディの骨の完璧さは、その周囲の同じ時代の堆積物から採集された150,000を超える植物や動物の化石と同様に、我々ヒトの最古の先祖の可能性があるものの1つであるアルディピティクスについて、かつてないほどの情報をもたらした。この骨によって、科学者たちは、アルディピティクスを直接的に、その子孫と思われる、ルーシーの種族であるアウストラロピテクスと比較することが出来るようになった。もしかすると、最も重要なことに、ヒトとチンパンジーが共有した最後の共有先祖の、その種族が、700万年前に分岐する前に似ていたかもしれないことについてのヒントをアルディが提供している。

アルディは、最も古く最もよく記録されている共有祖先の子孫である。むしろ「その分岐点に非常に近いところに」存在する、とホワイト氏は言う、驚くべきことは、アルディが、我々と最も近い現存する霊長類であるチンパンジーと似ていることだ。定義しがたい共有祖先の骨はいまだ発見されていないが、科学者達は、手に入れられる証拠を元に研究している(特に、アウストラロピテクスと現代のアフリカ猿の分析である)、それで、我々の早々祖父を、拳で地面を突いて歩き、木にぶら下るサルに最もよく似ていたと予想していた。しかし、「アルディはチンパンジーらしくない」ホワイト氏によれば、それはつまり、最後の共有祖先もおそらくチンパンジーに似ていないということだ。「この骨は、ヒトの進化についての我々の理解を覆したのだ」とケント州立大学の人類学者であるC.オーウェン・ラブジョイ氏は語る、彼はアワッシュ中流域チームの一員である。「明確なのは、ヒトは、チンパンジーがちょっとだけ変わっただけなのではないということ、両者におけるゲノムは類似しているけれども。」

つまりどういうことだろう?アルディの解剖によって、チンパンジーは実はヒトよりも更に進化していたのかもしれないという考えが浮上した ― 過去700万年かそれ以上の間の科学的な意味における変化のことだが。これは、アルディがチンパンジーよりもむしろヒトに似ているという意味ではない。ホワイト氏は、アルディのことを、たとえば、ヒト特有の特徴との「興味深い組み合わせ」と表現する。アルディは全長47インチ(120センチメートル)で、体重はおよそ110パウンド(50キログラム)、これはルーシーのおよそ二倍の重さだ。アルディの骨盤上部、脚の骨とそして足の構造は、アルディが、よじ登る機能を保持しながら同時に、地面に対して直立に歩いたことを示唆している。アルディの足は、木の幹を掴むために挟み込めるような大きなつま先を持っていたが、サルが木の枝や蔦を掴んで登るのに必要な柔軟性を欠いていた(「ゴリラやチンパンジーの足はもはや手のようだ」とラブジョイ氏は言う)し、土踏まずもなかった、アウストラロピテクスや猿人は土踏まずがあったので真っ直ぐに歩けたのだ。アルディは器用な手を持っており、それはチンパンジーの手よりも動かしやすかったので、地面のものをつかんだり、二本足で歩きながらものを運ぶことが上手だった。アルディの手首、手、そして肩の骨は、彼らが、ナックルウォーカーで、サルのように木の上にいたり、ぶら下ったりして過ごさなかったことを示している。むしろ、アルディは、絶滅したサル特有の、手のひら歩行という原始的な方法を用いて、枝を移動したのだ。「”アルディ”は、見事にダーウィン論的な生物だ」とペンシルバニア州立大学の古人類学者であるアラン・ウォーカー氏は語る、彼は今回の発見には関与していない。「つまり、共有祖先とアウストラロピテクスの中間の特徴を持っているのだ。」

科学者たちがこのことを知ったのは、アルディの化石だけではなく、彼らが発掘した、他の110の骸骨、アルディ・ラミダス属の少なくとも35種の骸骨について調べたからだ。それらの骨と、同じ遺跡から発掘された何千もの植物や動物の化石を組み合せによって、およそ200,000世代前にアルディが生活していた場所の、非常に明確な絵を描くことが出来た。それは、ところどころに深い森や新鮮な湧き水のある草の多い森であった。コロブス猿は木の上でキーキー鳴き、一方ヒヒや像、うずまき状の角を持ったアンテロープ、そしてハイエナがその地域に生息していた。トガリネズミ、野ウサギ、ヤマアラシやそして小型の肉食動物は藪の中をチョコチョコ走り回っていた。色々な種類のコウモリや、少なくとも29種の鳥類、たとえば、孔雀やハト、ボタンインコやフクロウなどがいた。エチオピアの堆積物に埋もれていたのは、エノキの種、化石化したヤシの木やそして、イチジクの木の花粉の痕跡だった、そういったものの実の部分は、雑食であるアル・ラミダスが食べたに違いない。

この絵は、これまでに確立されてきた進化論の学問のある一面を崩してしまう。古人類学者は、かつて、我々の先祖を最初に二本足で歩かせたものは、気候の変化、つまりアフリカの森がサバンナ化したことだと考えていた。そういった環境では、つまり、直立姿勢の霊長類は、ナックルウォーカーよりも有利だっただろうから、なぜならば、直立姿勢だと背の高い草より上から見渡して、食べ物を見つけることが出来ただろうし、捕食者を避けることも出来ただろうからだ。ルーシーの仲間が、しばしば、より木の多い環境の下で生活していたという事実が、この学説を弱めはじめた。さらに何十万年も前に、アルディが、同じような環境で直立歩行していたという事実が、他の理由があったに違いないのだということを明確にさせるのだ。

理由が何であったかは謎だが、アルディの社会的行動に関するある学説がそのヒントを握っているかもしれない。ラブジョイ氏は、アル・ラミダスは、ヒト以外のどの霊長類にも見られなかった社会体系を持っていたと考えている。ゴリラやチンパンジーの場合、オスは、メスの関心をひくために、他のオスと激しく戦う。しかし、アルディピティクスは、とラブジョイ氏は言うのだが、オスはそういった競争を放棄し、メスとツガイになって、子供を育てるために一緒に暮らしていた可能性がある(必ずしも一夫一婦であったり生涯を通してというわけではないにしても)。この円満な生活の証拠は、全てに見られる、アルディピティクスの歯:その犬歯は、オスのチンパンジーやゴリラが闘うための尖った、ダガーナイフのような牙と比べると比較的丸い。「オスの犬歯」とラブジョイ氏は語る、「それは、突き出てもいないし尖ってもいない。もはや武器ではない。」

これは、メスが、牙の小さなオスと好んでツガイになったことを示す。メスがそんなに力を持っていたということは、ラブジョイ氏の主張では、アル・ラミダスは、オスが協力的であるような社会体系を確立させていたに違いない。オスはおそらくメスと自分の子供を助けたのだろう、例えば、食料を調達して分け合ったりして ― 行動の変化が二足歩行の生じた理由を説明する助けになるかもしれない。森の中で食料を運ぶのは難しい、やはり、直立に歩くことによって前足を自由に使えなければ。

そのような社会的行動の詳細を推測することは、正直なところ、空論なのだ ― そして数人の科学者達がすぐさま指摘する、これらの著者による、今までと異なる重要な結論は、この上さらに進んだ議論が必要だと。1つ問題なのは、アルディの骨にはほとんど木っ端微塵な状態で発掘された部分があり、大規模なデジタル復元処理が必要だということだ。「ティム [ホワイト] が、私に見せてくれたんだ、地中にある骨盤の写真を、それはアイリッシュ・シチューのように見えたよ」とウォーカー氏は言う。確かに、その実物を見て、古人類学者たちはそれぞれに違った解釈をするかもしれない、アルディがどんな風に動いたかとか、アルディは、ヒトとチンパンジーの最後の共通祖先について何を暴くのかとかについて。

しかし、サイエンス誌は特別号をよく発行するわけではない、つまり、これらの新しい論文に言及されている、通常ではない数と種類の化石が意味するところは、科学者が本物の証拠について議論しているということだ、それは通常のような、ここで発見された一本の歯や、また別のところで発見された足骨の欠片についてではない。「我々が(アワッシュ河中流域で)この研究を始めたとき」ホワイト氏によれば、「ヒトの化石の記録は、およそ3,700万年前まで遡ったのだ」。現在、科学者達は、ヒト科の起源まであと700,000年くらいまで近づいた時代の情報の宝の山を手にしている。「これはただの骨ではない」と彼は言う。「我々は、これまで空白だった時代の、ステキな、解像度の高いスナップショットを作り上げることが出来るのだ。」より多くのピースを探すことは続けられるが、このパズルの大まかな絵は、少なくとも、鮮明になってきたぞ。

Sunday, September 20, 2009

Fair Trade: What Price for Good Coffee ?

