Thursday, June 25, 2009

How Twitter Will Change the Way We Live



How Twitter Will Change the Way We Live
By Steven Johnson Friday, Jun. 05, 2009

Find this article at: http://www.time.com/time/business/article/0,8599,1902604,00.html
参考(一ページでわかるツイッター総合案内): http://1p-info.suz45.net/twitter.htm
                     
ツイッターはどのように私たちの生活を変えるのだろうか
(たった140文字内で)

かつては単なる一時的流行であったツイッターがパワフルなコミュニケーションツールへと成長しつつある。その成長は今日の世界の何を反映しているのか。また、アメリカのイノベーションのいくえについてはいったい何を?
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ツイッターについて、ひとつ確実にいえることといったらその第一印象のひどさだ。
この新しいサービスで140字の最新情報を、あなたの「フォロワーズ」に送ることができるらしい、
そしてあなたは、こう思うのだ「いったいなんだって世の中こんなものが必要なんだ?」

何もみんながみんな四年前、頭をかきながらぼんやりと、こうつぶやいていたわけではあるまい。
「50人の友達へ一斉メッセージを送って、朝ごはんのシリアルのチョイスについてリアルタイムで知らせることができるようなテクノロジーがありさえすればなあ。」

私もまた、最初は懐疑的であった。ツイッターの共同創成者であるエヴァン・ウィリアムスには、彼がBlogger.com.を立ち上げた90年代ドットコム起業ブームのころに2,3度会ったことがある。

ブログの登場で、電文的な2パラグラフのブログメッセージが長文記事や本にとってかわり、その結果人々の注意持続時間に影響を及ぼすおそれがあるのではと、当時は心配されていた。


ウィリアムスはツイッターで、せいぜい多くて2,3センテンスの使用を上限としたコミュニケーション基盤を立ち上げていた。次には何がくるのだろう。
句読点マークひとつを送ることで、自分の気分を表せるソフトウェアだろうか。


 しかし何百万ものファンが発見したように、ツイッターには結局疑いようのない奥深さがあることが分かった。その理由はある部分、友人が朝食に何を食べたかを知ることが(やってみると)ただ聞くきくよりも面白いものだったということにもある。

技術ライターのクライブ・トンプソンはこれを「環境認識」と呼ぶ。つまり、拡張ソーシャルネットワークのメンバーから送られてくる即席の短い状況報告を受け取り、送り手たちの日常を奇妙な満足感ととももに、ちらり見をすることだ。

友人との電話で、はじめにその日の調子はどうかときくことから始める。それをくだらないとはちっとも思わないだろう。
ツイッターは同様の情報を聞きもしなくても教えてくれるのだ。

こうしたあらゆる、何ということもない、瑣末な情報の交換から得られるぬくもり(the social warmth of all those stray details)を軽くみるべきではない。
しかし、私は思うのだ。ここ2年間でツイッターにおこったことの中には、さらにもっと深いものがあるのではないか、ツイッターをとりあげ、これほどまでに驚くべきスピードで広めたその文化についてさらにいえる奥深い何かがあるのではないかと。

なるほど、朝食の状況をアップデートすることが、思ったよりもおもしろいとうのはわかった。
しかし、発案者たちが思いもしなかったものごとに、私たちがそのシステムをどんなふうにあてがって使ったかということが、ツイッターの発達の鍵なのだ。

つまり、ツイッターの一番の魅力的は、それが何をしてくれるのかなのではなくて、私たちがツイッターをどうするかなのである。


開かれた会話

今年マンハッタンで開催された、教育改革に関する終日の会議に出席した。
ハッキングエデュケーションという、小さな内輪の催しであり、教育者、事業主、学者、慈善家、ベンチャー企業投資家、40数名の人々すべてが学校の未来について6時間にも及ぶ長い座談会に参加していた。

20年前ならば、そこで交わされた考えは参加者の頭の中に閉じ込められたままであっただろう。10年前であれば、数週間か数カ月後にトランスクリプトがウェブ上で発表されたかもしれない。5年前であったら、一握りの参加者がそれぞれの経験を会議後にブログに記したかもしれない。

けれども、この催しは2009年に行われていたので、リアルタイムの、現実世界の会話に遅れをとることなくあとを追うのは、同時にツイッター上で交わされるリアルタイムの会話なのだ。

ツイッター経由で、この会議についてライブコメントを投稿したいひとは#hackedu.という言葉を140字数制限の中に含めるように、と会議のはじめに主催者がアナウンスをした。

会場では、大きなディスプレイスクリーンがツイッターでの有効フィードを表示する。
そして私たちは一斉に話しだす。すると影の会話がスクリーン上で展開する。それは誰かの主張の概要、時折の冗談、さらなる研究読書のためのお勧めリンクだったりする。

ある時点で、会議場の二人の参加者の間に短い議論が起こった。そのほかの参加者たちが和気あいあいとした調子で話しているときにスクリーン上で静かにあらわれた緊迫したやりとりだった。

はじめは、こういったつぶやきは全て会議場内からのものであったし、ラップトップコンピューターやブラックベリー端末をたたく会議参加者からのみによって送られたものであった。

しかし、30分するかしないかのうちに、教育(学校)の未来についての興味深い会話が#hackedu.で展開されているという情報がツイッター界(Twittersphere=ツイッターでつながる情報の世界)に流れ始めた。
#hackeduスレッドをフォローしていると告げる第三者からのつぶやきがいくつかスクリーンに現れた。
 
それから、他のひとびとが、自身の意見や更なる探究のための話題を提案したりして会話に参加した。数人の専門家たちが、どうして自分たちはその会議に招待されなかったのかと公然とぼやいた。
会議場では、興味深い考えや疑問をスクリーンからひきだし、それらを実際に対面で行っている議論に組み入れた。

終日の会議が終わったときには、会議での会話を文書化した何百というつぶやき(tweets)の公式な記録ができあがった。そしてその議論はまだ続いているのだ。hackedu#をツイッターで探せばここ数週間で投稿された多数の新しいコメントが見つかるだろう。その会議自体は3月の初めに開かれたものであるのにもかかわらず。

ツイッターを導入したことで、その会議への参加ルールは根本的に変わった。
第2層における議論の場を提供し、より広い範囲の聴衆を(本来ならば)うちわの意見交換に終わったであろう会議にもたらした。
そしてすでに終わったそのイベントに、ウェブ上での生を与えたのだ。
なるほど、もっぱら140字のメッセージだけで成り立つものではあったが、それらのつぶやきの総合計は本当に実質的な何かとなった。小石をつみあげてつくった吊り橋のように。

