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Saturday, April 17, 2010

The map that changed the world

世界を変えた地図
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/magazine/8328878.stm

半世紀前に描かれて間もなく忘れ去られていた一枚の地図が、現在我々が知っているのと同じ世界を見せてくれ、またアメリカという国名をつけるのに一役買った。しかし、トビー・レスターが発見したように、世界最強国アメリカの国名は語呂合わせでもあった。

ほぼ500年前の1507年に、マーティン・ヴァルドゼーミュラーとマティアス・リングマンという、東フランスの山岳地方に拠点のある2人の無名なドイツ人研究者たちが、地理学的考察の歴史において、いくつかの最大の飛躍のうちの1つをおこした、実際にはより広義な考察の歴史を変えのた。

「宇宙構造論への誘い」と銘打ったもう1つのの平凡な論文の終わりのほうで、ヴァルトゼーミュラーとリングマンの2人は、世界が古代より知られていたように、アジア、アフリカ、ヨーロッパの3大陸のみで成り立っているのではなかったという驚くべき情報を読者に向けて発信した。これまで発見されていなかった第4の大陸が、イタリア商人であるアメリゴ・ヴェスプッチによって最近発見された、そこでヴェスプッチの功績をたたえて、新大陸をアメリカと命名することにしたと、宣言したのだ。

しかしそれは始まりでしかなかった。ヴァルドゼーミュラーとリングマンが「宇宙構造論への誘い」を執筆したの、実は、彼らの代表作である大きくて革命的な新世界地図への単なる手引書としてであった。この新世界地図こそ1507年のヴァルトゼーミュラー地図として今日知られているものだ。

このヴァルトゼーミュラー地図はかつて(そして今でも)素晴らしく目を見張るものである。コロンブスが最初の大西洋横断をはたした15年後に、横8フィート縦4と1/2フィートという並はずれた大きさのこの地図は、地球の構造について基本的な新しい知識ををヨーロッパの人々に浸透させた。

この地図は膨大にある史上初のものを意味した。アメリカにその名をつけたことに加えて、新大陸を独立した大陸として描いた最初の地図だった ― コロンブスやヴェスプッチや他の昔の探検家たちは、大陸はアジアの極東限までつながっていると終生主張したかもしれないが。

ヴァルトゼーミュラー地図は、探検家フェルディナンド・マゼランが後に太平洋と呼んだものを最初に示唆したものであるが、新世界発見の歴史標準によれば、ヨーロッパの人々が、この時より数年後までは、太平洋地域について知らなかったと考えるとはこれは奇妙な見解である。

世界は4大陸

ヴァルトザーミュラー地図はごく最近ポルトガル人が一周したアフリカ大陸の海岸線全域を表記した最初の記録書である。もしかすると最も重要なことは、経度360度全体を用いて世界地図を配置した最初の地図のうちの1つでもあったということだ。要するに、今日われわれが知っているのとほぼ同じ世界を描いた最初の記録書として、まさに現代の地図の母だったのだ。

1507年から数年のうちに、ヴァルトゼーミュラー地図の複写版が、中央ヨーロッパ中の大学に出回り始めた。大学で講義室に展示され、地理学者や旅行者のような人たちが議論したりして、この世界地図は一般の人たちに4大陸世界の考え方を浸透させた。

ヴァルトゼーミュラー自身は、後に、自身の地図が1,000枚印刷されるという記録を作ることになった、この数字は時代を考えると実に大したものである。しかし、急速なペースの地理学的発見によって、間もなくヴァルトゼーミュラーの地図は、より新しくより最新式の世界地図にとってかわられて忘れられてしまい、1570年までには人々の記憶からほぼ消え去ってしまっていた。

地図製作者アブラハム・オルテリウスが、その年(1570年)、地図製作者の先駆者たちについてとそれぞれの地図の総覧を出版した際に、ヴァルトゼーミュラーについて言及したが、この偉大な1507年の地図は取り上げていなかった。

残っていた最後の地図

幸運にも、複写が1枚残っていた。1515年から1517年の間のどこかで、ニュルンベルグの数学者ヨハネス・シェーナーがヴァルトザーミュラー地図の複写版を手に入れて特大の二つ折りのフォルダーに挟み込み、自身の参考図書にしていた。

