Sunday, May 23, 2010

The End of the Euro

By Niall Ferguson

NEWSWEEK Published May 7, 2010
From the magazine issue dated May 17, 2010
http://www.newsweek.com/2010/05/07/the-end-of-the-euro.html


Crisis、語源のギリシャ語"krisis"は病状における山場を意味するが、古代アテニア人から借りてきた数多くの英語の単語の中のひとつであるが、最近、古代アテニア人の末裔はこの言葉の本来の意味を、私たちに思い出させている。

"経済回復" という言葉を使い始めても大丈夫だろうと思われたばかりなのに、ギリシャの経済危機が世界経済と、世界で2番目に力のある通貨の存在を脅かしている。

ちょうど10年前、ユーロはいいアイディアのように思えた。ヨーロッパは、共通の法律をもつ合同体としてはいうまでもなく、ひとつのブロック経済圏としての統合の状態はすでに目覚ましいものだった。貨幣統合は、様々なかたちの魅惑的な利益を提供したのだ。1970年代のブレトン・ウッズ協定の固定金利以降、ヨーロッパを悩ませ続けてきた為替レートの変動を終わらせたし、旅行者やビジネスマンにとって、手間とお金が掛かる通過換算がなくなった。さらに、より一層の価格透過性はヨーロッパ内の貿易の流れをスムーズにするものだった。

ヨーロッパの単一通貨制によって、貿易の条件がよりよくなるようにも見えた。過大な公債の問題を抱えているヨーロッパ諸国は、ドイツ式の低インフレと低金利を取り入れられる。ドイツは、ユーロが超強力なドイツマルクよりも少しだけ弱いことをひそかに望んでいたかもしれない。

通過統一には地政学的な魅力もあった。ドイツ東西統合のすぐ後で、フランスは、ヨーロッパがその最大の加盟国による新たな支配を受けるのではないかと懸念していたが、ドイツに貨幣主権を提供させることによって、第四帝国になる可能性のあるドイツに対する他の加盟国の勢力を高めることが出来る。それに、一番いいことは、強力なアメリカドルに対抗できる代替の準備通貨を作ることが出来ることだ。

それでもやはり、欧州委員会の代表であるジャック・デロワが通貨統合を最初に提案した時、乱暴なくらい大がかりな計画のように思われた。1992年のマーストリヒト条約において欧州連合の第三の支柱として通貨統合が正式に採用された時でさえ、私自身を含む経済学者の多くが、懐疑的なままだった。

当初加盟した11カ国が"最適な通貨区画" を構成したのは明白だとはとても言えなかった。単一通貨統合は、生産性の高いドイツとやや効率の劣る他の加盟国との根本的な格差を、減少させるというよりむしろ広げることになるだろう。

しかし、経済通貨統合の仕組みにおける最悪の欠点は、我々が訴えたのは、加盟各国の財政政策を全く統一しないままでヨーロッパ各国の通貨を統合したことだった。確かに、財政赤字額が国内総生産の3%を、国債残高が60%を下回っていなければ加盟できないと明確に記された "収斂基準" はあったのだが、これらのことが、安定・成長協定に固定された財政規則になったときでさえ、強制力がないものだった。

欧州通貨統合の立案は人間の制度に関する重要な真実を深淵に例証している。起きなければいいのにと思っていることのためにしっかり準備しなかったからといって、それが起きないとは限らない。それが、イギリスがこの単一通貨制度に加盟しないと決めた理由の1つである。1998年に流出したイングランド銀行の極秘書類が推測していたのは、ある国("I国"とだけ言っておこう)が、もし、許容されていた以上の財政赤字を抱えていたとしたらどうなるかだった。イングランド銀行が警戒したその結果は、とてつもない混乱だ。

何故?何故ならば、新設された欧州中央銀行は、そこまで巨額の財政赤字をかかえた国を、直接政府に融資することによって救済することを禁止されていたからだ。さらに一方で、I 国が通貨統合から離脱する方法がないのだ。この硬直性が、ハーバード大学の経済学者マーティン・フィールドシュテイン氏が、単一通貨制はヨーロッパに調和ではなく対立をもたらすと予想した理由の1つであった。

