Thursday, June 25, 2009

How Twitter Will Change the Way We Live



How Twitter Will Change the Way We Live
By Steven Johnson Friday, Jun. 05, 2009

Find this article at: http://www.time.com/time/business/article/0,8599,1902604,00.html
参考(一ページでわかるツイッター総合案内): http://1p-info.suz45.net/twitter.htm
                     
ツイッターはどのように私たちの生活を変えるのだろうか
(たった140文字内で)

かつては単なる一時的流行であったツイッターがパワフルなコミュニケーションツールへと成長しつつある。その成長は今日の世界の何を反映しているのか。また、アメリカのイノベーションのいくえについてはいったい何を?
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ツイッターについて、ひとつ確実にいえることといったらその第一印象のひどさだ。
この新しいサービスで140字の最新情報を、あなたの「フォロワーズ」に送ることができるらしい、
そしてあなたは、こう思うのだ「いったいなんだって世の中こんなものが必要なんだ?」

何もみんながみんな四年前、頭をかきながらぼんやりと、こうつぶやいていたわけではあるまい。
「50人の友達へ一斉メッセージを送って、朝ごはんのシリアルのチョイスについてリアルタイムで知らせることができるようなテクノロジーがありさえすればなあ。」

私もまた、最初は懐疑的であった。ツイッターの共同創成者であるエヴァン・ウィリアムスには、彼がBlogger.com.を立ち上げた90年代ドットコム起業ブームのころに2,3度会ったことがある。

ブログの登場で、電文的な2パラグラフのブログメッセージが長文記事や本にとってかわり、その結果人々の注意持続時間に影響を及ぼすおそれがあるのではと、当時は心配されていた。


ウィリアムスはツイッターで、せいぜい多くて2,3センテンスの使用を上限としたコミュニケーション基盤を立ち上げていた。次には何がくるのだろう。
句読点マークひとつを送ることで、自分の気分を表せるソフトウェアだろうか。


 しかし何百万ものファンが発見したように、ツイッターには結局疑いようのない奥深さがあることが分かった。その理由はある部分、友人が朝食に何を食べたかを知ることが(やってみると)ただ聞くきくよりも面白いものだったということにもある。

技術ライターのクライブ・トンプソンはこれを「環境認識」と呼ぶ。つまり、拡張ソーシャルネットワークのメンバーから送られてくる即席の短い状況報告を受け取り、送り手たちの日常を奇妙な満足感ととももに、ちらり見をすることだ。

友人との電話で、はじめにその日の調子はどうかときくことから始める。それをくだらないとはちっとも思わないだろう。
ツイッターは同様の情報を聞きもしなくても教えてくれるのだ。

こうしたあらゆる、何ということもない、瑣末な情報の交換から得られるぬくもり(the social warmth of all those stray details)を軽くみるべきではない。
しかし、私は思うのだ。ここ2年間でツイッターにおこったことの中には、さらにもっと深いものがあるのではないか、ツイッターをとりあげ、これほどまでに驚くべきスピードで広めたその文化についてさらにいえる奥深い何かがあるのではないかと。

なるほど、朝食の状況をアップデートすることが、思ったよりもおもしろいとうのはわかった。
しかし、発案者たちが思いもしなかったものごとに、私たちがそのシステムをどんなふうにあてがって使ったかということが、ツイッターの発達の鍵なのだ。

つまり、ツイッターの一番の魅力的は、それが何をしてくれるのかなのではなくて、私たちがツイッターをどうするかなのである。


開かれた会話

今年マンハッタンで開催された、教育改革に関する終日の会議に出席した。
ハッキングエデュケーションという、小さな内輪の催しであり、教育者、事業主、学者、慈善家、ベンチャー企業投資家、40数名の人々すべてが学校の未来について6時間にも及ぶ長い座談会に参加していた。

20年前ならば、そこで交わされた考えは参加者の頭の中に閉じ込められたままであっただろう。10年前であれば、数週間か数カ月後にトランスクリプトがウェブ上で発表されたかもしれない。5年前であったら、一握りの参加者がそれぞれの経験を会議後にブログに記したかもしれない。

けれども、この催しは2009年に行われていたので、リアルタイムの、現実世界の会話に遅れをとることなくあとを追うのは、同時にツイッター上で交わされるリアルタイムの会話なのだ。

ツイッター経由で、この会議についてライブコメントを投稿したいひとは#hackedu.という言葉を140字数制限の中に含めるように、と会議のはじめに主催者がアナウンスをした。