それから数年の間、シェーナーは地図を詳しく調べたが、何十年かが過ぎてより新しい地図が手に入るようになると、シェーナー自身の興味は地理学から天文学へと移ってゆき、ヴァルトゼーミュラー地図を開いてみることもしだいに少なくなっていった。シェーナーはその地図を、1545年に死亡するまで何年ものあいだ開かなかっただろう。その最後に残ったヴァルトゼーミュラー地図の複写は、シェーナーのフォルダーの中で美しいまま保たれ、長いまどろみにつき始めていた―そしておよそ350年もの間再び目覚めることはなかったのだろう。歴史的に貴重なものが時としてそうであるように、その地図は偶然発見された。

1901年の夏、イエズス会の地理学教師であるジョセフ・フィッシャーが南ドイツにあるヴォルフエッグ城の書庫を調べていて偶然シェーナーのフォルダーを見つけ、すぐに何を見つけたのか気がついた。

数ヶ月間、彼の発見は世界を駆け巡った。「待望の地図発見」、と、ニューヨークタイムスのある見出しが1902年3月に報じた。「最古のものとして知られているアメリカという言葉の記録書がついに白日のもとに」と。

その地図は、それから100間ヴォルフエッグの所蔵品のままだった―2003年にアメリカ国会図書館が、1,000万ドルという大金をはたいてヴォルフエッグ城の所有者からその地図を手に入れたことを鳴り物入りで発表するまでは。

この金額はアメリカ国会図書館がその膨大な商品のなかのどれに支払ったよりも高額であった。自信満々に、記者会見の席でアメリカ国会図書館はこの地図のことをアメリカの「出生証明書」だと言った。

金額ほどの価値は?

その金額に見合う価値があったのだろうか?そんな価値はなかったとぼやく有識者たちもいた。ところが最近国会図書館で公開展示されているこの地図は、その分野の研究者も他の分野の研究者も新たな視点から見るようになり、かつて予想されていたよりもずっと意味深く、独特で非常に歴史的な価値のある記録書であることがわかってきた。

ヴァルトゼーミュラー地図には、いくつかの異なる地図の寄せ集めであることが如実に表れていることがわかった:古代ギリシャ・ローマ人によって描かれたようであり、ヨーロッパのキリスト教神学者たちによって図式化されたようでありまた、地中海と大西洋を定期的に往復していた水夫たちによって図表化されたような世界である。

他にもある。例えば、アメリカの国名には、おそらくアメリゴ・ベスプッチに対する敬意だけではなく、「新生」と「どこでもない場所」の2つの意味にとれる異なる言語を組み合わせた語呂合わせも見てとれる―トマス・モアにひらめきを与え、海の向こうの新世界を考えださせた、ふざけた新造語の1つの意味もまた「どこでもない」であった、ユートピアのことである。

この地図自体は他でもないニコラス・コペルニクスその人に強い印象を与えたようでもある。コペルニクスは、代表作である「天体の回転について」の冒頭で、アメリカを、自身が見たヴァルトゼーミュラー地図に描かれていたとおりに記述し、それから第4の大陸(アメリカ)の存在は、地球だけでなく宇宙における従来通りの形を再考しなければならないということを意味するのだと主張した。

最後に残ったヴァルトゼーミュラー地図は、アメリカにその名を与え、ヨーロッパに新大陸の存在を知らせただけでなくコペルニクスが宇宙について再考するのに一役買ってもいたのだ、1,000万ドルはまさに妥当な金額だったようだ。

トビー・レスターはその著書「第4の大陸」において、ヴァルトゼーミュラー地図について述べている、プロフィール・ブックスより出版。



Wednesday, February 3, 2010

Never forgetting a face

http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/magazine/8474827.stm
By Pam Rutherford

この人たちをパッと見ただけで後から思い出せますか?

多くの人は、人の顔と名前を一致させるのに苦労する時があるものだが、もし、何年も前にほんの一瞬見ただけの人の顔と名前を識別できるとしたらどうだろう?

道を渡っている女性を知っている。でも何処で会っただろう?

ああ、その女性は、数年前に選挙に行ったときに会った、投票所のヴォランティア・スタッフの一人だった。その女性に会ったのはおそらくほんの2~3分だろう。それも数年前に。

すぐに思い出せるようなタイプの顔だったように聞こえただろうか?