G国の場合

ギリシャが2001年1月1日に12番目の欧州通貨統合加盟国になってからほぼ9年に渡って、カッサンドラの予言は間違っていたように思われていた。ユーロは順調な成功を遂げていた。長期金利は収束した。事実、財政規則は強制力がなかった―いかにも、ユーロを立ち上げた1999年にはどの加盟国も収斂基準を満たしてはいなかった―しかし、これまでは好調にきていた。財政赤字は縮小した。それに、望まれたほどのインフレ率や経済活動の収斂はなかったのだが、懸念する材料はほとんどなかったように思われた。ヨーロッパ諸国だけでなく、世界中がユーロを支持した。1999年から2003年の間は、世界中の国際銀行がドル立てを上回る額の債権をユーロ立てで発行した。加盟しなかった国は、バスに乗り損ねたというよりもむしろ豪華な馬車を逃したのではないかと思い始めていた。

そして、2009年10月、新たに選出されたギリシャ政府はが実情を告白したのだ。ギリシャの財政赤字は、旧政府が発表していた国民総生産の6%ではなく、12.7%ととてつもなく大きく、これは2009年初頭、欧州委員会に約束していた3.7%の3倍を上回る額だった。さらに、欧州中央銀行が、ギリシャ政府への緊急融資を経由して、政府負債額の3分の1を上回る額を、ギリシャの銀行に間接的に資金提供していたことが判明した。("救済してはいけない" 規則の反証)この報道がきっかけとなって、ユーロ懐疑論者たちがつねに恐れていたことが連鎖的に起こり始めた。金融機関は、つねに、ドイツ国債と比較して高い利子をギリシャ国債に課していた、ユーロ全盛期にさえも、しかしその調達運用金利差は突如として1%から5%に膨れ上がり、やがて10%に達した。ギリシャは財政的な死のスパイラルに陥った、つまり、金利引き上げが債務処理の経費を嵩ませ、ギリシャの財政赤字を悪化させたのだ(現在は13.6%まで増加している)。自暴自棄になって、ギリシャは欧州の同盟国に援助を求め始めた。その救済額は1月のうちは比較的高額ではなかったが、ドイツ政府は躊躇した。世界規模の金融危機とドイツ国内における景気後退、それから地方選挙が迫っている時期に、ドイツの有権者は、国家の会計額を勝手に書きかえていたような外国を救済する気分になれなかった。しかし、ドイツが躊躇している間に、ギリシャ救済のための費用はどんどん高額になってしまった。

最終的に、4月末にある対策が打ち出され、それによってギリシャは1億1,000万ユーロを受け取った、そのうち3,000万ユーロは国際通貨基金から提供され、残りはユーロ圏諸国から提供された。条件として、ギリシャ政府は、厳重な財政節約を約束した、支出削減と増税を組み合わせて、2014年までには財政赤字を3%縮小することを宣言した。

問題は解決しただろうか?残念なことに解決はしていない。今回のギリシャの悲劇はまだ幾つか幕が残っている。

まず、ギリシャの約束不履行があるだろう。根深い景気後退の時期に、ギリシャ政府がそれほど深刻に財政を引き締められるとは単に信じられないということではない。たとえ全てが計画通りにいったとしても、負債額は国民総生産の150%まで上昇するだろう、国民総生産の7.5%という破滅的な額を利子返済に充てなければならないのだから。ギリシャには問題解決のための明白な政治的結論がない。予想すると、ゲオルギオス・パパンドレウは失墜し、その後継者が、ギリシャ国債の債権者たちに30%の減額を強いるだろう。

次の場面はより劇的になるだろう。生国ギリシャの財政危機ががそこまで深刻になった原因が悪影響を及ぼすということ、つまり、もしこういったことがギリシャ国債に起こりうるのならば、他の公債にも起こりうるだろうという、投資者のなかにある現実感である。他にもユーロ圏の2カ国(イタリアとベルギー)が、膨れ上がった負債を抱えており、また他の2カ国(ポルトガルとスペイン)がギリシャ同様、外国からの融資に過度に依存していることが、資料の解析によって明らかにされた。

先週、格付け評価会社ムーディーズはポルトガルの長期国債をAa2に格下げの可能性があるとして再検討した。さらに、スペインが5年国債を利回り3.5%で販売した時には、―その2か月前には利回り2.8%だったのと比較して―マドリッドがギリシャを上回る救済を必要としているのではないかという噂が渦巻いた。

これもまた、ギリシャ経済危機がヨーロッパじゅうの経済にウィルスのように蔓延する唯一の道ではない。欧州諸国の貸借対照表は危険な国債で一杯になっており、ギリシャの銀行はリーマン・ブラザーズの領域に向かっている。ブルガリアやルーマニアのようにギシリャの銀行に融資を頼っている近隣諸国にとってこれは信用収縮を意味する。

さらに由々しいことに、他の欧州の銀行へのギリシャの負債が露呈した、国際決済銀行によれば、その総額は1億9,300万ドルである。









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