Small farmers find growing coffee is hard labor fir scant return, even Fair Trade.
Eric Bauer / Archibolatino
http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,1926007,00.html



3世紀前に、イエズス会の修道僧がグアテマラへコーヒーを運んで以来ずっと、コーヒー豆の栽培は、小規模農家にとって割の合わない仕事である。状況は悲惨だ ―100ポンドの肥料を山の上まで引きずりあげてみたらわかる―そして、コーヒーは、世界中で2番目に、オイルの次に、重要な貿易品であるにもかかわらず、コーヒーがもたらす報酬はわずかである。「生計をたてるのに十分ではありません」と、ルイス・アントニオはかたる、彼は、グアテマラ西部の高地にあるケツァルテナンゴの近くで、30年間、コーヒー豆を栽培してきた人物だが、年を追うごとに膨らむ負債に苦しんでいる。「我々の稼ぎでは、子供達に十分な食べ物を買ってやることが出来ません」

アントニオや、世界中に2,500万人いる小規模コーヒー栽培者たちには、職業選択の余地があまりない。だからといって、彼らコーヒー栽培者たちはフェア・トレードに執心していると思われるかもしれない。(フェア・トレードとは、25年間、コーヒーからキノワにいたる全ての作物に、市場価格よりも高額を支払うことによって、苦しんでいる第三世界の農民を、アントニオもその中に含まれる、貧困から救い出そうと努力し続けてきた国際活動である)その間、フェア・トレードは、スターバックスのような巨大小売チェーン店を採用してきた、スターバックスは、フェア・トレード保証付きコーヒーの地球最大の買い手である。

しかし、フェア・トレード・コーヒーの動向の将来には問題がある、フェア・トレードが支援出来うる限界に達してしまったのではないかという懸念を掲げる支持者もいる。中央アメリカとメキシコにいる179のフェア・トレード農家への、昨年の民間業界の調査では、TIMEが入手した資料によると、半数以上が、未だに、1年のうち数ヶ月間は家族が飢えに苦しんでいるのだと答えている。「結果を見たとき、ショックでした」とリック・ペイサーは語る、彼は、この調査を依頼した、バーモントにあるグリーン・マウンテン・コーヒー・ロースター者の社会支援団体の局長である。「辞めようかと思いました」、とマサチューセッツのフェア・トレード企業、イクォール・エクスチェンジのスポークスマンであるロドニー・ノーズは認める、「バイヤーが考える、フェア・トレードの達成目標と、現業とが食い違っている可能性があります」ラテン・アメリカからアジアにいたるまで。

フェア・トレードは、アントニオの有機コーヒー1ポンドにつき、1ドル55セント支払う、それは市場価格よりも10%近く高い。しかし、アントニオの手元には1ポンドにつきたった50セントしか残らない、フェア・トレード加盟費や国税、それに維持費を支払うからだ。年末までに、アントニオが言うには、彼が栽培する数千ポンドのコーヒー豆で、およそ1,000ドル手に入れるだろう(グアテマラの乏しい最低賃金のおよそ半分だ)もしくは1日あたり2ドル75セント、それはスターバックスの1番安いラテの値段にも満たない。他のグアテマラの栽培者達にも同じことが当てはまる、例えば、マッテオ・レイソノ、彼もまた、ケツァルテナンゴ出身である。フェア・トレード無しでは、と彼は言うのだが、「我々はもはやこコーヒー栽培をやっていけないかもしれない」。しかし、フェア・トレード価格でさえ、小規模農家が支払わなければならない費用を「賄えない」、と付け加えた。



ほとんどのコーヒー栽培者たちにとって、それでも、フェア・トレードは公開市場価格よりほんの少しは割がいい。2年前、ドイツに本拠地のある、国際フェア・トレード表示機構(FLO)が、ここは世界価格と基準を設定するところであるが、非有機コーヒー1ポンドあたりの最低価格を、9セントから1ドル35セントまで引き上げた(そのうち10セントは、栽培者の子供達のための奨学金のような社会プログラムの資金になる)。これは、現行の市場価格よりも15セント高い。しかし、カリフォルニア大学バークリー校でフェア・トレードの研究をしているクリストファー・ベーコンによれば、栽培者達が必要最低限の生活よりも少しでも向上させるために必要な1ポンドあたりの価格は、実際のところ2ドル以上である。農業支援者はFLOに対して、そのくらいの価格引き上げを考慮するよう世鬱せ井している。が、そのような大幅な価格引き上げで、おそらくは、フェア・トレードは少数の栽培者しか救うことが出来ないために、―スターバックスでさえ、その価格ではコーヒー豆の購入を控えるとみえる―FLOはためらっている。何百万人の代わりに、「数万人の栽培者しか救えないとしたら、コーヒー1ポンドにつき2ドル得をして何の意味があるのか?」とポール・ライスは問いかける、彼は、カリフォルニアに本拠地を置き、合衆国のフェア・トレードを監督する非営利団体フェア・トレードUSAの所長であり、最高責任者である。「目先の利益に目がくらんで将来を不意にする危険がある」それよりむしろ、FLOの主要な成長戦略は、スターバックスのような買い手を獲得し続けることだ。「我々は、次第にメジャーになってきている」とFLOの執行責任者であるチューリア・スィヴァネンは語る。「我々は、コーヒー栽培者の市場を拡大するために努力しているのだ。」





Sunday, September 13, 2009

Secrets of bird flight revealed

Secrets of bird flight revealed
http://news.bbc.co.uk/2/hi/science/nature/7205086.stm
Secrets of bird flight revealed
By Rebecca Morelle Science reporter, BBC News


鳥たちが最初に飛行できるようになったのは、どのようにしてなのだろうか。その謎の解明に一歩近づいたのかもしれないと科学者たちは考える。

鳥が飛べるようになったその過程を解明する重要な鍵は、翼をはばたかせる角度にあるのではないか、と「ネイチャー」誌に掲載された論文が示唆している。

アメリカの研究チームが鳥は走るとき、飛ぶとき、また滑空するときも、翼を一定の限られた角度で動かすということを発見した。

初期の鳥類は、ちょうどよい角度で翼をはばたかせることを単に会得したことで、飛び始めたのかもしれないと結論づけた。

「その単なる羽ばたき方が鳥の進化、そして飛び立つ段階に至るまでの源基であるようだ」

研究を行ったのはケン・ディアル、ブランドン・ジャクソン、そしてパオロ・セグレで、三人ともモンタナ大学の航空学研究室が研究拠点だ。

ディアル教授はいう。「少なくともここ150年間の鳥の起源とその飛行についての人々の関心はかなりのものでしたが、悲しいことに今までその問題はスムーズとはいえないとりかかりからアプローチされてきたのでした」。

教授によると、この領域を調査している科学者たちは、二つのグループに別れる傾向があるのだという。鳥が飛ぶことを学んだのは、木から飛び降りて滑空するという「トップダウン(上から飛び降りる)」方式によるものだったと考える一派と、おそらくは捕食者から逃れるために走ったり羽を羽ばたかせたりすることによる「グラウンドアップ(地面から飛び立つ)」方式によって飛ぶことができるようになったと考える一派だ。

しかしこれら双方のシナリオによると鳥類が浮揚するためには、まずさまざまな翼の動きが確立されている必要があったであろうということになる。

ひらめきの瞬間

2003年 ディアル教授とその研究仲間たちは、鳥たちが急な傾斜を駆け上がるときにも翼を利用していることを明らかにした論文を発表した。

「これは重要な発見でした。鳥たちが見せている動きですが、以前なら私たちは全く気にもかけなかったものです」。と教授は解説する。

「鳥たちが翼を使うのは飛ぶときのみではないし、また足を使うのは平地を走るときのみでもない、実際は、それが巨礫であれ、木であれ、崖であれ、急な傾斜をよじ登るときには翼と足の両方を使うのです」。

この新しい研究が、次に述べる発見につながったのだと教授はいう。

高速ビデオを利用し、ディアル教授は小さなウズラに似たイワシャコという鳥の翼の動きを、急な傾斜を走り登るとき、滑り降りるとき、飛ぶとき、について観察した。

教授はBBCに語った。「驚いたことに、得たデータすべてが鳥たちは全く翼の角度を変えていないということを示していたのです」。

「額をピシャッと叩いて、こうつぶやきたくなる瞬間ですよ。翼の羽ばたき方は動作が違えば変わるものだとずっと思ってきましたが、母なる自然は、あらゆる動作を行うのにたった一通りの羽ばたき方でよしとしたのだということがわかりました」。(自然の摂理によって、あらゆる動作はたった一通りの羽ばたき方で行われるのだということがわかりました)

研究チームは、その後さまざまな種類の鳥たちを研究し、同じ一定の角度で羽ばたいていることを確認した。

また、巣立とうとするひなたちが飛び方を覚える際の翼の動きも観察した。

孵化したてのひな鳥たちの羽は小さくて未発達なため飛ぶことができない。しかし急傾斜をかけ上がるとき、その翼を羽ばたかせる。それは成鳥たちが同じく傾斜を駆け上がるため翼を羽ばたかせるときのと同じ動かし方と角度であるのことがわかった。

鳥たちは、傾斜から滑降するときも翼の角度を同じにとるのだ。

ひな鳥たちの初期の翼は、数例の恐竜にみられる未発達の翼の原形に似ていると研究者たちは考える。

恐竜たちは、あたりに散在する岩や障害物を飛び越えるため翼を発達させたのかもしれないとダイアル教授は述べる。

その翼が体重をサポートできるほど、大きく強く発達し、ちょうど良い角度で羽ばたかせることができたなら飛ぶことが可能になっただろうと結論づけた。

「単なる羽ばたき方を学ぶことが飛べる段階に至るまでの最も大事な問題であったようなのです」とダイアル教授は語った。

Tuesday, August 25, 2009

'Trees of life' are vital food source

'Trees of life' are vital food source
「いのちの木」は大切な食糧源

http://news.bbc.co.uk/2/hi/science/nature/8181510.stm

VIEWPOINT:
Miranda Spitteler

木々がもたらす「飢饉食」は、そのほかの作物がおしなべて凶作の時に干ばつにおそわれたコミュニティーの生命線となりうるのだ。とミランダ・スピットラーはいう。そして政策者らは、緊急食糧援助を支給する際に、木々が果たす重要な役割を認識する必要があると今週のグリーンルームで主張する。

   『ひんぱんに食糧不足に襲われる国々で暮らす人々は、これまで慣行的に行われてきた援助の必要性を減らすにあたり木々が担うことができる重要な役割のことを古くから知っていたのだ。』