会場では、大きなディスプレイスクリーンがツイッターでの有効フィードを表示する。
そして私たちは一斉に話しだす。すると影の会話がスクリーン上で展開する。それは誰かの主張の概要、時折の冗談、さらなる研究読書のためのお勧めリンクだったりする。

ある時点で、会議場の二人の参加者の間に短い議論が起こった。そのほかの参加者たちが和気あいあいとした調子で話しているときにスクリーン上で静かにあらわれた緊迫したやりとりだった。

はじめは、こういったつぶやきは全て会議場内からのものであったし、ラップトップコンピューターやブラックベリー端末をたたく会議参加者からのみによって送られたものであった。

しかし、30分するかしないかのうちに、教育(学校)の未来についての興味深い会話が#hackedu.で展開されているという情報がツイッター界(Twittersphere=ツイッターでつながる情報の世界)に流れ始めた。
#hackeduスレッドをフォローしていると告げる第三者からのつぶやきがいくつかスクリーンに現れた。
 
それから、他のひとびとが、自身の意見や更なる探究のための話題を提案したりして会話に参加した。数人の専門家たちが、どうして自分たちはその会議に招待されなかったのかと公然とぼやいた。
会議場では、興味深い考えや疑問をスクリーンからひきだし、それらを実際に対面で行っている議論に組み入れた。

終日の会議が終わったときには、会議での会話を文書化した何百というつぶやき(tweets)の公式な記録ができあがった。そしてその議論はまだ続いているのだ。hackedu#をツイッターで探せばここ数週間で投稿された多数の新しいコメントが見つかるだろう。その会議自体は3月の初めに開かれたものであるのにもかかわらず。

ツイッターを導入したことで、その会議への参加ルールは根本的に変わった。
第2層における議論の場を提供し、より広い範囲の聴衆を(本来ならば)うちわの意見交換に終わったであろう会議にもたらした。
そしてすでに終わったそのイベントに、ウェブ上での生を与えたのだ。
なるほど、もっぱら140字のメッセージだけで成り立つものではあったが、それらのつぶやきの総合計は本当に実質的な何かとなった。小石をつみあげてつくった吊り橋のように。

超フレッシュなウェブ

ツイッターの基本的なしくみは非常にシンプルだ。ユーザーたちが、コンピューターやモバイル機器からくだんの140文字のメッセージであるつぶやきを発する。(この文字数制限があることで、ほとんどの携帯電話で利用されているSMSプラットフォームを経由しての、つぶやきの作成と配布が可能となる)
ソーシャルネットワークであるがゆえ、ツイッターはフォロワーズを中心に回る。他のツイッターユーザーをフォローすると、そのユーザーのつぶやきが新しい順に(フォローした個人の)ツイッターのメインページに現れる。もし、20人のツイッターをフォローしページをスクロールダウンすれば、さまざまなつぶやきの集まり―たとえば朝食のシリアルの情報更新、面白い新リンク先、お勧めの音楽、さらには未来の教育についての熟考までも―が見れるだろう。
セレブのツイッターの中には、100万人のフォロワー取得記録を超えたものもいて、最も有名なところでは、アシュトン・カッチャーがあげらるが、事実上ブロードキャストサイズの視聴者を得ている。平均的ツイッターのプロフィールを見たところ(フォロワーは)だいたい数十人あたりといったところのようで、そこには友人、同僚、それから一握りのセレブからなるコラージュができあがっている。
その集合は、これまで存在していたどんなものともまったく違ったメディア体験を創造する。奇妙な親密感があり、同時にセレブ中毒チックでもあるのだ。
モーニングコーヒーを片手に自分のツイッターフィードをながめ、ものの数秒のうちに甥っ子が医学部に入学したことやシャキール・オニールがフェニックスで有酸素トレーニングをちょうど終えたところだと知る。
思いつくあらゆる話題についてのおしゃべりをリアルタイムで覗くことができるように、ツイッターに先月検索ボックスが設けられた。大統領候補討論会、アメリカンアイドルの最終回、タイガーウッズ、あるいはニューヨークで行われている教育改革の会議についてまでも、人々が語り合っているのをみることができるのだ。
お茶の間にインターネットがやってきて以来、月面着陸、人気連続ドラマ「ダラス」のエンディングで繰り返されるフレーズ「J.R.をうったのは誰だ?」など、これまでずっとリビングで共有されてきた体験の喪失について批評家たちは嘆いてきた。アメリカ人たちは一斉にウォルター・クロンカイト(CBSイブニングニュースのアンカーマン1962-81)を見るのをやめてしまい、古き良きリビングルームは砕け散り、100万個の個別ブースへと姿を変えた。
cliffhanger 
    連続ドラマで続きを視聴するよう促すためのプロットのひとつ