超フレッシュなウェブ

ツイッターの基本的なしくみは非常にシンプルだ。ユーザーたちが、コンピューターやモバイル機器からくだんの140文字のメッセージであるつぶやきを発する。(この文字数制限があることで、ほとんどの携帯電話で利用されているSMSプラットフォームを経由しての、つぶやきの作成と配布が可能となる)
ソーシャルネットワークであるがゆえ、ツイッターはフォロワーズを中心に回る。他のツイッターユーザーをフォローすると、そのユーザーのつぶやきが新しい順に(フォローした個人の)ツイッターのメインページに現れる。もし、20人のツイッターをフォローしページをスクロールダウンすれば、さまざまなつぶやきの集まり―たとえば朝食のシリアルの情報更新、面白い新リンク先、お勧めの音楽、さらには未来の教育についての熟考までも―が見れるだろう。
セレブのツイッターの中には、100万人のフォロワー取得記録を超えたものもいて、最も有名なところでは、アシュトン・カッチャーがあげらるが、事実上ブロードキャストサイズの視聴者を得ている。平均的ツイッターのプロフィールを見たところ(フォロワーは)だいたい数十人あたりといったところのようで、そこには友人、同僚、それから一握りのセレブからなるコラージュができあがっている。
その集合は、これまで存在していたどんなものともまったく違ったメディア体験を創造する。奇妙な親密感があり、同時にセレブ中毒チックでもあるのだ。
モーニングコーヒーを片手に自分のツイッターフィードをながめ、ものの数秒のうちに甥っ子が医学部に入学したことやシャキール・オニールがフェニックスで有酸素トレーニングをちょうど終えたところだと知る。
思いつくあらゆる話題についてのおしゃべりをリアルタイムで覗くことができるように、ツイッターに先月検索ボックスが設けられた。大統領候補討論会、アメリカンアイドルの最終回、タイガーウッズ、あるいはニューヨークで行われている教育改革の会議についてまでも、人々が語り合っているのをみることができるのだ。
お茶の間にインターネットがやってきて以来、月面着陸、人気連続ドラマ「ダラス」のエンディングで繰り返されるフレーズ「J.R.をうったのは誰だ?」など、これまでずっとリビングで共有されてきた体験の喪失について批評家たちは嘆いてきた。アメリカ人たちは一斉にウォルター・クロンカイト(CBSイブニングニュースのアンカーマン1962-81)を見るのをやめてしまい、古き良きリビングルームは砕け散り、100万個の個別ブースへと姿を変えた。
cliffhanger 
    連続ドラマで続きを視聴するよう促すためのプロットのひとつ

しかし、ラップトップで生中継のマスメディアイベントをツイッターを開きつつのぞいてみれば、未来予想家たちの考えは間違っていたことに気が付くだろう。

共有体験は未だ失われてはいない、それどころか現在の共有体験は核家族や、隣近所といった枠をはるか超えて広がったひとつのグループにおいての本当の公開討論を意味するのだ。

そこで交わされる会話には、アメリカ人がニクソンのチェッカーズスピーチをやじり倒していた当時の多くのリビングで交わされたものと同様にもちろん未熟なものもある。しかし、感動的だったり、ウィットに富んでいたり、観察力の鋭いもの、または破壊的であったりするものもある。

たった140文字のアップデートで一体どのくらい破壊性やウィットを表現することができるのだろうかと訝るひともいるかもしれない。
しかし、ここ数ケ月ツイッターユーザーらは字数制限を乗り越える方法を見つけはじめたところだ。ツイッターをコミュニケーションチャネルとして使用するのではなく、位置指示装置として使用するのだ。
より長い記事やディスカッション、投稿、ビデオ(URLをもつものなら何でも)へのリンクをツイッターを使用して示すのである。

ウェブサイトのトラフィックは、かつてグーグル検索クエリーが圧倒的に支配していたが、初めて訪れるビジターたちはツイッターやフェースブックといったソーシャルネットワークからの「共有されたリンク」を経由しているケースがどんどん増えているという。ここが否定する人々が見落としていた点だ。1万語の素晴らしいニューヨーカー誌の記事について広めるのにツイッターを使うのも、自分がどんなゲン担ぎを行っているのかを広めるのと何ら変わりなく、簡単にできる。

以上の3つの要素、つまりソーシャルネットワーク、ライブ検索、そしてリンクの共有をまとめると、ひとつのカクテルができあがる。それは、検索エンジンの領域において一人勝ちをしているといっても過言ではないグーグルに対して、実際大変面白い代替となるものかもしれない。
本質的にグーグルのシステムは不特定多数の人々からの声がゆっくりと蓄積し、それを中心として構築されている。 ウェブページは、ある部分どのくらいアクセスされたかによって検索結果ページの上部に登場し、古いウェブページは訪問者履歴をより稼げる時間がある分だけ有利になりがちだ。
まるで超スパムだらけの膨大な干し草の中から、価値ある数本の針をみつけだすような現在の状況においては、すばらしい解決策である。しかし産業パイオニアのジョーン・バトルが名づけていう「スーパーフレッシュ」ウェブという、人々がたった今この瞬間に交わしている会話をみつけるのには特別便利な方法というわけではない。

ツイッターはその創成期においてさえ、グーグルよりもすぐれたスーパーフレッシュウェブの供給源であった。
コービー・ブライアントに関する興味深い記事やサイトを探す?ならば、グーグルだ。しかしコービーのたった30秒前のスリーポイントシュートについて、面白いコメントをゆるいソーシャルネットワークを通じて探すとしたらツイッターなのだ。