ジェニファーにとってはそうなのだ。彼女は、"スーパー・レコグナイザー" 、人の顔と名前を思い出すことに関してかなりの並はずれた能力を持った人物である。

実際、ほぼ絶対に人の顔を忘れないでいることができる。最初に、普通じゃないかもしれないことに気がついたのは家族との休暇中、飛行機の中で、あまり有名でない俳優を見分けた時のことだ。家族は信じなかったが、正しかったことが証明された。

しかし大学で本当に実感することになった、ジェニファーは他の人とは違っていたのだと。

「最初の数週間に沢山の人と会ったんだけど、全員のことを覚えてた、会った時間がどれだけ短かったかは関係ないの。そのあと、パーティーで会った人たちは、みんな私のことを覚えてないみたいだった。私はこう考えたものよ:あの人はすごく嘘つきだわ、3週間前にカフェで30秒間会ったのに、みんな私のことを覚えていない振りをするなんて信じられない、って。」


偶然の出会い

会ってから何年も過ぎていてたとしても問題ない。

ジェニファーは子供のころに2~3度会った人に、地下鉄で会った話をしてくれた、今、20歳年をとって白くなった髪をドレッドスタイルに纏めていたその人が誰なのかはっきりとわかったという。

「人は年をとるものだけど、私には顔が同じに見えるの」とジェニファーは言う。「私にとっては、人の顔は変わらないのよ、子供の時も大人になっても。何故だかわからないけど、記憶が呼び覚まされるのよ。」

まるで小気味良い手品のようだし、もしくは仕事の役に立つかもしれないが、研究者にとってはそれ以上の意味があるようだ。

ジェニファーの能力は、彼女とは逆の状況にある人たち、"フェイス・ブラインドネス" として広く知られている、相貌失認症に苦しむ人たちの研究をしている科学者の助けになるかもしれない。

クレアは49歳の4児の母親で、その症状を抱えている。

彼女は、2004年5月にウイルス性脳炎を発症し、重度の記憶喪失の上さらに、人の顔を見分けられず苦しんできた。

「退院して、誰だかわからない人たちの家に来たの、この人たちが自分の家族なんだと信じるしかなかったわ。エドは自分の夫なんだと信じるしかなかったし、自分自身に言い聞かせるしかなかった、この人が私が愛してる人で、この子供たちが私の子供たちなんだって。」

クレアの、顔に関する問題は続いている。彼女は今でも、子供たちが友達と一緒にいると、自分の子供を見分けることが出来ないでいる。しかし、最近の自慢話を披露してくれた、人ごみの中で、夫のエドを見つけ出したことを。それでもまだ、友人や家族を見分けるのに、様々な方法が必要なのだ。

鏡に映った自分の姿さえ、驚きを隠せない。

困難な状況

この症状を抱えて生活し、克服する方法を身につけるのは努力を要する上、クレアにとって人生は困難なままである。

「他人の者のように思える生活を続けるのは簡単なことじゃないし、それに、より多くの人と付き合うようになればなるほど、この相貌失認症というものがより大きな障害になるの。誰かの顔を見たときに捉えた知識と情報は当然全部必要なものよ。」

「誰も、その情報全部が自分からパッと消えてしまったらどんな感じがするか考えたりしないものよ。誰にもそんなことが起きてほしくないわ。」


この症状は、相貌失認症、平常者、スーパーレコグナイザーと、たった3つの顔認識グループに分けられるものではないのかもしれない。


むしろ、顔認識の範囲というのがあるのかもしれない、と言っているのは認知神経科学研究所およびロンドン大学相貌失認症研究センターのブラッド・デュケイン氏である。


クレアの場合は、脳の損傷によって後天的に相貌失認症に陥ったのである。が、"発育性"相貌失認症と呼ばれる多くの場合さほど深刻ではないもう1つのタイプがあり、こちらは先天的な障害である。