食糧不安は世界でも非常に貧しいとされる大部分の人々の生活の顕著な特徴であり、気候変動や食糧価格の高騰により今ではさらに悪化している。

緊急食糧援助はここ数十年間、干ばつや飢饉といった危機時において国際社会がおこなってきたおもな対応であった。

しかし、緊急事態がおこるまえに対策をうっておくほうがはるかに有効だ。

東ブルキナ・ファソの農夫アルゾーマ・ティオンビアーノは、1980年代の中頃に木々がどのように人々の命を救ったのか思い起こす。

「20年以上も前の話だが大きな飢饉に見舞われたことがあった。けれど、みんなバオバブの葉や実を食べて飢餓から逃れたんだ」。

ひんぱんに食糧不足に襲われる国々で暮らすひとびとは、これまで慣行的に行われてきた援助の必要性を減らすにあたり、木々が担うことができる重要な役割のことを古くから知っていたのだ。

欧米がこの役割を認識し、その土地の木々を基盤とした解決策への実際的な支援がすぐにも必要だ。


絶えることのない食糧

今年アフリカ本土の広範囲を襲った干ばつが、作物を台無しにした。国連の食糧農業機関によると世界中で30カ国が危機的状態にあり、海外からの援助を必要としている。

気候変動の影響で干ばつは日常茶飯となった。このことにより必要最低限の食糧ニーズをみたせるかどうか非常に危うい国々は、さらに危険な状態においこまれる状態となった。

西アフリカのブルキナ・ファソでは、貧しい農村のおよそ40パーセントが栄養不良問題をかかえる。
気候変動はすでに脆弱である農地の体力をさらに奪い、食糧の値段の高騰が人々の健康にも影響を与えている。

ブルキナ・ファソのような国の食糧不足と餓えが「緊急事態」レベルに達し援助発動の対象となるころまでには家族、コミュニティー、農作業、土地すべてが大変な打撃をこうむるであろう。

7月はじめにイタリアで開かれたG8首脳会議では、そういった緊急食糧援助の必要性を多少なりとも減らすために、原産の食糧品の生産を支援するために二百億ドルを費やすことが確約された。

しかしこの公約では、木々が果たすことのできる重要な役割について何もふれていない。

「従来の」作物はその土地原産のものではないことがよくあり、よい収穫を得ようとすると、多くの投資、大規模なかん水、そして土地の整備が必要であった。

つまり、そういった作物は干ばつの影響をいっそう受けやすいということだ。アフリカの乾燥地域の小自作農にとって、収穫の失敗は数カ月にも及ぶ栄養失調と困苦欠乏を意味しうる。



一方、樹木類はほかの作物が枯れてしまったときでも生き残ることがよくある。一般に西洋の人々には「飢餓食」として知られており、木がもたらす食糧はアフリカの農村全域において既に毎日の食物のかなりの部分を占めている。



木は果物、ナッツ、タネ、葉、花、ガク片、それから樹液さえも供給し、それらすべては食糧として使える。



ワサビの木(Moringa oleifera)を例にあげてみよう。その葉はニンジンより多くのベータカロチンを含み、プロテインはエンドウ豆以上、またビタミンCはオレンジ以上に豊富だ。カルシウムについては牛乳より、カリウムはバナナより多く、鉄分にいたってはその量はホウレンソウより多い。


授乳中の母親がワサビの木を摂取すると、より多くの授乳が可能になることがデーターにより示された。

葉は乾燥することが可能なので、飢餓時に食糧にすることができる。そして木がもたらす動物の飼料もまた乳や肉を生産するのに欠かせないものだ。

この現存する土着の「緊急援助」こそがG8財政支援が力を入れるべきものとして求めなくてはならないものだ。

自助

餓えとの戦いでは、-特に干ばつ時においては-世界中の貧しさの中心にいる人々をターゲットにしなくてはならない。つまりそれは、アフリカの農村の小自作農なのである。

『樹木の価値が世界中のあらゆるレベルの人々に認められるときなのだ』

農業・林業両用の土地利用技術は土地の肥沃度を増し、木々からの収穫を約束し、栄養を補おうとするものであるが、その技術を導入するにはサポートが必要なのだ。自分たちの土地に投資を行うための適切な環境、情報を共有する力、草の根レベルでのささやかな援助が彼らには必要なのだ。

村人たちが木々からの収穫で収入を得られるように、トレーニングとサポートをすることで援助をすることができる。

この収入により、収穫がないときに食糧を購入する力ができ、健康管理や教育といった大変重要なサービスにも手が届くようになる。

こうした働きかけで農村コミュニティーと国家経済の両方の自足率を増加することが可能だ。環境をさらに安全なものにし、生計手段を多様にし、貧しい世帯が気候変動や外部からの衝撃にたいして受ける影響を和らげるのだ。

実際に持続可能な長期の報酬をもたらすことが可能なのだ。

ブルキナ・ファソにあるドンゴという村では、ツリーエイド がビレッジツリー・エンタープライズ・プロジェクトにより、木々からの収穫物で村人たちが収入を得られるように支援することをねらいとして活動している。そのプロジェクトに参加しているのはすべて女性だ。

参加者の夫のひとりはいう。「前回の干ばつのときは穀物倉庫が空になり、一家の収入の半分以上に妻の稼ぎが貢献したんだ」。(このまえの日照りのときなんかには米蔵がからっぽになって、一家の稼ぎの半分以上が母ちゃんの稼ぎだったんだわ。)

このようなプロジェクトは、その土地の木々をうまく育てるためのスキルと支援を地域社会に与える。そしてドンゴに住むような人々たちの干ばつや凶作、食料値段の高騰などに対する抵抗力を強めることができる。

樹木の価値が世界中のあらゆるひとたちに認められるときがきたのだ。

G8のような機関は農業、林業両用の土地利用がもつはかりしれない可能性を開発していくと確約しなくてはならない。そうすることで今日の世界が直面している2つの重大な問題の解決策となるスマートで高度な取組を示すのだ。

こうしたプロジェクトは、もっとも貧しいとされる人々の貧困や食糧不安を緩和すると同時に木の保護と植栽をすすめる。そしてそれが気候変動による影響に取り組むこととなるのである。









Thursday, June 25, 2009

How Twitter Will Change the Way We Live



How Twitter Will Change the Way We Live
By Steven Johnson Friday, Jun. 05, 2009

Find this article at: http://www.time.com/time/business/article/0,8599,1902604,00.html
参考(一ページでわかるツイッター総合案内): http://1p-info.suz45.net/twitter.htm
                     
ツイッターはどのように私たちの生活を変えるのだろうか
(たった140文字内で)

かつては単なる一時的流行であったツイッターがパワフルなコミュニケーションツールへと成長しつつある。その成長は今日の世界の何を反映しているのか。また、アメリカのイノベーションのいくえについてはいったい何を?
****************************
ツイッターについて、ひとつ確実にいえることといったらその第一印象のひどさだ。
この新しいサービスで140字の最新情報を、あなたの「フォロワーズ」に送ることができるらしい、
そしてあなたは、こう思うのだ「いったいなんだって世の中こんなものが必要なんだ?」

何もみんながみんな四年前、頭をかきながらぼんやりと、こうつぶやいていたわけではあるまい。
「50人の友達へ一斉メッセージを送って、朝ごはんのシリアルのチョイスについてリアルタイムで知らせることができるようなテクノロジーがありさえすればなあ。」

私もまた、最初は懐疑的であった。ツイッターの共同創成者であるエヴァン・ウィリアムスには、彼がBlogger.com.を立ち上げた90年代ドットコム起業ブームのころに2,3度会ったことがある。

ブログの登場で、電文的な2パラグラフのブログメッセージが長文記事や本にとってかわり、その結果人々の注意持続時間に影響を及ぼすおそれがあるのではと、当時は心配されていた。


ウィリアムスはツイッターで、せいぜい多くて2,3センテンスの使用を上限としたコミュニケーション基盤を立ち上げていた。次には何がくるのだろう。
句読点マークひとつを送ることで、自分の気分を表せるソフトウェアだろうか。


 しかし何百万ものファンが発見したように、ツイッターには結局疑いようのない奥深さがあることが分かった。その理由はある部分、友人が朝食に何を食べたかを知ることが(やってみると)ただ聞くきくよりも面白いものだったということにもある。

技術ライターのクライブ・トンプソンはこれを「環境認識」と呼ぶ。つまり、拡張ソーシャルネットワークのメンバーから送られてくる即席の短い状況報告を受け取り、送り手たちの日常を奇妙な満足感ととももに、ちらり見をすることだ。

友人との電話で、はじめにその日の調子はどうかときくことから始める。それをくだらないとはちっとも思わないだろう。
ツイッターは同様の情報を聞きもしなくても教えてくれるのだ。

こうしたあらゆる、何ということもない、瑣末な情報の交換から得られるぬくもり(the social warmth of all those stray details)を軽くみるべきではない。
しかし、私は思うのだ。ここ2年間でツイッターにおこったことの中には、さらにもっと深いものがあるのではないか、ツイッターをとりあげ、これほどまでに驚くべきスピードで広めたその文化についてさらにいえる奥深い何かがあるのではないかと。

なるほど、朝食の状況をアップデートすることが、思ったよりもおもしろいとうのはわかった。
しかし、発案者たちが思いもしなかったものごとに、私たちがそのシステムをどんなふうにあてがって使ったかということが、ツイッターの発達の鍵なのだ。

つまり、ツイッターの一番の魅力的は、それが何をしてくれるのかなのではなくて、私たちがツイッターをどうするかなのである。


開かれた会話

今年マンハッタンで開催された、教育改革に関する終日の会議に出席した。
ハッキングエデュケーションという、小さな内輪の催しであり、教育者、事業主、学者、慈善家、ベンチャー企業投資家、40数名の人々すべてが学校の未来について6時間にも及ぶ長い座談会に参加していた。

20年前ならば、そこで交わされた考えは参加者の頭の中に閉じ込められたままであっただろう。10年前であれば、数週間か数カ月後にトランスクリプトがウェブ上で発表されたかもしれない。5年前であったら、一握りの参加者がそれぞれの経験を会議後にブログに記したかもしれない。