トースターから電子レンジまで
ツイッターの共同設立者である、エバン・ウィリアムス、ビズ・ストーン、ジャック・ドーシーらは典型的なやりての起業家(彼らは引用する価値があり、魅力的だ。おまけにシリコンバレーの面白みのないビジネスパークではなく、サンフランシスコのソマ地区のロフトが本社だときている)なので、ツイッターへのメディアの興味というのは大部分がその会社自体のほうへと集まった。
エヴとビズはグーグルに早い段階でツイッターを売るのだろうか、それとも高値で売ろうともくろんでいるのだろうか?(彼らは、推定5億ドルのフェースブックからのオファーをすでに断っているのだ)
 ※long ball : 野球のホームラン、アメフトのロングパスなどをいう。転じて、一か八かのかけにでる、
         一発かます、などの意味となる。
興味深い疑問だが、そう目新しい話というわけでもない。そこに焦点を合わせているとツイッターの基盤についてさらに重大な点を見失うことになる。基本的な特徴とアプリケーションの多くがツイッターとは利害関係のない人々によって開発されたのだという事実を。
単に、何か別のことのために設計された道具の新しい使い方を人々が見つけたといったことではない。ツイッターの場合は、ユーザーたちが、その道具自体を再デザインし続けているのである。トピックやイベントを#を使用して―#hackedu あるいは#inaugurationといったように―グループ化する方法はツイッターのユーザーたちの間で自発的に開発された。(別のユーザーに@記号をつけて返信するやり方同様に)今現在ツイッターで行われている生のやりとりを探す機能は、別の新興企業による開発だった。その会社はシュミーズといい、ツイッターが昨年吸収した。(内情を暴露するが、私はシュミーズ社のとある少額出資者のアドバイザーなのである。)
こういったイノベーションのおかげで、あるイベントについてのライブツイッターフィードを追うことは、政治関連のディベートであれ、「ロスト」のエピソードであれ、ツイッター使途の中心となった。しかし、このようにツイッターを介した形での情報交換はたったの12か月前には技術的に不可能であったのだ。
まるで、オーブントースターを開発したあとで一年がたち、まわりを見回すと顧客たちが自分たちで勝手にそのオーブントースターを電子レンジに変身させているのを目にするようなものだ。
  ※of one's(its) own accord -自発的に、ひとりでに
ツイッター基盤のすごいところのひとつに、非常に大部分のユーザーが第三者が開発したソフトウェアを使用して情報交換をしあっているという事実がある。
アイフォンやブラックベリーでツイッターフィードを管理するためのアプリケーションは数十種類あるが、全て進取的なアマチュアのプログラマーや小さな新設企業によって作られたものだ。
写真をアップロードしたり、自分のつぶやきをその写真にリンクしたりするサービスや、他のツイッター利用者で近隣に住む人を地図上に示すようなプログラムもある。皮肉なことにツイッターを訪れたときに提供されるツールはここ2年の間ほとんど変わっていない。しかし、便利なツイッターツールのホームセンターは他のさまざまなところでみつけられる。
ツールが増えるにつれ、それらに関する意外な新しいものも発見しつつある。先月反共産主義の暴動がモルドバでおこったが、それはツイッターを介して組織された。ツイッターは中国の政治活動家の間で大変広く使用されるようになった。そのため中国当局は天安門事件の20周年にかかるディスカッションを取り締まろうとしてツイッターへのアクセスをブロックした。シックシティーというサービスはインフルエンザと発熱についての発言を追跡することで、さまざまな都市地域より発信されるツイッターフィードを調査している。セレブのツイッター利用者であるカッチャーのような人はその膨大なフォロワーをチャリティー運動へと先導する。(カッチャーのケースでは、マラリア撲滅組織である。)
ソーシャルネットワークは10代や20代の若者の移り気傾向に弱いことで有名だ。(フレンドスターを覚えているだろうか?)そのため今から3年か4年か後は、ツイッターの後釜のようなものに人々は乗り換えているかもしれない。しかしツイッター基盤の鍵である、フォロワー体系、リンクの共有、リアルタイム検索、そういったものはツイッターの運命がどうであれ、生き残るだろう。リンクや、投稿、フィードが過去十年生き続けてきたように、ウェブの伝統的手法として。事実、情報のメジャーなチャンネルはこれから数年のうちになんだかんだとツイッター化されるだろう。ツイッター化とは「ニュースと意見」に変化することだ。(ニュースだけではなく。) 
われわれのレーダーにとびこんでくる話、たとえば飛行機事故や、攻撃的な論説、ゴシップネタ等、はフォローしている人びとからのリンクを通してやってくることが増えてくるだろう。
カスタマイズされた新聞は、ある種の人工知能ソフトウェア手法により編集されるのではなく、ソーシャルネットワークでその朝に読んだ記事のすべてをもとに編集されることだろう。そしてさらなるニュースの多様化と同時に両極化をも導くことになる。ネットワーク化された一面は従来のどんな新聞の一面よりも、さらにえりぬかれた記事内容となるが、自分たちの内輪の反響室をさらに響かせ拡大することを考えている(→自分たちの主義主張や勢力をさらに広めていく、という感じ?)政党員たちは、(but political partisans loking to enhance their own private echo chamber wil be able to tune out opposing view points more easily)反対意見をさらに容易に無視することができるだろう。↑ 隠喩かもしれない?
                      