さらに、驚くことにこちらの症状はよくみられるのだ。50人に1人が相貌失認の可能性があるのだが、ほとんどの場合本人は知らないだろう。


一方で、科学者たちはスーパーレコグナイザーについての研究を始めている、相貌失認症の注目度が高まったためにしばしば接触するからだ。


科学者たちは、スーパーレコグナイザーの脳を解明し始めた、彼らの神経回路を解析し、脳灰白質にどういった構造的または機能的な違いがあるのかを分析しているのだ。


標準的な顔認識テストでは、スーパーレコグナイザーたちは常に全問正解だ、ところが、その顔が非常にぼやけている場合でさえ彼らはほぼ全問正解するのだ、と認識の専門家である、ゲティスバーグ大学のリチャード・ラッセル教授は言っている。


「この研究が意味する最も衝撃的なことは、はみんなが同じものを見ていると思っているのだが、少なくとも顔を見ることに関しては、同じものを見ているわけではないことをこの研究が示唆しているということである。」

「スーパーレコグナイザーたちは、他の人とは異なる方法で世界を見ている、それは顔を見ることだけに限らず、違った捉え方で世界を見ている可能性がある。そこで、我々は、このことが、精神や脳の働きについて理解する上で、非常に役に立つだろうと考えている。」

相貌失認症患者のように障害に苦しんではいないとはいえ、スーパーレコグナイザーたちは時々それでも自分の態度を変えることを選んでいる。









Sunday, September 13, 2009

Secrets of bird flight revealed

Secrets of bird flight revealed
http://news.bbc.co.uk/2/hi/science/nature/7205086.stm
Secrets of bird flight revealed
By Rebecca Morelle Science reporter, BBC News


鳥たちが最初に飛行できるようになったのは、どのようにしてなのだろうか。その謎の解明に一歩近づいたのかもしれないと科学者たちは考える。

鳥が飛べるようになったその過程を解明する重要な鍵は、翼をはばたかせる角度にあるのではないか、と「ネイチャー」誌に掲載された論文が示唆している。

アメリカの研究チームが鳥は走るとき、飛ぶとき、また滑空するときも、翼を一定の限られた角度で動かすということを発見した。

初期の鳥類は、ちょうどよい角度で翼をはばたかせることを単に会得したことで、飛び始めたのかもしれないと結論づけた。

「その単なる羽ばたき方が鳥の進化、そして飛び立つ段階に至るまでの源基であるようだ」

研究を行ったのはケン・ディアル、ブランドン・ジャクソン、そしてパオロ・セグレで、三人ともモンタナ大学の航空学研究室が研究拠点だ。

ディアル教授はいう。「少なくともここ150年間の鳥の起源とその飛行についての人々の関心はかなりのものでしたが、悲しいことに今までその問題はスムーズとはいえないとりかかりからアプローチされてきたのでした」。

教授によると、この領域を調査している科学者たちは、二つのグループに別れる傾向があるのだという。鳥が飛ぶことを学んだのは、木から飛び降りて滑空するという「トップダウン(上から飛び降りる)」方式によるものだったと考える一派と、おそらくは捕食者から逃れるために走ったり羽を羽ばたかせたりすることによる「グラウンドアップ(地面から飛び立つ)」方式によって飛ぶことができるようになったと考える一派だ。

しかしこれら双方のシナリオによると鳥類が浮揚するためには、まずさまざまな翼の動きが確立されている必要があったであろうということになる。

ひらめきの瞬間

2003年 ディアル教授とその研究仲間たちは、鳥たちが急な傾斜を駆け上がるときにも翼を利用していることを明らかにした論文を発表した。

「これは重要な発見でした。鳥たちが見せている動きですが、以前なら私たちは全く気にもかけなかったものです」。と教授は解説する。

「鳥たちが翼を使うのは飛ぶときのみではないし、また足を使うのは平地を走るときのみでもない、実際は、それが巨礫であれ、木であれ、崖であれ、急な傾斜をよじ登るときには翼と足の両方を使うのです」。

この新しい研究が、次に述べる発見につながったのだと教授はいう。

高速ビデオを利用し、ディアル教授は小さなウズラに似たイワシャコという鳥の翼の動きを、急な傾斜を走り登るとき、滑り降りるとき、飛ぶとき、について観察した。

教授はBBCに語った。「驚いたことに、得たデータすべてが鳥たちは全く翼の角度を変えていないということを示していたのです」。

「額をピシャッと叩いて、こうつぶやきたくなる瞬間ですよ。翼の羽ばたき方は動作が違えば変わるものだとずっと思ってきましたが、母なる自然は、あらゆる動作を行うのにたった一通りの羽ばたき方でよしとしたのだということがわかりました」。(自然の摂理によって、あらゆる動作はたった一通りの羽ばたき方で行われるのだということがわかりました)