けれども、この催しは2009年に行われていたので、リアルタイムの、現実世界の会話に遅れをとることなくあとを追うのは、同時にツイッター上で交わされるリアルタイムの会話なのだ。

ツイッター経由で、この会議についてライブコメントを投稿したいひとは#hackedu.という言葉を140字数制限の中に含めるように、と会議のはじめに主催者がアナウンスをした。

会場では、大きなディスプレイスクリーンがツイッターでの有効フィードを表示する。
そして私たちは一斉に話しだす。すると影の会話がスクリーン上で展開する。それは誰かの主張の概要、時折の冗談、さらなる研究読書のためのお勧めリンクだったりする。

ある時点で、会議場の二人の参加者の間に短い議論が起こった。そのほかの参加者たちが和気あいあいとした調子で話しているときにスクリーン上で静かにあらわれた緊迫したやりとりだった。

はじめは、こういったつぶやきは全て会議場内からのものであったし、ラップトップコンピューターやブラックベリー端末をたたく会議参加者からのみによって送られたものであった。

しかし、30分するかしないかのうちに、教育(学校)の未来についての興味深い会話が#hackedu.で展開されているという情報がツイッター界(Twittersphere=ツイッターでつながる情報の世界)に流れ始めた。
#hackeduスレッドをフォローしていると告げる第三者からのつぶやきがいくつかスクリーンに現れた。
 
それから、他のひとびとが、自身の意見や更なる探究のための話題を提案したりして会話に参加した。数人の専門家たちが、どうして自分たちはその会議に招待されなかったのかと公然とぼやいた。
会議場では、興味深い考えや疑問をスクリーンからひきだし、それらを実際に対面で行っている議論に組み入れた。

終日の会議が終わったときには、会議での会話を文書化した何百というつぶやき(tweets)の公式な記録ができあがった。そしてその議論はまだ続いているのだ。hackedu#をツイッターで探せばここ数週間で投稿された多数の新しいコメントが見つかるだろう。その会議自体は3月の初めに開かれたものであるのにもかかわらず。

ツイッターを導入したことで、その会議への参加ルールは根本的に変わった。
第2層における議論の場を提供し、より広い範囲の聴衆を(本来ならば)うちわの意見交換に終わったであろう会議にもたらした。
そしてすでに終わったそのイベントに、ウェブ上での生を与えたのだ。
なるほど、もっぱら140字のメッセージだけで成り立つものではあったが、それらのつぶやきの総合計は本当に実質的な何かとなった。小石をつみあげてつくった吊り橋のように。

超フレッシュなウェブ

ツイッターの基本的なしくみは非常にシンプルだ。ユーザーたちが、コンピューターやモバイル機器からくだんの140文字のメッセージであるつぶやきを発する。(この文字数制限があることで、ほとんどの携帯電話で利用されているSMSプラットフォームを経由しての、つぶやきの作成と配布が可能となる)
ソーシャルネットワークであるがゆえ、ツイッターはフォロワーズを中心に回る。他のツイッターユーザーをフォローすると、そのユーザーのつぶやきが新しい順に(フォローした個人の)ツイッターのメインページに現れる。もし、20人のツイッターをフォローしページをスクロールダウンすれば、さまざまなつぶやきの集まり―たとえば朝食のシリアルの情報更新、面白い新リンク先、お勧めの音楽、さらには未来の教育についての熟考までも―が見れるだろう。
セレブのツイッターの中には、100万人のフォロワー取得記録を超えたものもいて、最も有名なところでは、アシュトン・カッチャーがあげらるが、事実上ブロードキャストサイズの視聴者を得ている。平均的ツイッターのプロフィールを見たところ(フォロワーは)だいたい数十人あたりといったところのようで、そこには友人、同僚、それから一握りのセレブからなるコラージュができあがっている。
その集合は、これまで存在していたどんなものともまったく違ったメディア体験を創造する。奇妙な親密感があり、同時にセレブ中毒チックでもあるのだ。
モーニングコーヒーを片手に自分のツイッターフィードをながめ、ものの数秒のうちに甥っ子が医学部に入学したことやシャキール・オニールがフェニックスで有酸素トレーニングをちょうど終えたところだと知る。
思いつくあらゆる話題についてのおしゃべりをリアルタイムで覗くことができるように、ツイッターに先月検索ボックスが設けられた。大統領候補討論会、アメリカンアイドルの最終回、タイガーウッズ、あるいはニューヨークで行われている教育改革の会議についてまでも、人々が語り合っているのをみることができるのだ。
お茶の間にインターネットがやってきて以来、月面着陸、人気連続ドラマ「ダラス」のエンディングで繰り返されるフレーズ「J.R.をうったのは誰だ?」など、これまでずっとリビングで共有されてきた体験の喪失について批評家たちは嘆いてきた。アメリカ人たちは一斉にウォルター・クロンカイト(CBSイブニングニュースのアンカーマン1962-81)を見るのをやめてしまい、古き良きリビングルームは砕け散り、100万個の個別ブースへと姿を変えた。
cliffhanger 
    連続ドラマで続きを視聴するよう促すためのプロットのひとつ

しかし、ラップトップで生中継のマスメディアイベントをツイッターを開きつつのぞいてみれば、未来予想家たちの考えは間違っていたことに気が付くだろう。

共有体験は未だ失われてはいない、それどころか現在の共有体験は核家族や、隣近所といった枠をはるか超えて広がったひとつのグループにおいての本当の公開討論を意味するのだ。

そこで交わされる会話には、アメリカ人がニクソンのチェッカーズスピーチをやじり倒していた当時の多くのリビングで交わされたものと同様にもちろん未熟なものもある。しかし、感動的だったり、ウィットに富んでいたり、観察力の鋭いもの、または破壊的であったりするものもある。

たった140文字のアップデートで一体どのくらい破壊性やウィットを表現することができるのだろうかと訝るひともいるかもしれない。
しかし、ここ数ケ月ツイッターユーザーらは字数制限を乗り越える方法を見つけはじめたところだ。ツイッターをコミュニケーションチャネルとして使用するのではなく、位置指示装置として使用するのだ。
より長い記事やディスカッション、投稿、ビデオ(URLをもつものなら何でも)へのリンクをツイッターを使用して示すのである。

ウェブサイトのトラフィックは、かつてグーグル検索クエリーが圧倒的に支配していたが、初めて訪れるビジターたちはツイッターやフェースブックといったソーシャルネットワークからの「共有されたリンク」を経由しているケースがどんどん増えているという。ここが否定する人々が見落としていた点だ。1万語の素晴らしいニューヨーカー誌の記事について広めるのにツイッターを使うのも、自分がどんなゲン担ぎを行っているのかを広めるのと何ら変わりなく、簡単にできる。

以上の3つの要素、つまりソーシャルネットワーク、ライブ検索、そしてリンクの共有をまとめると、ひとつのカクテルができあがる。それは、検索エンジンの領域において一人勝ちをしているといっても過言ではないグーグルに対して、実際大変面白い代替となるものかもしれない。
本質的にグーグルのシステムは不特定多数の人々からの声がゆっくりと蓄積し、それを中心として構築されている。 ウェブページは、ある部分どのくらいアクセスされたかによって検索結果ページの上部に登場し、古いウェブページは訪問者履歴をより稼げる時間がある分だけ有利になりがちだ。
まるで超スパムだらけの膨大な干し草の中から、価値ある数本の針をみつけだすような現在の状況においては、すばらしい解決策である。しかし産業パイオニアのジョーン・バトルが名づけていう「スーパーフレッシュ」ウェブという、人々がたった今この瞬間に交わしている会話をみつけるのには特別便利な方法というわけではない。

ツイッターはその創成期においてさえ、グーグルよりもすぐれたスーパーフレッシュウェブの供給源であった。
コービー・ブライアントに関する興味深い記事やサイトを探す?ならば、グーグルだ。しかしコービーのたった30秒前のスリーポイントシュートについて、面白いコメントをゆるいソーシャルネットワークを通じて探すとしたらツイッターなのだ。