しかし、ラップトップで生中継のマスメディアイベントをツイッターを開きつつのぞいてみれば、未来予想家たちの考えは間違っていたことに気が付くだろう。

共有体験は未だ失われてはいない、それどころか現在の共有体験は核家族や、隣近所といった枠をはるか超えて広がったひとつのグループにおいての本当の公開討論を意味するのだ。

そこで交わされる会話には、アメリカ人がニクソンのチェッカーズスピーチをやじり倒していた当時の多くのリビングで交わされたものと同様にもちろん未熟なものもある。しかし、感動的だったり、ウィットに富んでいたり、観察力の鋭いもの、または破壊的であったりするものもある。

たった140文字のアップデートで一体どのくらい破壊性やウィットを表現することができるのだろうかと訝るひともいるかもしれない。
しかし、ここ数ケ月ツイッターユーザーらは字数制限を乗り越える方法を見つけはじめたところだ。ツイッターをコミュニケーションチャネルとして使用するのではなく、位置指示装置として使用するのだ。
より長い記事やディスカッション、投稿、ビデオ(URLをもつものなら何でも)へのリンクをツイッターを使用して示すのである。

ウェブサイトのトラフィックは、かつてグーグル検索クエリーが圧倒的に支配していたが、初めて訪れるビジターたちはツイッターやフェースブックといったソーシャルネットワークからの「共有されたリンク」を経由しているケースがどんどん増えているという。ここが否定する人々が見落としていた点だ。1万語の素晴らしいニューヨーカー誌の記事について広めるのにツイッターを使うのも、自分がどんなゲン担ぎを行っているのかを広めるのと何ら変わりなく、簡単にできる。

以上の3つの要素、つまりソーシャルネットワーク、ライブ検索、そしてリンクの共有をまとめると、ひとつのカクテルができあがる。それは、検索エンジンの領域において一人勝ちをしているといっても過言ではないグーグルに対して、実際大変面白い代替となるものかもしれない。
本質的にグーグルのシステムは不特定多数の人々からの声がゆっくりと蓄積し、それを中心として構築されている。 ウェブページは、ある部分どのくらいアクセスされたかによって検索結果ページの上部に登場し、古いウェブページは訪問者履歴をより稼げる時間がある分だけ有利になりがちだ。
まるで超スパムだらけの膨大な干し草の中から、価値ある数本の針をみつけだすような現在の状況においては、すばらしい解決策である。しかし産業パイオニアのジョーン・バトルが名づけていう「スーパーフレッシュ」ウェブという、人々がたった今この瞬間に交わしている会話をみつけるのには特別便利な方法というわけではない。

ツイッターはその創成期においてさえ、グーグルよりもすぐれたスーパーフレッシュウェブの供給源であった。
コービー・ブライアントに関する興味深い記事やサイトを探す?ならば、グーグルだ。しかしコービーのたった30秒前のスリーポイントシュートについて、面白いコメントをゆるいソーシャルネットワークを通じて探すとしたらツイッターなのだ。