研究チームは、その後さまざまな種類の鳥たちを研究し、同じ一定の角度で羽ばたいていることを確認した。

また、巣立とうとするひなたちが飛び方を覚える際の翼の動きも観察した。

孵化したてのひな鳥たちの羽は小さくて未発達なため飛ぶことができない。しかし急傾斜をかけ上がるとき、その翼を羽ばたかせる。それは成鳥たちが同じく傾斜を駆け上がるため翼を羽ばたかせるときのと同じ動かし方と角度であるのことがわかった。

鳥たちは、傾斜から滑降するときも翼の角度を同じにとるのだ。

ひな鳥たちの初期の翼は、数例の恐竜にみられる未発達の翼の原形に似ていると研究者たちは考える。

恐竜たちは、あたりに散在する岩や障害物を飛び越えるため翼を発達させたのかもしれないとダイアル教授は述べる。

その翼が体重をサポートできるほど、大きく強く発達し、ちょうど良い角度で羽ばたかせることができたなら飛ぶことが可能になっただろうと結論づけた。

「単なる羽ばたき方を学ぶことが飛べる段階に至るまでの最も大事な問題であったようなのです」とダイアル教授は語った。

Tuesday, August 25, 2009

'Trees of life' are vital food source

'Trees of life' are vital food source
「いのちの木」は大切な食糧源

http://news.bbc.co.uk/2/hi/science/nature/8181510.stm

VIEWPOINT:
Miranda Spitteler

木々がもたらす「飢饉食」は、そのほかの作物がおしなべて凶作の時に干ばつにおそわれたコミュニティーの生命線となりうるのだ。とミランダ・スピットラーはいう。そして政策者らは、緊急食糧援助を支給する際に、木々が果たす重要な役割を認識する必要があると今週のグリーンルームで主張する。

   『ひんぱんに食糧不足に襲われる国々で暮らす人々は、これまで慣行的に行われてきた援助の必要性を減らすにあたり木々が担うことができる重要な役割のことを古くから知っていたのだ。』


食糧不安は世界でも非常に貧しいとされる大部分の人々の生活の顕著な特徴であり、気候変動や食糧価格の高騰により今ではさらに悪化している。

緊急食糧援助はここ数十年間、干ばつや飢饉といった危機時において国際社会がおこなってきたおもな対応であった。

しかし、緊急事態がおこるまえに対策をうっておくほうがはるかに有効だ。

東ブルキナ・ファソの農夫アルゾーマ・ティオンビアーノは、1980年代の中頃に木々がどのように人々の命を救ったのか思い起こす。

「20年以上も前の話だが大きな飢饉に見舞われたことがあった。けれど、みんなバオバブの葉や実を食べて飢餓から逃れたんだ」。

ひんぱんに食糧不足に襲われる国々で暮らすひとびとは、これまで慣行的に行われてきた援助の必要性を減らすにあたり、木々が担うことができる重要な役割のことを古くから知っていたのだ。

欧米がこの役割を認識し、その土地の木々を基盤とした解決策への実際的な支援がすぐにも必要だ。


絶えることのない食糧

今年アフリカ本土の広範囲を襲った干ばつが、作物を台無しにした。国連の食糧農業機関によると世界中で30カ国が危機的状態にあり、海外からの援助を必要としている。

気候変動の影響で干ばつは日常茶飯となった。このことにより必要最低限の食糧ニーズをみたせるかどうか非常に危うい国々は、さらに危険な状態においこまれる状態となった。

西アフリカのブルキナ・ファソでは、貧しい農村のおよそ40パーセントが栄養不良問題をかかえる。
気候変動はすでに脆弱である農地の体力をさらに奪い、食糧の値段の高騰が人々の健康にも影響を与えている。

ブルキナ・ファソのような国の食糧不足と餓えが「緊急事態」レベルに達し援助発動の対象となるころまでには家族、コミュニティー、農作業、土地すべてが大変な打撃をこうむるであろう。