検索
ツイッターユーザーによって共有されるリンクのアーカイブが増えるに従い、ゆるいソーシャルネットワークをを通して情報を探す、その有用性はグーグルを使用しての検索方法と張り合い始めるだろう。
ベンジャミン・フランクリンについての情報を探すならお気に入りの歴史家のひとりによってシェアされたエッセイのほうが、ひょっとしたらグーグルの上位検索結果よりも役に立つかもしれない。兄弟間のライバル意識によるいざいこざについてアドバイスを探しているならば、友達の友達からのお勧めの記事から読み始めるのが一番かもしれない。
広告
今日広告における伝達方法は印象付けることが勝負だという概念に支配されている。つまり、どれだけ広告主がそのブランドを潜在的な顧客の目の前に、それが屋外の掲示板であろうと、ウェブページであろうと、全国自動車レースの車のボンネット上であろうと、届けられるかということだ。
しかし印象というのは、移ろいやすいものだ。フォロワーのように持続性のある関係と比べてみるとことさらそれがわかる。
成功しているビジネスは何百万ものツイッターフォロワーを得るだろう。(そしてフォロワーを引き付けるために大金をつぎ込む)そうしたフォロワーを手放さないために、ツイッターを基盤としたカスタマー情報交換の全く新しい伝達方法が進化するだろう。新製品や新取引への早期のアクセス、ライブカスタマーサービス、新製品に関するブレインストーミングへの顧客の参加などだ。
こういった発展のすべてがすべてプラスというわけではない。メールボックスに届く瑣末な出来事が人をどんなにかメール依存的状態に導きえるか、ほとんどの人が実体験により学んでいる。しかし、ツイッターやフェースブックを使用しての状況更新により環境認識をすることで、人を注意散漫状態に導く全く新たな世界のドアが開いたのだ。
これまでは自分のプライベートや、キャリアに関して、何か新しいことがおこっていやしまいかと、ブラックベリーを脅迫感にとらわれつつチェックしたものだった。たとえばそれは上司からのメール、昨夜のデートの相手からの返事といったものであったりした。現在、なおも脅迫感にとらわれつつブラックベリーをチェックしている。今度は他人の生活から流れてくるニュースのせいで。そしてツイッター上では少なくともそういった他人の中の何人かにセレブがたまたまいたりするわけで、ツイッターのもつシステムは私たちがセレブとの間に抱くその奇妙な錯覚的関係を拡大するようである。(the Twitter platform is likely to expand that strangely delusional relationship that we have to fame→fameは名詞で有名人 toはwithと同じ意味)これはオプラが実際に近頃やったことだが、飼い犬の叱り方についてツイッターで質問する。すると誰でも彼女に@を使用して返事をすることができ、そういった交流には対等の人々の間でかわされる普段の会話に似たものがある。しかしもちろん、オプラには100万人以上のフォロワーがいて、この一つの質問がおそらく何千という返信を導き出す。彼女にあてられた返信のうち、読まれるものはどれだけわずかであるかなど知ったことではない。けれどもファンからしてみれば、この体験は新鮮で面白い親密さを感じられる。「飼い犬の叱り方についてオプラがきいてきたから、昨晩彼女に説明していたときね・・・・・・。」といった感じだ。
エンドユーザーによるイノベーション
ツイッターをめぐり、目前でイノベーションが次々と展開されてはいるが、もちろん、これは何も新しいことではない。フェースブックの利用者は今もなおツイッターの利用者の数倍もおり、はじめはもっともイケてる大学新入生を品定めするためのツールであったものが、インターネット上のソーシャルOS(ネット上の生活基地)へと変化し、大規模メディア会社、個人ハッカーたち、ゲーム製作者、政治グループやチャリティーなどの手により開発されたアプリケーションにより構成された巨大な生態系を支えている。アップル社のiPhoneが長い間にわたって競争力を失わないのは、1万5千種以上にも及ぶ新専用アプリケーションの開発により、独創的な方法でつぎつぎと、その機能を拡大しつづけていることが理由であることを証明しているのかもしれない。
ウェブの歴史も同様のパターンを踏んでいる。もともとは学者たちが学術文書を配布するのに役立つものとしてデザインされたものが、今ではテレビショーの視聴、世界中の見知らぬ他人とのポーカーゲーム、独自の新聞の発行、高校時代のガールフレンドとの再会、そしてそう、朝ごはんのメニューの世界中への発信さえをも可能にさせている。
ツイッターは社会的創造性の新しいモデルの顔となった。その理由として、ある部分これらツイッターのイノベーションが息をのむような速さで花開いたのというのもあるし、またある部分においては、その基盤がとてもシンプルであったことにも起因する。まるでツイッターの創造者たちはこういった厳しい制限のある基盤をあたえたうえで、何か面白いことをしてみろと挑んでいるようだ。そして案の定、私たちは楽しみつつその挑戦を受ける。たったの140文字で?政治暴動をおこすのに使えるだろうかしらと私は考えた。
ユーザーたちがツイッターの基盤を広めたそのスピードは近代イノベーションについての、さらに重要な真実を示している。イノベーションや国際競争力について語る時、特許や博士といった簡単や測定基準にたよりがちである。その両方においてアメリカの占める割合は70年代初期をピークにだんだんと減ってきていることがわかった。(1970年、世界中の理工学の学位は、アメリカの大学が発行したものが50パーセント以上を占めていた)。80年代半ば、特許や博士数の減少がアメリカのイノベーションの暗黒時代の到来を予言していると悲観論者たちが引きも切らずに警鐘を鳴らしていた。その種の脅威は変化した。80年代は日本であったが、現在は中国とインドだ。
しかしその期間、アメリカのイノベーションとして何が実際にあったのだろうか。アメリカオンライン、ネットスケープ、アマゾン、グーグル、ブロガー、ウィキペディア、クレイグスリスト、ティーボ、ネットフリックス、イーベイ、アイポッド、アイフォーン、エクスボックス、フェースブック、そしてツイッター自体も考え出された。もちろんアメリカはプリウスやWiiを発明してはいないが、世界的イノベーションを単に大学院生の数だけではなく、実際のライフスタイルを変革するようなヒット商品という観点から測れば、ここ20年間というものアメリカはその分野においては常にぬきんでてきたのだ。
どうして予想がこれまでそう悪くありえたのか?それはわれわれが数々のイノベーションの話のほんの一部しか追ってこなかったからである。もし、私が大学院へいきネズミ捕り器を発明したとすると私は価値を作りだしたことになり、それを特許で保護したり、顧客にその発明を売ることで利益を得ることができる。しかしもし他のだれかが私の発明したネズミ捕り器をその人のうんと高価な洗濯機の代替として使用する方法をみつけたなら、そこで彼もまた同様に価値を作り出したことになる。ひとびとは最初の価値の創造に重きを置きがちだ、ねずみ取り器で巨大な富や名声をかちとり、セレブになる発明家などほんの一握りだからである。しかしこれらの発明の新たな使用方法を考え出すことにより新しい価値を作り出す何億もの消費者や小企業の存在がある。
こうした形のイノベーションには、いくつかのバラエティーがあり、それぞれ違った技術名でとおっている。マサチューセッツ工科大学のエリック・フォン・ハイプル教授はそのひとつを「エンドユーザーイノベーション」とよぶが、そこでは消費者が自分たちのニーズにあわせて活発に製品を改良する。誕生後まもないというのに、これまでツイッターはエンドユーザーイノベーションの中心であった。ハッシュタグといい、検索といい、その11,000もの数にのぼる第三者の開発によるアプリケーション、そういった創造的な新しいツイッターの使い方すべてがそうだ。くだらないものもあれば、スパムもあるし、すばらしいものも存在する。ツイッターコミュニティーにより発明された@返信を考えてみよう。本質的には一連の孤立したマイクロブロードキャスト(個人個人がそれぞれの場所でつぶやくというものだが)を使用することで、ツイッターを真に対話的なメディアに変えた。
こうした利用がすべて、さらなる広域経済において新しい種類の価値をつくるのだが、実はそのなかの何ひとつとしてツイッター本部で作り出されたものはないのだ。こうした基盤上では特許も博士号も必要がない。これこそがツイッター現象においてもっともインスピレーションを刺激される点だ。
私たちはここ数世代をみてももっとも厳しい経済危機のさなかにいる。ご存じのとおり資本主義経済の終わりを予言する終末論的なニュースのみだしに脅かされる日々だ。それでもこのカオス状態の中でツイッター本部の技術者たちはサーバーを維持しつづけようとあわただしく働いているし、アプリケーション開発者は最新作を発表し続け、一般のユーザーたちはこうしたたくさんのツールの独創的な使い方を考え出し続けている。ここには味わう価値がある一種の反発エネルギーが存在しているのだ。
天気予報は天変地異がおこると予報し続けているが、ここに何百万という私たちの存在がある。(悪い予報も意に介さず)座り込んでコミュニケーションの新しい形を発明しようと試み続けているのだ。