トースターから電子レンジまで
ツイッターの共同設立者である、エバン・ウィリアムス、ビズ・ストーン、ジャック・ドーシーらは典型的なやりての起業家(彼らは引用する価値があり、魅力的だ。おまけにシリコンバレーの面白みのないビジネスパークではなく、サンフランシスコのソマ地区のロフトが本社だときている)なので、ツイッターへのメディアの興味というのは大部分がその会社自体のほうへと集まった。
エヴとビズはグーグルに早い段階でツイッターを売るのだろうか、それとも高値で売ろうともくろんでいるのだろうか?(彼らは、推定5億ドルのフェースブックからのオファーをすでに断っているのだ)
 ※long ball : 野球のホームラン、アメフトのロングパスなどをいう。転じて、一か八かのかけにでる、
         一発かます、などの意味となる。
興味深い疑問だが、そう目新しい話というわけでもない。そこに焦点を合わせているとツイッターの基盤についてさらに重大な点を見失うことになる。基本的な特徴とアプリケーションの多くがツイッターとは利害関係のない人々によって開発されたのだという事実を。
単に、何か別のことのために設計された道具の新しい使い方を人々が見つけたといったことではない。ツイッターの場合は、ユーザーたちが、その道具自体を再デザインし続けているのである。トピックやイベントを#を使用して―#hackedu あるいは#inaugurationといったように―グループ化する方法はツイッターのユーザーたちの間で自発的に開発された。(別のユーザーに@記号をつけて返信するやり方同様に)今現在ツイッターで行われている生のやりとりを探す機能は、別の新興企業による開発だった。その会社はシュミーズといい、ツイッターが昨年吸収した。(内情を暴露するが、私はシュミーズ社のとある少額出資者のアドバイザーなのである。)
こういったイノベーションのおかげで、あるイベントについてのライブツイッターフィードを追うことは、政治関連のディベートであれ、「ロスト」のエピソードであれ、ツイッター使途の中心となった。しかし、このようにツイッターを介した形での情報交換はたったの12か月前には技術的に不可能であったのだ。
まるで、オーブントースターを開発したあとで一年がたち、まわりを見回すと顧客たちが自分たちで勝手にそのオーブントースターを電子レンジに変身させているのを目にするようなものだ。
  ※of one's(its) own accord -自発的に、ひとりでに
ツイッター基盤のすごいところのひとつに、非常に大部分のユーザーが第三者が開発したソフトウェアを使用して情報交換をしあっているという事実がある。
アイフォンやブラックベリーでツイッターフィードを管理するためのアプリケーションは数十種類あるが、全て進取的なアマチュアのプログラマーや小さな新設企業によって作られたものだ。
写真をアップロードしたり、自分のつぶやきをその写真にリンクしたりするサービスや、他のツイッター利用者で近隣に住む人を地図上に示すようなプログラムもある。皮肉なことにツイッターを訪れたときに提供されるツールはここ2年の間ほとんど変わっていない。しかし、便利なツイッターツールのホームセンターは他のさまざまなところでみつけられる。
ツールが増えるにつれ、それらに関する意外な新しいものも発見しつつある。先月反共産主義の暴動がモルドバでおこったが、それはツイッターを介して組織された。ツイッターは中国の政治活動家の間で大変広く使用されるようになった。そのため中国当局は天安門事件の20周年にかかるディスカッションを取り締まろうとしてツイッターへのアクセスをブロックした。シックシティーというサービスはインフルエンザと発熱についての発言を追跡することで、さまざまな都市地域より発信されるツイッターフィードを調査している。セレブのツイッター利用者であるカッチャーのような人はその膨大なフォロワーをチャリティー運動へと先導する。(カッチャーのケースでは、マラリア撲滅組織である。)
ソーシャルネットワークは10代や20代の若者の移り気傾向に弱いことで有名だ。(フレンドスターを覚えているだろうか?)そのため今から3年か4年か後は、ツイッターの後釜のようなものに人々は乗り換えているかもしれない。しかしツイッター基盤の鍵である、フォロワー体系、リンクの共有、リアルタイム検索、そういったものはツイッターの運命がどうであれ、生き残るだろう。リンクや、投稿、フィードが過去十年生き続けてきたように、ウェブの伝統的手法として。事実、情報のメジャーなチャンネルはこれから数年のうちになんだかんだとツイッター化されるだろう。ツイッター化とは「ニュースと意見」に変化することだ。(ニュースだけではなく。) 
われわれのレーダーにとびこんでくる話、たとえば飛行機事故や、攻撃的な論説、ゴシップネタ等、はフォローしている人びとからのリンクを通してやってくることが増えてくるだろう。
カスタマイズされた新聞は、ある種の人工知能ソフトウェア手法により編集されるのではなく、ソーシャルネットワークでその朝に読んだ記事のすべてをもとに編集されることだろう。そしてさらなるニュースの多様化と同時に両極化をも導くことになる。ネットワーク化された一面は従来のどんな新聞の一面よりも、さらにえりぬかれた記事内容となるが、自分たちの内輪の反響室をさらに響かせ拡大することを考えている(→自分たちの主義主張や勢力をさらに広めていく、という感じ?)政党員たちは、(but political partisans loking to enhance their own private echo chamber wil be able to tune out opposing view points more easily)反対意見をさらに容易に無視することができるだろう。↑ 隠喩かもしれない?
                      
検索
ツイッターユーザーによって共有されるリンクのアーカイブが増えるに従い、ゆるいソーシャルネットワークをを通して情報を探す、その有用性はグーグルを使用しての検索方法と張り合い始めるだろう。
ベンジャミン・フランクリンについての情報を探すならお気に入りの歴史家のひとりによってシェアされたエッセイのほうが、ひょっとしたらグーグルの上位検索結果よりも役に立つかもしれない。兄弟間のライバル意識によるいざいこざについてアドバイスを探しているならば、友達の友達からのお勧めの記事から読み始めるのが一番かもしれない。
広告
今日広告における伝達方法は印象付けることが勝負だという概念に支配されている。つまり、どれだけ広告主がそのブランドを潜在的な顧客の目の前に、それが屋外の掲示板であろうと、ウェブページであろうと、全国自動車レースの車のボンネット上であろうと、届けられるかということだ。
しかし印象というのは、移ろいやすいものだ。フォロワーのように持続性のある関係と比べてみるとことさらそれがわかる。
成功しているビジネスは何百万ものツイッターフォロワーを得るだろう。(そしてフォロワーを引き付けるために大金をつぎ込む)そうしたフォロワーを手放さないために、ツイッターを基盤としたカスタマー情報交換の全く新しい伝達方法が進化するだろう。新製品や新取引への早期のアクセス、ライブカスタマーサービス、新製品に関するブレインストーミングへの顧客の参加などだ。
こういった発展のすべてがすべてプラスというわけではない。メールボックスに届く瑣末な出来事が人をどんなにかメール依存的状態に導きえるか、ほとんどの人が実体験により学んでいる。しかし、ツイッターやフェースブックを使用しての状況更新により環境認識をすることで、人を注意散漫状態に導く全く新たな世界のドアが開いたのだ。
これまでは自分のプライベートや、キャリアに関して、何か新しいことがおこっていやしまいかと、ブラックベリーを脅迫感にとらわれつつチェックしたものだった。たとえばそれは上司からのメール、昨夜のデートの相手からの返事といったものであったりした。現在、なおも脅迫感にとらわれつつブラックベリーをチェックしている。今度は他人の生活から流れてくるニュースのせいで。そしてツイッター上では少なくともそういった他人の中の何人かにセレブがたまたまいたりするわけで、ツイッターのもつシステムは私たちがセレブとの間に抱くその奇妙な錯覚的関係を拡大するようである。(the Twitter platform is likely to expand that strangely delusional relationship that we have to fame→fameは名詞で有名人 toはwithと同じ意味)これはオプラが実際に近頃やったことだが、飼い犬の叱り方についてツイッターで質問する。すると誰でも彼女に@を使用して返事をすることができ、そういった交流には対等の人々の間でかわされる普段の会話に似たものがある。しかしもちろん、オプラには100万人以上のフォロワーがいて、この一つの質問がおそらく何千という返信を導き出す。彼女にあてられた返信のうち、読まれるものはどれだけわずかであるかなど知ったことではない。けれどもファンからしてみれば、この体験は新鮮で面白い親密さを感じられる。「飼い犬の叱り方についてオプラがきいてきたから、昨晩彼女に説明していたときね・・・・・・。」といった感じだ。
エンドユーザーによるイノベーション
ツイッターをめぐり、目前でイノベーションが次々と展開されてはいるが、もちろん、これは何も新しいことではない。フェースブックの利用者は今もなおツイッターの利用者の数倍もおり、はじめはもっともイケてる大学新入生を品定めするためのツールであったものが、インターネット上のソーシャルOS(ネット上の生活基地)へと変化し、大規模メディア会社、個人ハッカーたち、ゲーム製作者、政治グループやチャリティーなどの手により開発されたアプリケーションにより構成された巨大な生態系を支えている。アップル社のiPhoneが長い間にわたって競争力を失わないのは、1万5千種以上にも及ぶ新専用アプリケーションの開発により、独創的な方法でつぎつぎと、その機能を拡大しつづけていることが理由であることを証明しているのかもしれない。
ウェブの歴史も同様のパターンを踏んでいる。もともとは学者たちが学術文書を配布するのに役立つものとしてデザインされたものが、今ではテレビショーの視聴、世界中の見知らぬ他人とのポーカーゲーム、独自の新聞の発行、高校時代のガールフレンドとの再会、そしてそう、朝ごはんのメニューの世界中への発信さえをも可能にさせている。
ツイッターは社会的創造性の新しいモデルの顔となった。その理由として、ある部分これらツイッターのイノベーションが息をのむような速さで花開いたのというのもあるし、またある部分においては、その基盤がとてもシンプルであったことにも起因する。まるでツイッターの創造者たちはこういった厳しい制限のある基盤をあたえたうえで、何か面白いことをしてみろと挑んでいるようだ。そして案の定、私たちは楽しみつつその挑戦を受ける。たったの140文字で?政治暴動をおこすのに使えるだろうかしらと私は考えた。
ユーザーたちがツイッターの基盤を広めたそのスピードは近代イノベーションについての、さらに重要な真実を示している。イノベーションや国際競争力について語る時、特許や博士といった簡単や測定基準にたよりがちである。その両方においてアメリカの占める割合は70年代初期をピークにだんだんと減ってきていることがわかった。(1970年、世界中の理工学の学位は、アメリカの大学が発行したものが50パーセント以上を占めていた)。80年代半ば、特許や博士数の減少がアメリカのイノベーションの暗黒時代の到来を予言していると悲観論者たちが引きも切らずに警鐘を鳴らしていた。その種の脅威は変化した。80年代は日本であったが、現在は中国とインドだ。
しかしその期間、アメリカのイノベーションとして何が実際にあったのだろうか。アメリカオンライン、ネットスケープ、アマゾン、グーグル、ブロガー、ウィキペディア、クレイグスリスト、ティーボ、ネットフリックス、イーベイ、アイポッド、アイフォーン、エクスボックス、フェースブック、そしてツイッター自体も考え出された。もちろんアメリカはプリウスやWiiを発明してはいないが、世界的イノベーションを単に大学院生の数だけではなく、実際のライフスタイルを変革するようなヒット商品という観点から測れば、ここ20年間というものアメリカはその分野においては常にぬきんでてきたのだ。
どうして予想がこれまでそう悪くありえたのか?それはわれわれが数々のイノベーションの話のほんの一部しか追ってこなかったからである。もし、私が大学院へいきネズミ捕り器を発明したとすると私は価値を作りだしたことになり、それを特許で保護したり、顧客にその発明を売ることで利益を得ることができる。しかしもし他のだれかが私の発明したネズミ捕り器をその人のうんと高価な洗濯機の代替として使用する方法をみつけたなら、そこで彼もまた同様に価値を作り出したことになる。ひとびとは最初の価値の創造に重きを置きがちだ、ねずみ取り器で巨大な富や名声をかちとり、セレブになる発明家などほんの一握りだからである。しかしこれらの発明の新たな使用方法を考え出すことにより新しい価値を作り出す何億もの消費者や小企業の存在がある。
こうした形のイノベーションには、いくつかのバラエティーがあり、それぞれ違った技術名でとおっている。マサチューセッツ工科大学のエリック・フォン・ハイプル教授はそのひとつを「エンドユーザーイノベーション」とよぶが、そこでは消費者が自分たちのニーズにあわせて活発に製品を改良する。誕生後まもないというのに、これまでツイッターはエンドユーザーイノベーションの中心であった。ハッシュタグといい、検索といい、その11,000もの数にのぼる第三者の開発によるアプリケーション、そういった創造的な新しいツイッターの使い方すべてがそうだ。くだらないものもあれば、スパムもあるし、すばらしいものも存在する。ツイッターコミュニティーにより発明された@返信を考えてみよう。本質的には一連の孤立したマイクロブロードキャスト(個人個人がそれぞれの場所でつぶやくというものだが)を使用することで、ツイッターを真に対話的なメディアに変えた。
こうした利用がすべて、さらなる広域経済において新しい種類の価値をつくるのだが、実はそのなかの何ひとつとしてツイッター本部で作り出されたものはないのだ。こうした基盤上では特許も博士号も必要がない。これこそがツイッター現象においてもっともインスピレーションを刺激される点だ。
私たちはここ数世代をみてももっとも厳しい経済危機のさなかにいる。ご存じのとおり資本主義経済の終わりを予言する終末論的なニュースのみだしに脅かされる日々だ。それでもこのカオス状態の中でツイッター本部の技術者たちはサーバーを維持しつづけようとあわただしく働いているし、アプリケーション開発者は最新作を発表し続け、一般のユーザーたちはこうしたたくさんのツールの独創的な使い方を考え出し続けている。ここには味わう価値がある一種の反発エネルギーが存在しているのだ。
天気予報は天変地異がおこると予報し続けているが、ここに何百万という私たちの存在がある。(悪い予報も意に介さず)座り込んでコミュニケーションの新しい形を発明しようと試み続けているのだ。