トースターから電子レンジまで
ツイッターの共同設立者である、エバン・ウィリアムス、ビズ・ストーン、ジャック・ドーシーらは典型的なやりての起業家(彼らは引用する価値があり、魅力的だ。おまけにシリコンバレーの面白みのないビジネスパークではなく、サンフランシスコのソマ地区のロフトが本社だときている)なので、ツイッターへのメディアの興味というのは大部分がその会社自体のほうへと集まった。
エヴとビズはグーグルに早い段階でツイッターを売るのだろうか、それとも高値で売ろうともくろんでいるのだろうか?(彼らは、推定5億ドルのフェースブックからのオファーをすでに断っているのだ)
 ※long ball : 野球のホームラン、アメフトのロングパスなどをいう。転じて、一か八かのかけにでる、
         一発かます、などの意味となる。
興味深い疑問だが、そう目新しい話というわけでもない。そこに焦点を合わせているとツイッターの基盤についてさらに重大な点を見失うことになる。基本的な特徴とアプリケーションの多くがツイッターとは利害関係のない人々によって開発されたのだという事実を。
単に、何か別のことのために設計された道具の新しい使い方を人々が見つけたといったことではない。ツイッターの場合は、ユーザーたちが、その道具自体を再デザインし続けているのである。トピックやイベントを#を使用して―#hackedu あるいは#inaugurationといったように―グループ化する方法はツイッターのユーザーたちの間で自発的に開発された。(別のユーザーに@記号をつけて返信するやり方同様に)今現在ツイッターで行われている生のやりとりを探す機能は、別の新興企業による開発だった。その会社はシュミーズといい、ツイッターが昨年吸収した。(内情を暴露するが、私はシュミーズ社のとある少額出資者のアドバイザーなのである。)
こういったイノベーションのおかげで、あるイベントについてのライブツイッターフィードを追うことは、政治関連のディベートであれ、「ロスト」のエピソードであれ、ツイッター使途の中心となった。しかし、このようにツイッターを介した形での情報交換はたったの12か月前には技術的に不可能であったのだ。
まるで、オーブントースターを開発したあとで一年がたち、まわりを見回すと顧客たちが自分たちで勝手にそのオーブントースターを電子レンジに変身させているのを目にするようなものだ。
  ※of one's(its) own accord -自発的に、ひとりでに
ツイッター基盤のすごいところのひとつに、非常に大部分のユーザーが第三者が開発したソフトウェアを使用して情報交換をしあっているという事実がある。
アイフォンやブラックベリーでツイッターフィードを管理するためのアプリケーションは数十種類あるが、全て進取的なアマチュアのプログラマーや小さな新設企業によって作られたものだ。
写真をアップロードしたり、自分のつぶやきをその写真にリンクしたりするサービスや、他のツイッター利用者で近隣に住む人を地図上に示すようなプログラムもある。皮肉なことにツイッターを訪れたときに提供されるツールはここ2年の間ほとんど変わっていない。しかし、便利なツイッターツールのホームセンターは他のさまざまなところでみつけられる。
ツールが増えるにつれ、それらに関する意外な新しいものも発見しつつある。先月反共産主義の暴動がモルドバでおこったが、それはツイッターを介して組織された。ツイッターは中国の政治活動家の間で大変広く使用されるようになった。そのため中国当局は天安門事件の20周年にかかるディスカッションを取り締まろうとしてツイッターへのアクセスをブロックした。シックシティーというサービスはインフルエンザと発熱についての発言を追跡することで、さまざまな都市地域より発信されるツイッターフィードを調査している。セレブのツイッター利用者であるカッチャーのような人はその膨大なフォロワーをチャリティー運動へと先導する。(カッチャーのケースでは、マラリア撲滅組織である。)
ソーシャルネットワークは10代や20代の若者の移り気傾向に弱いことで有名だ。(フレンドスターを覚えているだろうか?)そのため今から3年か4年か後は、ツイッターの後釜のようなものに人々は乗り換えているかもしれない。しかしツイッター基盤の鍵である、フォロワー体系、リンクの共有、リアルタイム検索、そういったものはツイッターの運命がどうであれ、生き残るだろう。リンクや、投稿、フィードが過去十年生き続けてきたように、ウェブの伝統的手法として。事実、情報のメジャーなチャンネルはこれから数年のうちになんだかんだとツイッター化されるだろう。ツイッター化とは「ニュースと意見」に変化することだ。(ニュースだけではなく。) 
われわれのレーダーにとびこんでくる話、たとえば飛行機事故や、攻撃的な論説、ゴシップネタ等、はフォローしている人びとからのリンクを通してやってくることが増えてくるだろう。
カスタマイズされた新聞は、ある種の人工知能ソフトウェア手法により編集されるのではなく、ソーシャルネットワークでその朝に読んだ記事のすべてをもとに編集されることだろう。そしてさらなるニュースの多様化と同時に両極化をも導くことになる。ネットワーク化された一面は従来のどんな新聞の一面よりも、さらにえりぬかれた記事内容となるが、自分たちの内輪の反響室をさらに響かせ拡大することを考えている(→自分たちの主義主張や勢力をさらに広めていく、という感じ?)政党員たちは、(but political partisans loking to enhance their own private echo chamber wil be able to tune out opposing view points more easily)反対意見をさらに容易に無視することができるだろう。↑ 隠喩かもしれない?
                      