Friday, June 19, 2009

How to prepare for a Pandemic






Monday, May. 18, 2009
How to Prepare for a Pandemic
By Bryan Walsh

Find this article at:
http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,1896728,00.html


The progress of our reading: June 1 started

  にわか景気に沸く200万人都市で、メキシコ・シティが普段の生活を取り戻した時に最初に見られたものが、公的な宗教儀式や政治的集会ではなく交通渋滞だったことは妥当である。新型インフルエンザの大発生に応じての1週間にわたる閉鎖の後、5月5日-戦勝記念日-メキシコ・シティは再び動き出した。豚インフルエンザの蔓延が速度を落としたことが、メキシコ政府に最悪の時は過ぎ去ったという希望を抱かせた。「我々の戦略はうまくいっている」とメキシコ大統領フィリップ・カルデロンは語った。「我々は、今、緩やかに、日常の活動を再開できる」

  国際保健当局は、新型インフルエンザウィルスの報告が4月の終わりに最初に浮上してから警戒状態にあったが、それもまた緊張を和らげ始めた-ほんの少しだけ。世界保健機構(WHO)や疾病管理センター(CDC)の科学者たちは、深刻または死にいたる事例は、メキシコ以外では、わずかしか発見しなかったし、殆どの国において、この病気の継続する蔓延の証拠も少ししか発見しなかった。5月6日までに、ウィルスは22カ国で1,516人に感染した-*2名の死亡者を出した合衆国での642人を含む-そして、世界は公式には未だパンデミックの瀬戸際にいるが、アトランタのCDC本部でのその雰囲気は相当落ち着いてきた。「我々は、危険を逃れたわけではない」とCDCの所長代理であるリチャード・ベッサーは語った、しかし「我々は、多くの励みになる兆候を見ている」

  だから、*(世界中) *アメリカにおける何百校もの学校閉鎖、*(国境での検疫、)そして手洗いに関する首相の記者会見は騒ぎ過ぎではなかったか? 残念なことにそうではなかった。保健当局が繰り返し指摘したように、我々は未だに新型インフルエンザ大発生の初期にあり、インフルエンザ・ウィルスはうわさ通り予想がつかない。今現在、この新しい病気はもはや季節インフルエンザよりも危険に見えない(新型インフルエンザの遺伝子記号を調べた研究者たちは、どうやら、過去のパンデミックを引き起こした致死的なウィルスの鍵となる突然変異遺伝子が欠けているようだと言う)がしかし、新型インフルエンザは今度の冬により破壊的な形になって戻ってくるだろう-ちょうど、1918年に起った破滅的なパンデミックを引き起こしたウィルスのように。
「突然変異がおこりうる状況だ。」とWHOの健康安全環境部の福田敬二事務局長補代理はいう。「もしウィルスが深刻になるとすると、ここは一気に叩きにいかねばならない。」
( *web version, *magazine version )

June 5


アメリカ、そして世界各国の保健機関当局者たちがとった新インフルエンザウィルスに対する包括的な対応は称賛に値するが、今回の新ウィルスは私たちの気概を真に試すものではなく、単なる威嚇射撃にすぎないというのが本当のところだ。
「今回のことはわたしたちを目覚めさせる警鐘ととらえるべきだ。これ以降スヌーズアラーム(うたたね防止ベル)が鳴ることはないのだと。」
コロンビア大学の国立防災対策センター(National Center for Disaster Preparedness?)所長であるアーウィン・レドルナー博士は警告する。


新型ウィルスは、現在の相互連結した世界が新生の病気に対してどれほど無防備であるかを明らかにした。航空機の利用、国際貿易のおかげで、新しい病原体は2週間にみたないうちに、20カ国にもその種をばらまいてのけたのだ。
しかし、グローバル化は不利な部分も含んではいるものの、真に国際的な疾病調査システムを構築する手段を与えてくれるという点では強みだ。そして世界流行の脅威により、ガタガタのアメリカの医療制度を補完せねばならないことを私たちは思い起こす。感染症の大発生がおこれば、誰もが危険にさらされるからだ。
「世界も健康もひとつ。私たちは共有して生きているのだ。」と国連の食糧農業機関の高官であるジュアン・ルブロス博士はいう。


ウィルス早期警戒システム


まだ新型インフルエンザが単なる豚インフルエンザであったうち、その存在を見逃したのは予期していなかったためだ。豚の疾病に関する調査はアメリカやカナダにおいては散漫なものがあるのみで、メキシコにいたってはさらにない状態だ。
アメリカ豚獣医協会(the American Association of Swine Veterinarians)によると、新型インフルエンザの発生がおこるまでの数カ月間に変わった病状の報告はほとんどなかった。豚インフルエンザはありふれた病気であり、重症化することはめったにないので、獣医ならば気がついたであろうとは必ずしもいえないのだ。(not that vets would have necessarily noticed,since flu in swine is common and rarely serious.)
AASVの事務局長であるトム・バークグレン博士は語る。「警告となる事例は何もなかった」と。


なぜ、ウィルスを探して豚の鼻孔をこすりとり、貴重な医療資源を浪費する必要があるのだろう。


June 8


その理由は、H5N1トリインフルエンザ、SARS、HIVさえをも含む新病原体が最終的にヒトに乗りうつる以前に、動物の個体群の中で潜伏培養されるからだ。
インフルエンザの生態環境において、豚は重要な鍵を握る。トリ、ブタ、そしてヒト、どのインフルエンザウィルスにも感染することにより、ウィルスのミキサーの役割を担う。新型インフルエンザウィルスの発生源や、その最初のヒトへの感染時期は未だ確定できないが、ヒトインフルエンザウィルスについて握っている明確な実態の半分ほどでも豚やその他の動物間に感染するインフルエンザにおいても握っていれば、H1N1の脅威を予測できたかもしれない。
(新病原体をかぎつけることにおいて、ある疫病学者はいう。「まるで私たちは鍵を探しまわっている酔っ払いのようなものです。」)
より早くなった遺伝子配列の解明とインターネットが早期警報システムを作る技術を授けてくれた。
しかし、現在よりも動物衛生に力を注ぐ必要があるし、関連する分野の獣医たちともっと連携をするように医師たちには促すべきだ。
「あまりにも長いあいだ、動物側の公衆衛生は軽視されてきたのです。」と野生生物保護協会の副会長であるウィリアム・カレシュ博士はいう。