Friday, June 19, 2009

How to prepare for a Pandemic






Monday, May. 18, 2009
How to Prepare for a Pandemic
By Bryan Walsh

Find this article at:
http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,1896728,00.html


The progress of our reading: June 1 started

  にわか景気に沸く200万人都市で、メキシコ・シティが普段の生活を取り戻した時に最初に見られたものが、公的な宗教儀式や政治的集会ではなく交通渋滞だったことは妥当である。新型インフルエンザの大発生に応じての1週間にわたる閉鎖の後、5月5日-戦勝記念日-メキシコ・シティは再び動き出した。豚インフルエンザの蔓延が速度を落としたことが、メキシコ政府に最悪の時は過ぎ去ったという希望を抱かせた。「我々の戦略はうまくいっている」とメキシコ大統領フィリップ・カルデロンは語った。「我々は、今、緩やかに、日常の活動を再開できる」

  国際保健当局は、新型インフルエンザウィルスの報告が4月の終わりに最初に浮上してから警戒状態にあったが、それもまた緊張を和らげ始めた-ほんの少しだけ。世界保健機構(WHO)や疾病管理センター(CDC)の科学者たちは、深刻または死にいたる事例は、メキシコ以外では、わずかしか発見しなかったし、殆どの国において、この病気の継続する蔓延の証拠も少ししか発見しなかった。5月6日までに、ウィルスは22カ国で1,516人に感染した-*2名の死亡者を出した合衆国での642人を含む-そして、世界は公式には未だパンデミックの瀬戸際にいるが、アトランタのCDC本部でのその雰囲気は相当落ち着いてきた。「我々は、危険を逃れたわけではない」とCDCの所長代理であるリチャード・ベッサーは語った、しかし「我々は、多くの励みになる兆候を見ている」

  だから、*(世界中) *アメリカにおける何百校もの学校閉鎖、*(国境での検疫、)そして手洗いに関する首相の記者会見は騒ぎ過ぎではなかったか? 残念なことにそうではなかった。保健当局が繰り返し指摘したように、我々は未だに新型インフルエンザ大発生の初期にあり、インフルエンザ・ウィルスはうわさ通り予想がつかない。今現在、この新しい病気はもはや季節インフルエンザよりも危険に見えない(新型インフルエンザの遺伝子記号を調べた研究者たちは、どうやら、過去のパンデミックを引き起こした致死的なウィルスの鍵となる突然変異遺伝子が欠けているようだと言う)がしかし、新型インフルエンザは今度の冬により破壊的な形になって戻ってくるだろう-ちょうど、1918年に起った破滅的なパンデミックを引き起こしたウィルスのように。
「突然変異がおこりうる状況だ。」とWHOの健康安全環境部の福田敬二事務局長補代理はいう。「もしウィルスが深刻になるとすると、ここは一気に叩きにいかねばならない。」
( *web version, *magazine version )

June 5


アメリカ、そして世界各国の保健機関当局者たちがとった新インフルエンザウィルスに対する包括的な対応は称賛に値するが、今回の新ウィルスは私たちの気概を真に試すものではなく、単なる威嚇射撃にすぎないというのが本当のところだ。
「今回のことはわたしたちを目覚めさせる警鐘ととらえるべきだ。これ以降スヌーズアラーム(うたたね防止ベル)が鳴ることはないのだと。」
コロンビア大学の国立防災対策センター(National Center for Disaster Preparedness?)所長であるアーウィン・レドルナー博士は警告する。


新型ウィルスは、現在の相互連結した世界が新生の病気に対してどれほど無防備であるかを明らかにした。航空機の利用、国際貿易のおかげで、新しい病原体は2週間にみたないうちに、20カ国にもその種をばらまいてのけたのだ。
しかし、グローバル化は不利な部分も含んではいるものの、真に国際的な疾病調査システムを構築する手段を与えてくれるという点では強みだ。そして世界流行の脅威により、ガタガタのアメリカの医療制度を補完せねばならないことを私たちは思い起こす。感染症の大発生がおこれば、誰もが危険にさらされるからだ。
「世界も健康もひとつ。私たちは共有して生きているのだ。」と国連の食糧農業機関の高官であるジュアン・ルブロス博士はいう。


ウィルス早期警戒システム


まだ新型インフルエンザが単なる豚インフルエンザであったうち、その存在を見逃したのは予期していなかったためだ。豚の疾病に関する調査はアメリカやカナダにおいては散漫なものがあるのみで、メキシコにいたってはさらにない状態だ。
アメリカ豚獣医協会(the American Association of Swine Veterinarians)によると、新型インフルエンザの発生がおこるまでの数カ月間に変わった病状の報告はほとんどなかった。豚インフルエンザはありふれた病気であり、重症化することはめったにないので、獣医ならば気がついたであろうとは必ずしもいえないのだ。(not that vets would have necessarily noticed,since flu in swine is common and rarely serious.)
AASVの事務局長であるトム・バークグレン博士は語る。「警告となる事例は何もなかった」と。


なぜ、ウィルスを探して豚の鼻孔をこすりとり、貴重な医療資源を浪費する必要があるのだろう。


June 8


その理由は、H5N1トリインフルエンザ、SARS、HIVさえをも含む新病原体が最終的にヒトに乗りうつる以前に、動物の個体群の中で潜伏培養されるからだ。
インフルエンザの生態環境において、豚は重要な鍵を握る。トリ、ブタ、そしてヒト、どのインフルエンザウィルスにも感染することにより、ウィルスのミキサーの役割を担う。新型インフルエンザウィルスの発生源や、その最初のヒトへの感染時期は未だ確定できないが、ヒトインフルエンザウィルスについて握っている明確な実態の半分ほどでも豚やその他の動物間に感染するインフルエンザにおいても握っていれば、H1N1の脅威を予測できたかもしれない。
(新病原体をかぎつけることにおいて、ある疫病学者はいう。「まるで私たちは鍵を探しまわっている酔っ払いのようなものです。」)
より早くなった遺伝子配列の解明とインターネットが早期警報システムを作る技術を授けてくれた。
しかし、現在よりも動物衛生に力を注ぐ必要があるし、関連する分野の獣医たちともっと連携をするように医師たちには促すべきだ。
「あまりにも長いあいだ、動物側の公衆衛生は軽視されてきたのです。」と野生生物保護協会の副会長であるウィリアム・カレシュ博士はいう。

June 9

新型インフルエンザは、すでに動物から人に乗り移り、そして定着してしまったため封じ込めるには手遅れだが、動物世界では新型のウィルスがひっきりなしに生まれ育っているのだ。その中には、あのH5N1トリインフルエンザも含まれ、アジアやアフリカでくすぶりつつ、なお突然変異をし大流行の引き金となる可能性がある。グローバル化によって新しい病気に特別に影響を受けやすくなった。しかるべき病原菌体が、しかるべき場所に現れれば、24時間以内に世界中に広がることもありえる。しかし同時にグローバル化によって効果的な防御体制を作るための手段も得た。「いま世界がひとつの地続きの村であるという事実は、以前ならば絶滅してしまっていたであろうウィルスでも、もっと早いペースで根を下ろしてしまう可能性があるということです。」とGVFIの理事長のネイサン・ウォルフェ氏はいう。「しかしまた、全世界共通の免疫システムを作れるということでもあるのです。」


ウォルフェのアイデアはその免疫システムがどんなふうになるだろうかというひな形だ。グーグルなどから資金をうけ、GVFIはアフリカやアジアの現地にチ―ムを設置した。動物やチームの近隣にすむ人々を対象に新型のウィルスについて調査するためだ。

                             
(GVFI has teams on the ground in Africa and Asia surveilling wild animals and the people who live in proximity to them for new pathogens.)