7月はじめにイタリアで開かれたG8首脳会議では、そういった緊急食糧援助の必要性を多少なりとも減らすために、原産の食糧品の生産を支援するために二百億ドルを費やすことが確約された。

しかしこの公約では、木々が果たすことのできる重要な役割について何もふれていない。

「従来の」作物はその土地原産のものではないことがよくあり、よい収穫を得ようとすると、多くの投資、大規模なかん水、そして土地の整備が必要であった。

つまり、そういった作物は干ばつの影響をいっそう受けやすいということだ。アフリカの乾燥地域の小自作農にとって、収穫の失敗は数カ月にも及ぶ栄養失調と困苦欠乏を意味しうる。



一方、樹木類はほかの作物が枯れてしまったときでも生き残ることがよくある。一般に西洋の人々には「飢餓食」として知られており、木がもたらす食糧はアフリカの農村全域において既に毎日の食物のかなりの部分を占めている。



木は果物、ナッツ、タネ、葉、花、ガク片、それから樹液さえも供給し、それらすべては食糧として使える。



ワサビの木(Moringa oleifera)を例にあげてみよう。その葉はニンジンより多くのベータカロチンを含み、プロテインはエンドウ豆以上、またビタミンCはオレンジ以上に豊富だ。カルシウムについては牛乳より、カリウムはバナナより多く、鉄分にいたってはその量はホウレンソウより多い。


授乳中の母親がワサビの木を摂取すると、より多くの授乳が可能になることがデーターにより示された。

葉は乾燥することが可能なので、飢餓時に食糧にすることができる。そして木がもたらす動物の飼料もまた乳や肉を生産するのに欠かせないものだ。

この現存する土着の「緊急援助」こそがG8財政支援が力を入れるべきものとして求めなくてはならないものだ。

自助

餓えとの戦いでは、-特に干ばつ時においては-世界中の貧しさの中心にいる人々をターゲットにしなくてはならない。つまりそれは、アフリカの農村の小自作農なのである。

『樹木の価値が世界中のあらゆるレベルの人々に認められるときなのだ』

農業・林業両用の土地利用技術は土地の肥沃度を増し、木々からの収穫を約束し、栄養を補おうとするものであるが、その技術を導入するにはサポートが必要なのだ。自分たちの土地に投資を行うための適切な環境、情報を共有する力、草の根レベルでのささやかな援助が彼らには必要なのだ。

村人たちが木々からの収穫で収入を得られるように、トレーニングとサポートをすることで援助をすることができる。

この収入により、収穫がないときに食糧を購入する力ができ、健康管理や教育といった大変重要なサービスにも手が届くようになる。

こうした働きかけで農村コミュニティーと国家経済の両方の自足率を増加することが可能だ。環境をさらに安全なものにし、生計手段を多様にし、貧しい世帯が気候変動や外部からの衝撃にたいして受ける影響を和らげるのだ。

実際に持続可能な長期の報酬をもたらすことが可能なのだ。

ブルキナ・ファソにあるドンゴという村では、ツリーエイド がビレッジツリー・エンタープライズ・プロジェクトにより、木々からの収穫物で村人たちが収入を得られるように支援することをねらいとして活動している。そのプロジェクトに参加しているのはすべて女性だ。

参加者の夫のひとりはいう。「前回の干ばつのときは穀物倉庫が空になり、一家の収入の半分以上に妻の稼ぎが貢献したんだ」。(このまえの日照りのときなんかには米蔵がからっぽになって、一家の稼ぎの半分以上が母ちゃんの稼ぎだったんだわ。)

このようなプロジェクトは、その土地の木々をうまく育てるためのスキルと支援を地域社会に与える。そしてドンゴに住むような人々たちの干ばつや凶作、食料値段の高騰などに対する抵抗力を強めることができる。

樹木の価値が世界中のあらゆるひとたちに認められるときがきたのだ。

G8のような機関は農業、林業両用の土地利用がもつはかりしれない可能性を開発していくと確約しなくてはならない。そうすることで今日の世界が直面している2つの重大な問題の解決策となるスマートで高度な取組を示すのだ。

こうしたプロジェクトは、もっとも貧しいとされる人々の貧困や食糧不安を緩和すると同時に木の保護と植栽をすすめる。そしてそれが気候変動による影響に取り組むこととなるのである。