June 9

新型インフルエンザは、すでに動物から人に乗り移り、そして定着してしまったため封じ込めるには手遅れだが、動物世界では新型のウィルスがひっきりなしに生まれ育っているのだ。その中には、あのH5N1トリインフルエンザも含まれ、アジアやアフリカでくすぶりつつ、なお突然変異をし大流行の引き金となる可能性がある。グローバル化によって新しい病気に特別に影響を受けやすくなった。しかるべき病原菌体が、しかるべき場所に現れれば、24時間以内に世界中に広がることもありえる。しかし同時にグローバル化によって効果的な防御体制を作るための手段も得た。「いま世界がひとつの地続きの村であるという事実は、以前ならば絶滅してしまっていたであろうウィルスでも、もっと早いペースで根を下ろしてしまう可能性があるということです。」とGVFIの理事長のネイサン・ウォルフェ氏はいう。「しかしまた、全世界共通の免疫システムを作れるということでもあるのです。」


ウォルフェのアイデアはその免疫システムがどんなふうになるだろうかというひな形だ。グーグルなどから資金をうけ、GVFIはアフリカやアジアの現地にチ―ムを設置した。動物やチームの近隣にすむ人々を対象に新型のウィルスについて調査するためだ。

                             
(GVFI has teams on the ground in Africa and Asia surveilling wild animals and the people who live in proximity to them for new pathogens.)

(GVFI has teams which are surveilling wild animals and the people for new pathogens)

survey~ for :~に関して調査する

on the ground :現場で
Survey:監視する



June 10

「これらの番人となる人々」が新型ウィルスが出現すると早期警告を発する。危険な病気が動物から人間に感染するやいなやすぐに発見されたら、素早い対応でその病気を封じ込めることができる。ただし、それも私たちが監視していればに限ってこそ可能なことなのだ。
監視に数千万ドルを使うことで、大流行に対処するのにかかるであろう費用の数千億ドルを節約することができる。とWild life trustの代表であるピーター・ダスザック氏はいう。「一オンスの予防がまさに一パウンドの治療に匹敵するのだ。」

大流行がおきたら

非常に油断のない早期警戒システムでもすり抜けてしまう病原体はあるだろう。ウィルスは、なにしろ抜け目なく巧妙にふるまうのだから。

(They are good at what they do-"what they do" is like a job? being used such as "What do you do?" "I'm a doctor"?)



June15
新しいインフルエンザの大流行は避けられないも同然であり、迅速なタミフルの配備と州政府発のアドバイスの嵐、といった今回のH1N1への反応は、以前よりもずっと大流行にたいして備えができている事実を示しはした。が、本当にそれで準備ができているということにはならない。

世界中に広がり、アメリカ全人口の25パーセントから30パーセントが罹患するような深刻なインフルエンザの大流行がおこれば、われわれの健康保険システムは、データーを詰め込みすぎたウェブサイトのようにクラッシュするだろう。

June 16
不景気による予算削減で州や地域の健康機関は昨年1万人の人員削減を余儀なくされた。そのことにもある部分起因するが、現在の病院はサージキャパシティ(surge capacity:増患緊急収容能力)―つまり、余分なベッドや人工呼吸器といった殺到する罹患者に対応するのに必要なもの―についていえば、ほとんどない状態だ。                                                                                                          ★Surge capacity is the ability to rapidly mobilize to meet an increased demand.







そしてまた、そういった病院が大流行のさなかにおいて医療スタッフを確保し続けられるのかどうかについても保証はない。

「本人が病気になった、あるいは家族の看病をするなどの理由で、公衆衛生スタッフの3分の1が働けなくなったとしたらどんなことになるのだろうか、そんなことはこれまでテストしたことがないのです。」と米国郡市役所の事務局長であるロバート=ペストロンク氏は語る。

健康分野以外において大流行がひきおこす可能性のある混乱、感染症研究と対策センター(CIDRAP@ミネソタ大学)を率いるマイケル=オステルホルム氏はそれを「コラテラル・ダメージ(巻き添え被害)」と呼び、さらなる事態の悪化を懸念する。

※要検討:The "just in time"supply chain on which so many U.S. corporations rely leaves little slack and could buckle during a pandemic.
あまりにおおくのアメリカ企業がジャストインタイム供給システムにたよっているため、余裕をほとんどもたず、大流行の間にくずれる(折れる?締まる?)可能性がある。

★JIT供給。実需にマッチングした供給。必要な時に必要なだけ、ユーザーに提供する。

昨年のあるレポートでCIDRAPは言及している。アメリカの石炭供給のうち40パーセントが自国の発電量の半分を生み出すのに使用されているのだが、その石炭はワイオミングの炭鉱からアメリカのその他の地域へと電車でシャトル運搬されていると。
もし、大流行がいっぺんに大勢の炭鉱労働者を、あるいは少数だけれど運搬する電車を操縦する資格のあるエンジニアを襲ったとしたら。国中いたるところの灯りのスイッチを消しつつ、石炭の供給は早いペースで少なくなっていくことが考えられる。

June 17th

「大流行がおきたら、ふたつの災難を相手にしなくてはならないでしょう。」とオステルホルム氏はいう。
「インフルエンザによる人の罹患とジャストインタイム供給システムによるコラテラルダメージ(巻き添え被害)です。」

「ロンドン大学公衆衛生学・熱帯医学大学院」の調査によると発展途上の国々は大流行にたいして全く準備ができていないことがわかった。とくに顕著なのはアフリカで、そこでの高いHIV感染率がインフルエンザによる犠牲者をさらに増やすことになるであろうのに、アフリカの多くの国々はパンデミック計画をまるきり用意していない。 けれどもアメリカが見本にできる国際的モデルもある。香港だ。2003年にSARSに荒らされた経験があるが、現在は2千万セットものタミフルを備蓄していて、その量は香港の人口の3倍分にあたる。
(米国政府には人口の1/6をカバーするに足るくらいの量と、その他に各州による備蓄分があるのみだ。)
香港のはずれにある休暇村は隔離地域として機能するよう設定されていて、疫学研究と病院のベッド数を増やすことに資金をつぎ込んでいる。
「伝染病の対応においては、香港はまさに国際的ゴールドスタンダードを築いています。」とWHOの大西洋地域事務所のスポークスマンであるピーター=コーディングリー氏はいう。