(GVFI has teams which are surveilling wild animals and the people for new pathogens)

survey~ for :~に関して調査する

on the ground :現場で
Survey:監視する



June 10

「これらの番人となる人々」が新型ウィルスが出現すると早期警告を発する。危険な病気が動物から人間に感染するやいなやすぐに発見されたら、素早い対応でその病気を封じ込めることができる。ただし、それも私たちが監視していればに限ってこそ可能なことなのだ。
監視に数千万ドルを使うことで、大流行に対処するのにかかるであろう費用の数千億ドルを節約することができる。とWild life trustの代表であるピーター・ダスザック氏はいう。「一オンスの予防がまさに一パウンドの治療に匹敵するのだ。」

大流行がおきたら

非常に油断のない早期警戒システムでもすり抜けてしまう病原体はあるだろう。ウィルスは、なにしろ抜け目なく巧妙にふるまうのだから。

(They are good at what they do-"what they do" is like a job? being used such as "What do you do?" "I'm a doctor"?)



June15
新しいインフルエンザの大流行は避けられないも同然であり、迅速なタミフルの配備と州政府発のアドバイスの嵐、といった今回のH1N1への反応は、以前よりもずっと大流行にたいして備えができている事実を示しはした。が、本当にそれで準備ができているということにはならない。

世界中に広がり、アメリカ全人口の25パーセントから30パーセントが罹患するような深刻なインフルエンザの大流行がおこれば、われわれの健康保険システムは、データーを詰め込みすぎたウェブサイトのようにクラッシュするだろう。

June 16
不景気による予算削減で州や地域の健康機関は昨年1万人の人員削減を余儀なくされた。そのことにもある部分起因するが、現在の病院はサージキャパシティ(surge capacity:増患緊急収容能力)―つまり、余分なベッドや人工呼吸器といった殺到する罹患者に対応するのに必要なもの―についていえば、ほとんどない状態だ。                                                                                                          ★Surge capacity is the ability to rapidly mobilize to meet an increased demand.







そしてまた、そういった病院が大流行のさなかにおいて医療スタッフを確保し続けられるのかどうかについても保証はない。

「本人が病気になった、あるいは家族の看病をするなどの理由で、公衆衛生スタッフの3分の1が働けなくなったとしたらどんなことになるのだろうか、そんなことはこれまでテストしたことがないのです。」と米国郡市役所の事務局長であるロバート=ペストロンク氏は語る。

健康分野以外において大流行がひきおこす可能性のある混乱、感染症研究と対策センター(CIDRAP@ミネソタ大学)を率いるマイケル=オステルホルム氏はそれを「コラテラル・ダメージ(巻き添え被害)」と呼び、さらなる事態の悪化を懸念する。

※要検討:The "just in time"supply chain on which so many U.S. corporations rely leaves little slack and could buckle during a pandemic.
あまりにおおくのアメリカ企業がジャストインタイム供給システムにたよっているため、余裕をほとんどもたず、大流行の間にくずれる(折れる?締まる?)可能性がある。

★JIT供給。実需にマッチングした供給。必要な時に必要なだけ、ユーザーに提供する。

昨年のあるレポートでCIDRAPは言及している。アメリカの石炭供給のうち40パーセントが自国の発電量の半分を生み出すのに使用されているのだが、その石炭はワイオミングの炭鉱からアメリカのその他の地域へと電車でシャトル運搬されていると。
もし、大流行がいっぺんに大勢の炭鉱労働者を、あるいは少数だけれど運搬する電車を操縦する資格のあるエンジニアを襲ったとしたら。国中いたるところの灯りのスイッチを消しつつ、石炭の供給は早いペースで少なくなっていくことが考えられる。

June 17th

「大流行がおきたら、ふたつの災難を相手にしなくてはならないでしょう。」とオステルホルム氏はいう。
「インフルエンザによる人の罹患とジャストインタイム供給システムによるコラテラルダメージ(巻き添え被害)です。」

「ロンドン大学公衆衛生学・熱帯医学大学院」の調査によると発展途上の国々は大流行にたいして全く準備ができていないことがわかった。とくに顕著なのはアフリカで、そこでの高いHIV感染率がインフルエンザによる犠牲者をさらに増やすことになるであろうのに、アフリカの多くの国々はパンデミック計画をまるきり用意していない。 けれどもアメリカが見本にできる国際的モデルもある。香港だ。2003年にSARSに荒らされた経験があるが、現在は2千万セットものタミフルを備蓄していて、その量は香港の人口の3倍分にあたる。
(米国政府には人口の1/6をカバーするに足るくらいの量と、その他に各州による備蓄分があるのみだ。)
香港のはずれにある休暇村は隔離地域として機能するよう設定されていて、疫学研究と病院のベッド数を増やすことに資金をつぎ込んでいる。
「伝染病の対応においては、香港はまさに国際的ゴールドスタンダードを築いています。」とWHOの大西洋地域事務所のスポークスマンであるピーター=コーディングリー氏はいう。

米国政府は国内の抗ウィルス剤備蓄を増加しつづけることが可能だし、するべきである。
そして2005年のthe Department of Health and Human Servicesにより発表された396ページにもなるドアストッパーのようなパンデミック対策プランの改定版の発表もせねば。

国内においてインフルエンザワクチンの製造能力を強化し、配布量を増やすことも必須だ。しかし本当に国を大流行から守るということは、健康保険システムの中心にある根幹的欠陥にとりくむことを意味する。つまり、何の保険にも加入していない5千万人ほどのアメリカ人をまずはどうにかせねばならない。

保険無加入者らは大流行中に治療を求めて病院へ殺到する傾向が高く、負担の大きいシステムにさらに税金を注ぎ込むことになる。「前世紀のチフスのメリーの話に似通っています。」とコロンビア大学のレドルナーはいう。「保険無加入のそういった人たちは、まったく予測不可能な方法でその病気を広げていくでしょう。」

*Typhoid Marys: 腸チフスをばらまいた保菌者。保菌者であったNYの調理師Mary。1938年

保健非加入者たちが提示する危険は、伝染病についていえば私たちは運命共同体なのだという現実を再び思い起こさせる。
罹患した豚と罹患した人々、メキシコにあるウィルスとニュージーランドでおこる伝染―グローバル化した世界では、遠くにあるようにみえた細菌の脅威が数時間以内には玄関先までやってきうるのだ。
「社会がグローバル化したことで、私たちの強さはその中の最も弱い部分により左右されることになったのです。」とCDCのベッサー氏は言う。
次におこるかもしれないパンデミックを避けるには、あるいは少なくとも生き残るためには―覚えておかねばならない言葉だ。

 ★A chain is only as strong as its weakest link. 常套句:鎖の強さはその中の最も弱い環によって決まるものだ。












Thursday, June 4, 2009

A Middle Ground on Enemy Combatants

A Middle Ground on Enemy Combatants
By Joe Klein Thursday, May. 21, 2009

本文はこちら


  「軍人と法律家はそれぞれに、この国を、同じ情熱を持って愛しているかもしれないのだ」とバラク・オバマは、ノートルダム大学の卒業式での格調高い挨拶の中で話した、「そして・・我々を危険から守るために必要とされる具体的な手続きにおいてまったく違う結果にたどりついている」重ねてこう言える。ここ数週間の間、大統領と両政党の主要な政治家はほぼ全員、軍人と法律家の言い争いに驚かされてきた。些細なこともあった: ホワイトハウスの広報担当であるナンシー・ペロシが、2002年にCIAが水攻めを使ったことについて十分な概要を知っていたかどうかということ。その他のことは対等でない戦争状態の核心に触れている、特に、形のない、国籍のわからない敵との永久に続くような戦争で捕えられた囚人にどういった種類の権利を与えるのかという問題である。

  軍人と法律家は両極端な考え方をする。法律家-中でもすくなくとも憲法的な問題を扱う人は - 見せかけの堅苦しい追加条項の概念的な世界に生きている、その追加条項は戦争の極端な不曖昧さに立ち向かう時に、腹立たしいほど不十分であるとわかる。部隊の軍人は、今まさにここにある恐怖の中で生きている;彼らの決断は命を救うか犠牲にするかだ。中でもしっかりしている者は規則の必要性を理解しているが、概念の贅沢などない。そして、グアンタナモ:法律家は拘留者の権利を守る、軍人は極悪の狂信者たちに過度の権利を許すことによる影響を恐れている-そしてオバマ政権は決着をつけなければならない。  

  困難すぎて妥協案を見つけられないというわけにはいかない、理論上は。この軍人と法律家の主張は、今回の場合は、主張しない両者によって作られている。法律家たちは、ACLUの影響を受けていて、その拘留者たちは、憲法第3条に記されているとおり、民司法制度のもとで、より多くまたは少なく(適切に?)、取り扱われるべきだと信じている。軍人たち、全副大統領ディック・チェイニーによって判断を誤らせられた彼らは、戦争中に、大統領は国を守るために必要な規則を作るための無制限の力を持っているのだと信じている。「両方間違っている」とリンゼイ・グレイアム上院議員は語る、法律家と軍人、まだ空軍基地の中のJAGのようなところで過ごしている人たち。「ハイブリッド・システムが必要だ、だからこそ軍委託に賛成するのだ」  

