Wednesday, February 3, 2010
Out of the Ruins
http://www.time.com/time/specials/packages/article/0,28804,1953379_1953494_1957366,00.html
By JAMES NACHTWEY
ハイチで起きた地震の余波を目にしていると、起きているのに悪夢の中に迷い込む感覚に襲われる。
この地図なき旅路上で目印となるのは、略奪者の群れ、手足のない子供たち、小枝やシーツで組み立てられた都市、粉々になった大聖堂、通りに倒れている死人の周りを回っている犬だ。
大多数のハイチ人は、奈落の底が身近にあり絶壁の上の狭い暗礁に沿って築かれた社会で通常生活している。
裕福な人は彼らが住む地域上方の高台に生活し、黒塗りのLand Cruiserで移動していて見られることはない。もっと高いところには、まるで空中に浮いているように、塵一つなく、人目を引く白い大統領官邸がある。そこは、全ての独裁者が密かに手中にしたいと望む場所だったが、現在は官邸の3つのバロック様式のドームの重さで粉々になってしまった。暗礁が崩れ落ちた所では、死者は置き去りにされた。暗礁が保たれている所では、人々は身を寄せ合っていた。人々はほとんど何も持っていなかったのに、一瞬にしてそれ以上に何もなくなった。ハイチの人たちは彼らの歴史に耐え続けている。困難や苦難が最高潮に達していても、精神力、プライド、そして威厳を持つことで抵抗した。彼らの国家というのは、奴隷状態を克服して生まれた国だ。つまり、ハイチは貧困、戦闘、信仰といったもので形成されてきたのだ。
地球は肩をすくめた・・ハイチは崩壊した・・そして世界は応答した。
「同情疲労」は、皮肉屋や広告販売員の架空の相手として表出した。大惨事は、手付かずの石油埋蔵量による利益や地政的利得抜きにして、大いなる寛大をもたらした。国連はこぞってハイチにいるのだが、実際のところその正体というのは、地球の各方面から、ただ現れ、勘に頼って飛んできた小規模のNGOなのだ。それらの頭文字を一列に並べても、赤道地域には不十分だろう。頭文字を列挙してみよ、あなたはきっと奇妙な言葉を話すだろう。
ハイチの人たちは手を離してただくつろいでいるわけではない。彼らは多くの重いものを持ち上げている。ただ、はたから見れば、自然の中ではかなり微々たることで、やっているのかわからないように見えが・・・。全世界からたくさんの救援物資が、貨物船やヘリコプター、C-130で輸送されている。ハイチの人たちは、頭上に必要なものを乗せて運んでいる。彼らは、大きな黄色いマシーンではなく、素手で、生存者を瓦礫の外へ助け出している。全ての人が、利用できるものは何でも使ってできることを行っている。
フォトジャーナリストとして、私は過去30年間の歴史を記録する仕事に携わっている。私の仕事の多くは、戦争、闘争、社会的不正に焦点を当てている。もし、人々がニュースを見たとしたら、同情心によってえも言われぬ感情にかり立てられるだろうし、暴力、侵略、そして容認できないほどの基本的人権の剥奪を目の当たりにして、怒りの感覚を分かち合うだろう。この感情は、怒りによって燃え上がり、信念によって動かされている。これらの結果は全て人によってもたらされるもので、怒りの感情が時に変革の過程に刺激を与える場合もある。地震は自然の摂理である。何万人もの人が数分のうちに死ぬ。同情は自然災害における究極の動機となる。難題は長期間その感情を維持することである。決して新聞の見出しと共に消えてしまってはいけない。
ハイチの人々は己の歴史を着実に進んでいる。奴隷たちはヨーロッパの権威ある帝国の一つを打ち破るために立ち上がった。地震はそれ自体、地球の内なる力を露呈する。しかし、ハイチの人たちの魂もまた、自然の力である。事実上、腐敗を連想させる国家(ハイチ)において、政治的シンボルとなるもの全てが取り除かれた。ハイチの人たちは、彼らの歴史の新たな章の白紙のページに何を描くのだろうか?
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