米国政府は国内の抗ウィルス剤備蓄を増加しつづけることが可能だし、するべきである。
そして2005年のthe Department of Health and Human Servicesにより発表された396ページにもなるドアストッパーのようなパンデミック対策プランの改定版の発表もせねば。

国内においてインフルエンザワクチンの製造能力を強化し、配布量を増やすことも必須だ。しかし本当に国を大流行から守るということは、健康保険システムの中心にある根幹的欠陥にとりくむことを意味する。つまり、何の保険にも加入していない5千万人ほどのアメリカ人をまずはどうにかせねばならない。

保険無加入者らは大流行中に治療を求めて病院へ殺到する傾向が高く、負担の大きいシステムにさらに税金を注ぎ込むことになる。「前世紀のチフスのメリーの話に似通っています。」とコロンビア大学のレドルナーはいう。「保険無加入のそういった人たちは、まったく予測不可能な方法でその病気を広げていくでしょう。」

*Typhoid Marys: 腸チフスをばらまいた保菌者。保菌者であったNYの調理師Mary。1938年

保健非加入者たちが提示する危険は、伝染病についていえば私たちは運命共同体なのだという現実を再び思い起こさせる。
罹患した豚と罹患した人々、メキシコにあるウィルスとニュージーランドでおこる伝染―グローバル化した世界では、遠くにあるようにみえた細菌の脅威が数時間以内には玄関先までやってきうるのだ。
「社会がグローバル化したことで、私たちの強さはその中の最も弱い部分により左右されることになったのです。」とCDCのベッサー氏は言う。
次におこるかもしれないパンデミックを避けるには、あるいは少なくとも生き残るためには―覚えておかねばならない言葉だ。

 ★A chain is only as strong as its weakest link. 常套句:鎖の強さはその中の最も弱い環によって決まるものだ。












Thursday, June 4, 2009

A Middle Ground on Enemy Combatants

A Middle Ground on Enemy Combatants
By Joe Klein Thursday, May. 21, 2009

本文はこちら


  「軍人と法律家はそれぞれに、この国を、同じ情熱を持って愛しているかもしれないのだ」とバラク・オバマは、ノートルダム大学の卒業式での格調高い挨拶の中で話した、「そして・・我々を危険から守るために必要とされる具体的な手続きにおいてまったく違う結果にたどりついている」重ねてこう言える。ここ数週間の間、大統領と両政党の主要な政治家はほぼ全員、軍人と法律家の言い争いに驚かされてきた。些細なこともあった: ホワイトハウスの広報担当であるナンシー・ペロシが、2002年にCIAが水攻めを使ったことについて十分な概要を知っていたかどうかということ。その他のことは対等でない戦争状態の核心に触れている、特に、形のない、国籍のわからない敵との永久に続くような戦争で捕えられた囚人にどういった種類の権利を与えるのかという問題である。

  軍人と法律家は両極端な考え方をする。法律家-中でもすくなくとも憲法的な問題を扱う人は - 見せかけの堅苦しい追加条項の概念的な世界に生きている、その追加条項は戦争の極端な不曖昧さに立ち向かう時に、腹立たしいほど不十分であるとわかる。部隊の軍人は、今まさにここにある恐怖の中で生きている;彼らの決断は命を救うか犠牲にするかだ。中でもしっかりしている者は規則の必要性を理解しているが、概念の贅沢などない。そして、グアンタナモ:法律家は拘留者の権利を守る、軍人は極悪の狂信者たちに過度の権利を許すことによる影響を恐れている-そしてオバマ政権は決着をつけなければならない。  

  困難すぎて妥協案を見つけられないというわけにはいかない、理論上は。この軍人と法律家の主張は、今回の場合は、主張しない両者によって作られている。法律家たちは、ACLUの影響を受けていて、その拘留者たちは、憲法第3条に記されているとおり、民司法制度のもとで、より多くまたは少なく(適切に?)、取り扱われるべきだと信じている。軍人たち、全副大統領ディック・チェイニーによって判断を誤らせられた彼らは、戦争中に、大統領は国を守るために必要な規則を作るための無制限の力を持っているのだと信じている。「両方間違っている」とリンゼイ・グレイアム上院議員は語る、法律家と軍人、まだ空軍基地の中のJAGのようなところで過ごしている人たち。「ハイブリッド・システムが必要だ、だからこそ軍委託に賛成するのだ」  

  「混成」システムは、証拠に関する規則と、国家安全の必要性の間で物議をかもし出すかもしれない。オバマは、軍事委託への主な反対意見に対して説得した、強制尋問によって集められた証拠は法律的に認められないことを提案して。ドラマチックさには欠けるけれども、より重大な問題は内密に取り扱われなければならない。ブッシュ - そして現在はオバマ - 政権は、非常に多くの政治犯に対する証拠が、機密情報源からのものや監視システムからのもの、同様に、合衆国の訴訟手続きでの証言を拒む第三国の諜報部からのものであるために、政治犯は公判に出られないのだと主張する。ACLUのクリス・アンダースによれば、現行の法律は、機密の証拠を、その証拠提供者を明かさずに民裁判に要約提出することを認めている。「問題は、公判では、判事と弁護士がいつもその情報源を知りたがることである」と前CIA所長のマイケル・ヘイデン氏は語る、彼は自分が、ある、民間テロ事件に協力するために惜しみない努力をしたのだと語る「だがうまくいかなかった。」  

  グレイアム上院議員は、オバマが提案した軍事委託システムの改正に賛成する、そしてもうひとつ賛成する: 「思い違いするのはよそう。我々は、ここで事実上の終身刑を与えているのだ、そして何らかの民間による再調査があるべきだ。」というわけで、グレイアムは - 彼は、そういった手続きはグアンタナモとアフガニスタンの両方の拘留者に適用されるべきだと信じている -国家安全裁判所を提案した、これはFISA (Foreign Intelligence Surveillance Act)の事件の審判を務める陪審員に似ている。その議事録は非公開となるだろう、しかし民判事は、全ての事件が軍事委託される前に、全ての証拠を再調査する最高機密保証を得るだろう。これは、著しく妥当な妥協案のように私には思える。  

  ほかの殆どのこと、法律家と軍人の竜巻の中で渦巻いている問題は、些細なことあるいはうわべだけのことである。最近の、グアンタナモの拘留者をどこに収容するかという問題についての騒動は安っぽい政治である、民主党議員の無言の協力を得た必死の共和党員に扇動されているのだ。非常に多くのテロリスト受刑者が現在合衆国内の刑務所で刑期を務めている。それは、合衆国には、最大級の安全管理対策が施された刑務所があるからである、たとえば、コロラド州フローレンスにある”アドミニストレイティブ・マキシマム”のような。軍事裁判で有罪になったものは軍事刑務所に収容されるべきなのだ。   