  「混成」システムは、証拠に関する規則と、国家安全の必要性の間で物議をかもし出すかもしれない。オバマは、軍事委託への主な反対意見に対して説得した、強制尋問によって集められた証拠は法律的に認められないことを提案して。ドラマチックさには欠けるけれども、より重大な問題は内密に取り扱われなければならない。ブッシュ - そして現在はオバマ - 政権は、非常に多くの政治犯に対する証拠が、機密情報源からのものや監視システムからのもの、同様に、合衆国の訴訟手続きでの証言を拒む第三国の諜報部からのものであるために、政治犯は公判に出られないのだと主張する。ACLUのクリス・アンダースによれば、現行の法律は、機密の証拠を、その証拠提供者を明かさずに民裁判に要約提出することを認めている。「問題は、公判では、判事と弁護士がいつもその情報源を知りたがることである」と前CIA所長のマイケル・ヘイデン氏は語る、彼は自分が、ある、民間テロ事件に協力するために惜しみない努力をしたのだと語る「だがうまくいかなかった。」  

  グレイアム上院議員は、オバマが提案した軍事委託システムの改正に賛成する、そしてもうひとつ賛成する: 「思い違いするのはよそう。我々は、ここで事実上の終身刑を与えているのだ、そして何らかの民間による再調査があるべきだ。」というわけで、グレイアムは - 彼は、そういった手続きはグアンタナモとアフガニスタンの両方の拘留者に適用されるべきだと信じている -国家安全裁判所を提案した、これはFISA (Foreign Intelligence Surveillance Act)の事件の審判を務める陪審員に似ている。その議事録は非公開となるだろう、しかし民判事は、全ての事件が軍事委託される前に、全ての証拠を再調査する最高機密保証を得るだろう。これは、著しく妥当な妥協案のように私には思える。  

  ほかの殆どのこと、法律家と軍人の竜巻の中で渦巻いている問題は、些細なことあるいはうわべだけのことである。最近の、グアンタナモの拘留者をどこに収容するかという問題についての騒動は安っぽい政治である、民主党議員の無言の協力を得た必死の共和党員に扇動されているのだ。非常に多くのテロリスト受刑者が現在合衆国内の刑務所で刑期を務めている。それは、合衆国には、最大級の安全管理対策が施された刑務所があるからである、たとえば、コロラド州フローレンスにある”アドミニストレイティブ・マキシマム”のような。軍事裁判で有罪になったものは軍事刑務所に収容されるべきなのだ。   

  合衆国の職員がイラク人を拷問にかけている写真を、これ上公開するのかどうかという問題はより難しい、しかし、公開を差し止めるという大統領の決定は正しいことだと信じている。写真は、この卑劣な振舞いについて我々が知っている情報に、何も付け加えない - そして、海外で働く人の安全を非常に引き下げるかもしれない。私はここで偏見を認めなければならない:私の息子は、バグダッドに赴任している合衆国外交官である。彼の家は、殆ど毎晩ロケット弾の攻撃を受けているのだ。そういった写真によって激怒したイラク人による彼の安全に対する脅威というのは空論ではないのだ。私にとって、この現実は - 何十万人もの兵士や外交官や援助活動者の親達が日々生きているという現実 - 周知のことを知るというような余分な権利を凌ぐものだ。単純に常識である ― バラク・オバマがこれらの問題を取り扱う場合に最優先されるべき質のものである。





How to Close Guantánamo: A Legal Minefield

グアンタナモ閉鎖方法:法律の地雷原
By
Mark Kukis / Washington Tuesday, Nov. 11, 2008

http://www.time.com/time/nation/article/0,8599,1858205,00.html?iid=sphere-inline-bottom









U.S. military guard walks by at a maximum-security prison at Guantánamo Bay, Cuba
Brennan Linsley / AP


ニール・ケイチャル以上に、キューバ、グアンタナモ・ベイにある合衆国軍事刑務所を取り巻く法律のジレンマをしっかり理解している弁護士はほとんどいない。2006年、ケイチャルは最高裁判所で、ブッシュ政権のグアンタナモにおける軍事審議委員会の合法性を争う案件をうまく取り扱った、その裁定は、X線基地の終焉を告げる最初の兆しのひとつであった。しかしその2年後、グアンタナモ閉鎖の方法に関する難題は、ケイチャルから大統領に選ばれたバラク・オバマの周りに集まる法律顧問たちにいたるまでの法律的な考えを困らせ続けている。「これは壮大で難解な問題だ」とケイチャルは語る。彼はジョージタウン大学で国家安全法を教えている。「私は、実際はっきりした答えがわからない」

オバマはグアンタナモを閉鎖し、軍事委託活動つまり2007年のグアンタナモ収容所継続を支持する法律を棄却すると宣誓した。しかし、重大な障害はその道筋にある、新しい大統領の明確な支持においてさえ。

第一に、今現在グアンタナモに収容されているおおよそ255人をどうするか?である - そのうち告発されたのはたった23名である。もし、オバマが出来る限り迅速にグアンタナモの閉鎖を推し進めたいならば、大統領命令によって大統領として踏み出す最も強い一歩で単純に基地を閉鎖し、全ての政治犯を合衆国内の刑務所に移送することができる。その時点で、理論的には、政治犯は4つの結末のどれかに直面する可能性がある;連邦裁判所で裁判にかけられる可能性のある罪での告発;軍事裁判の統一法による出廷;母国政府への送還:または、単純な釈放である。

多くの市民権活動家は、ブッシュ政権の主張がそうではなかったにも関わらず、現存の軍や民の刑事裁判所がグアンタナモの案件を扱いうるし、255名それぞれの処分を個別に決定できるのだと言う。しかし、多くのグアンタナモ政治犯が何年もの間耐えてきた合法的拘留は重大な問題を提起する。なぜならば、そのような人を拘留することの根本的な目的は、裁判に連れ出すことではなくて、むしろ尋問を通して有益な情報を得ることであった。この点では、適切な刑事事件を具体化することは難しいかもしれない。

クハマド・シェイクハ・モハメッドの例をとると、彼は合衆国内に拘留されている最も年嵩のアルカイダ工作員である。現時点では、彼の件とほかの多くの重要人物については本質的に、軍事委員会のところで行き詰まったように見える、オバマはこの委員会を停止すると選挙中に誓約したのだが。しかしモハメッドや他の似たような事例を連邦裁判所において起訴することは、扱いにくいことがわかる。少なくともモハメッドに関する証拠のいくつかは、ひどい尋問によって集められたように見えるし、それは法廷では認められないかもしれない。彼の検挙と拘留は、容疑者の安全を保護する合衆国の民法のもとでは、必要な手順とは一切認められない - そしてしばしば刑事訴訟を最小限にする、あるいは回避するための逃げ道を与える。モハメッド裁判と同じ法的な障害の多くは、あらゆる試みの中で生じる、なぜならば、通常の軍事裁判には証拠と法的手順に関して似た規則があるからだ。

根本的には、モハメッドとほかの約14の事例、政府が起訴の意向を表している事例を裁判にかけるためのよい選択肢はない、なぜならば、ブッシュ政権は、大統領命令によって何年にもわたって彼らを拘束してきたからだ、通常の合衆国刑事および軍事法に違反して。そして、もしグアンタナモがなくなった場合、テロのような実態のわからない戦争状態において捕らえられるテロ容疑者を今後どうすればいいのか?という疑問がある。テロ工作員の容疑をかけられた者は、これから先何年ものあいだFBIやCIA,そして軍の手に落ちるだろう。オバマは、国家安全裁判所などと呼ばれるものを作ることの効果を心配するかもしれない、それは本質的に軍と民の刑法を取り混ぜた混成の審議委員会システムなのだが。国家安全裁判所の創立に賛成する人たちは言う、新たに注意深く構成されたシステムだけが、機密証拠や他のしばしば通常の刑事および軍事裁判所の手続きを混乱させるような問題に対処できるのだと。

この考えは何人かの重要な支持者を得ている、それはケイチャルとジャック・ゴールドスミス前副司法長官を含む、この人は法務省での任期中ずっと、グアンタンナモや他の問題で、ブッシュ政権下の上官と対立していた。月曜日にThe Associated Pressが、オバマのアドバイザーを名指ししないで引き合いに出して報告したところによると、新大統領は、いくつかのグアンタナモ事例を解決するために新裁判所の提案を早めようと計画している。しかし、多くの法律思想家はそのような取り組みに反対している、彼らはそのような事例は連邦裁判所に起訴されるべきだと訴えているのだ、連邦裁判所は多くの事例において効果を証明してきたのだからと。また、多くの人が、新国家安全裁判所は現行のグアンタナモ審議委員会と同じ難関に直面するだろうと主張する、現行の審議委員会というのは、何百もの憲法上の難題を引いている間に手続き上の混乱によって行き詰まっている。Also, many argue that new national-security courts would likely face the same difficulties as the ongoing Guantánamo tribunals, which have floundered because of procedural snafus while drawing hundreds of constitutional challenges.「多くの人は反対しているしその理由はたくさんある」とケイチャルは提案された国家安全裁判所について語る。

現れたオバマ移行チームは、未だグアンタナモ閉鎖に関する計画について正式には詳細を示していない。選挙事務局が言うには、新大統領はまだ、このことや他の一度は大統領として決断しなければならないような問題について彼に助言するための法律チームを形成中である。オバマは選挙戦で勝利して依頼この問題について語らなかった、そして、月曜日にホワイトハウスを訪問したときにこの問題についてブッシュ大統領と議論したような素振りも見せなかった。しかしブッシュがオバマに残したグアンタナモ問題は、大統領に選ばれた者がついに大統領執務室の席に着くときに直面する最も困難なことのなかの一つになるだろうという小さな懸念がある。