検索
ツイッターユーザーによって共有されるリンクのアーカイブが増えるに従い、ゆるいソーシャルネットワークをを通して情報を探す、その有用性はグーグルを使用しての検索方法と張り合い始めるだろう。
ベンジャミン・フランクリンについての情報を探すならお気に入りの歴史家のひとりによってシェアされたエッセイのほうが、ひょっとしたらグーグルの上位検索結果よりも役に立つかもしれない。兄弟間のライバル意識によるいざいこざについてアドバイスを探しているならば、友達の友達からのお勧めの記事から読み始めるのが一番かもしれない。
広告
今日広告における伝達方法は印象付けることが勝負だという概念に支配されている。つまり、どれだけ広告主がそのブランドを潜在的な顧客の目の前に、それが屋外の掲示板であろうと、ウェブページであろうと、全国自動車レースの車のボンネット上であろうと、届けられるかということだ。
しかし印象というのは、移ろいやすいものだ。フォロワーのように持続性のある関係と比べてみるとことさらそれがわかる。
成功しているビジネスは何百万ものツイッターフォロワーを得るだろう。(そしてフォロワーを引き付けるために大金をつぎ込む)そうしたフォロワーを手放さないために、ツイッターを基盤としたカスタマー情報交換の全く新しい伝達方法が進化するだろう。新製品や新取引への早期のアクセス、ライブカスタマーサービス、新製品に関するブレインストーミングへの顧客の参加などだ。
こういった発展のすべてがすべてプラスというわけではない。メールボックスに届く瑣末な出来事が人をどんなにかメール依存的状態に導きえるか、ほとんどの人が実体験により学んでいる。しかし、ツイッターやフェースブックを使用しての状況更新により環境認識をすることで、人を注意散漫状態に導く全く新たな世界のドアが開いたのだ。
これまでは自分のプライベートや、キャリアに関して、何か新しいことがおこっていやしまいかと、ブラックベリーを脅迫感にとらわれつつチェックしたものだった。たとえばそれは上司からのメール、昨夜のデートの相手からの返事といったものであったりした。現在、なおも脅迫感にとらわれつつブラックベリーをチェックしている。今度は他人の生活から流れてくるニュースのせいで。そしてツイッター上では少なくともそういった他人の中の何人かにセレブがたまたまいたりするわけで、ツイッターのもつシステムは私たちがセレブとの間に抱くその奇妙な錯覚的関係を拡大するようである。(the Twitter platform is likely to expand that strangely delusional relationship that we have to fame→fameは名詞で有名人 toはwithと同じ意味)これはオプラが実際に近頃やったことだが、飼い犬の叱り方についてツイッターで質問する。すると誰でも彼女に@を使用して返事をすることができ、そういった交流には対等の人々の間でかわされる普段の会話に似たものがある。しかしもちろん、オプラには100万人以上のフォロワーがいて、この一つの質問がおそらく何千という返信を導き出す。彼女にあてられた返信のうち、読まれるものはどれだけわずかであるかなど知ったことではない。けれどもファンからしてみれば、この体験は新鮮で面白い親密さを感じられる。「飼い犬の叱り方についてオプラがきいてきたから、昨晩彼女に説明していたときね・・・・・・。」といった感じだ。
エンドユーザーによるイノベーション
ツイッターをめぐり、目前でイノベーションが次々と展開されてはいるが、もちろん、これは何も新しいことではない。フェースブックの利用者は今もなおツイッターの利用者の数倍もおり、はじめはもっともイケてる大学新入生を品定めするためのツールであったものが、インターネット上のソーシャルOS(ネット上の生活基地)へと変化し、大規模メディア会社、個人ハッカーたち、ゲーム製作者、政治グループやチャリティーなどの手により開発されたアプリケーションにより構成された巨大な生態系を支えている。アップル社のiPhoneが長い間にわたって競争力を失わないのは、1万5千種以上にも及ぶ新専用アプリケーションの開発により、独創的な方法でつぎつぎと、その機能を拡大しつづけていることが理由であることを証明しているのかもしれない。
ウェブの歴史も同様のパターンを踏んでいる。もともとは学者たちが学術文書を配布するのに役立つものとしてデザインされたものが、今ではテレビショーの視聴、世界中の見知らぬ他人とのポーカーゲーム、独自の新聞の発行、高校時代のガールフレンドとの再会、そしてそう、朝ごはんのメニューの世界中への発信さえをも可能にさせている。
ツイッターは社会的創造性の新しいモデルの顔となった。その理由として、ある部分これらツイッターのイノベーションが息をのむような速さで花開いたのというのもあるし、またある部分においては、その基盤がとてもシンプルであったことにも起因する。まるでツイッターの創造者たちはこういった厳しい制限のある基盤をあたえたうえで、何か面白いことをしてみろと挑んでいるようだ。そして案の定、私たちは楽しみつつその挑戦を受ける。たったの140文字で?政治暴動をおこすのに使えるだろうかしらと私は考えた。
ユーザーたちがツイッターの基盤を広めたそのスピードは近代イノベーションについての、さらに重要な真実を示している。イノベーションや国際競争力について語る時、特許や博士といった簡単や測定基準にたよりがちである。その両方においてアメリカの占める割合は70年代初期をピークにだんだんと減ってきていることがわかった。(1970年、世界中の理工学の学位は、アメリカの大学が発行したものが50パーセント以上を占めていた)。80年代半ば、特許や博士数の減少がアメリカのイノベーションの暗黒時代の到来を予言していると悲観論者たちが引きも切らずに警鐘を鳴らしていた。その種の脅威は変化した。80年代は日本であったが、現在は中国とインドだ。
しかしその期間、アメリカのイノベーションとして何が実際にあったのだろうか。アメリカオンライン、ネットスケープ、アマゾン、グーグル、ブロガー、ウィキペディア、クレイグスリスト、ティーボ、ネットフリックス、イーベイ、アイポッド、アイフォーン、エクスボックス、フェースブック、そしてツイッター自体も考え出された。もちろんアメリカはプリウスやWiiを発明してはいないが、世界的イノベーションを単に大学院生の数だけではなく、実際のライフスタイルを変革するようなヒット商品という観点から測れば、ここ20年間というものアメリカはその分野においては常にぬきんでてきたのだ。
どうして予想がこれまでそう悪くありえたのか?それはわれわれが数々のイノベーションの話のほんの一部しか追ってこなかったからである。もし、私が大学院へいきネズミ捕り器を発明したとすると私は価値を作りだしたことになり、それを特許で保護したり、顧客にその発明を売ることで利益を得ることができる。しかしもし他のだれかが私の発明したネズミ捕り器をその人のうんと高価な洗濯機の代替として使用する方法をみつけたなら、そこで彼もまた同様に価値を作り出したことになる。ひとびとは最初の価値の創造に重きを置きがちだ、ねずみ取り器で巨大な富や名声をかちとり、セレブになる発明家などほんの一握りだからである。しかしこれらの発明の新たな使用方法を考え出すことにより新しい価値を作り出す何億もの消費者や小企業の存在がある。
こうした形のイノベーションには、いくつかのバラエティーがあり、それぞれ違った技術名でとおっている。マサチューセッツ工科大学のエリック・フォン・ハイプル教授はそのひとつを「エンドユーザーイノベーション」とよぶが、そこでは消費者が自分たちのニーズにあわせて活発に製品を改良する。誕生後まもないというのに、これまでツイッターはエンドユーザーイノベーションの中心であった。ハッシュタグといい、検索といい、その11,000もの数にのぼる第三者の開発によるアプリケーション、そういった創造的な新しいツイッターの使い方すべてがそうだ。くだらないものもあれば、スパムもあるし、すばらしいものも存在する。ツイッターコミュニティーにより発明された@返信を考えてみよう。本質的には一連の孤立したマイクロブロードキャスト(個人個人がそれぞれの場所でつぶやくというものだが)を使用することで、ツイッターを真に対話的なメディアに変えた。
こうした利用がすべて、さらなる広域経済において新しい種類の価値をつくるのだが、実はそのなかの何ひとつとしてツイッター本部で作り出されたものはないのだ。こうした基盤上では特許も博士号も必要がない。これこそがツイッター現象においてもっともインスピレーションを刺激される点だ。
私たちはここ数世代をみてももっとも厳しい経済危機のさなかにいる。ご存じのとおり資本主義経済の終わりを予言する終末論的なニュースのみだしに脅かされる日々だ。それでもこのカオス状態の中でツイッター本部の技術者たちはサーバーを維持しつづけようとあわただしく働いているし、アプリケーション開発者は最新作を発表し続け、一般のユーザーたちはこうしたたくさんのツールの独創的な使い方を考え出し続けている。ここには味わう価値がある一種の反発エネルギーが存在しているのだ。
天気予報は天変地異がおこると予報し続けているが、ここに何百万という私たちの存在がある。(悪い予報も意に介さず)座り込んでコミュニケーションの新しい形を発明しようと試み続けているのだ。

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