  合衆国の職員がイラク人を拷問にかけている写真を、これ上公開するのかどうかという問題はより難しい、しかし、公開を差し止めるという大統領の決定は正しいことだと信じている。写真は、この卑劣な振舞いについて我々が知っている情報に、何も付け加えない - そして、海外で働く人の安全を非常に引き下げるかもしれない。私はここで偏見を認めなければならない:私の息子は、バグダッドに赴任している合衆国外交官である。彼の家は、殆ど毎晩ロケット弾の攻撃を受けているのだ。そういった写真によって激怒したイラク人による彼の安全に対する脅威というのは空論ではないのだ。私にとって、この現実は - 何十万人もの兵士や外交官や援助活動者の親達が日々生きているという現実 - 周知のことを知るというような余分な権利を凌ぐものだ。単純に常識である ― バラク・オバマがこれらの問題を取り扱う場合に最優先されるべき質のものである。





How to Close Guantánamo: A Legal Minefield

グアンタナモ閉鎖方法:法律の地雷原
By
Mark Kukis / Washington Tuesday, Nov. 11, 2008

http://www.time.com/time/nation/article/0,8599,1858205,00.html?iid=sphere-inline-bottom









U.S. military guard walks by at a maximum-security prison at Guantánamo Bay, Cuba
Brennan Linsley / AP


ニール・ケイチャル以上に、キューバ、グアンタナモ・ベイにある合衆国軍事刑務所を取り巻く法律のジレンマをしっかり理解している弁護士はほとんどいない。2006年、ケイチャルは最高裁判所で、ブッシュ政権のグアンタナモにおける軍事審議委員会の合法性を争う案件をうまく取り扱った、その裁定は、X線基地の終焉を告げる最初の兆しのひとつであった。しかしその2年後、グアンタナモ閉鎖の方法に関する難題は、ケイチャルから大統領に選ばれたバラク・オバマの周りに集まる法律顧問たちにいたるまでの法律的な考えを困らせ続けている。「これは壮大で難解な問題だ」とケイチャルは語る。彼はジョージタウン大学で国家安全法を教えている。「私は、実際はっきりした答えがわからない」

オバマはグアンタナモを閉鎖し、軍事委託活動つまり2007年のグアンタナモ収容所継続を支持する法律を棄却すると宣誓した。しかし、重大な障害はその道筋にある、新しい大統領の明確な支持においてさえ。

第一に、今現在グアンタナモに収容されているおおよそ255人をどうするか?である - そのうち告発されたのはたった23名である。もし、オバマが出来る限り迅速にグアンタナモの閉鎖を推し進めたいならば、大統領命令によって大統領として踏み出す最も強い一歩で単純に基地を閉鎖し、全ての政治犯を合衆国内の刑務所に移送することができる。その時点で、理論的には、政治犯は4つの結末のどれかに直面する可能性がある;連邦裁判所で裁判にかけられる可能性のある罪での告発;軍事裁判の統一法による出廷;母国政府への送還:または、単純な釈放である。

多くの市民権活動家は、ブッシュ政権の主張がそうではなかったにも関わらず、現存の軍や民の刑事裁判所がグアンタナモの案件を扱いうるし、255名それぞれの処分を個別に決定できるのだと言う。しかし、多くのグアンタナモ政治犯が何年もの間耐えてきた合法的拘留は重大な問題を提起する。なぜならば、そのような人を拘留することの根本的な目的は、裁判に連れ出すことではなくて、むしろ尋問を通して有益な情報を得ることであった。この点では、適切な刑事事件を具体化することは難しいかもしれない。

クハマド・シェイクハ・モハメッドの例をとると、彼は合衆国内に拘留されている最も年嵩のアルカイダ工作員である。現時点では、彼の件とほかの多くの重要人物については本質的に、軍事委員会のところで行き詰まったように見える、オバマはこの委員会を停止すると選挙中に誓約したのだが。しかしモハメッドや他の似たような事例を連邦裁判所において起訴することは、扱いにくいことがわかる。少なくともモハメッドに関する証拠のいくつかは、ひどい尋問によって集められたように見えるし、それは法廷では認められないかもしれない。彼の検挙と拘留は、容疑者の安全を保護する合衆国の民法のもとでは、必要な手順とは一切認められない - そしてしばしば刑事訴訟を最小限にする、あるいは回避するための逃げ道を与える。モハメッド裁判と同じ法的な障害の多くは、あらゆる試みの中で生じる、なぜならば、通常の軍事裁判には証拠と法的手順に関して似た規則があるからだ。

根本的には、モハメッドとほかの約14の事例、政府が起訴の意向を表している事例を裁判にかけるためのよい選択肢はない、なぜならば、ブッシュ政権は、大統領命令によって何年にもわたって彼らを拘束してきたからだ、通常の合衆国刑事および軍事法に違反して。そして、もしグアンタナモがなくなった場合、テロのような実態のわからない戦争状態において捕らえられるテロ容疑者を今後どうすればいいのか?という疑問がある。テロ工作員の容疑をかけられた者は、これから先何年ものあいだFBIやCIA,そして軍の手に落ちるだろう。オバマは、国家安全裁判所などと呼ばれるものを作ることの効果を心配するかもしれない、それは本質的に軍と民の刑法を取り混ぜた混成の審議委員会システムなのだが。国家安全裁判所の創立に賛成する人たちは言う、新たに注意深く構成されたシステムだけが、機密証拠や他のしばしば通常の刑事および軍事裁判所の手続きを混乱させるような問題に対処できるのだと。

この考えは何人かの重要な支持者を得ている、それはケイチャルとジャック・ゴールドスミス前副司法長官を含む、この人は法務省での任期中ずっと、グアンタンナモや他の問題で、ブッシュ政権下の上官と対立していた。月曜日にThe Associated Pressが、オバマのアドバイザーを名指ししないで引き合いに出して報告したところによると、新大統領は、いくつかのグアンタナモ事例を解決するために新裁判所の提案を早めようと計画している。しかし、多くの法律思想家はそのような取り組みに反対している、彼らはそのような事例は連邦裁判所に起訴されるべきだと訴えているのだ、連邦裁判所は多くの事例において効果を証明してきたのだからと。また、多くの人が、新国家安全裁判所は現行のグアンタナモ審議委員会と同じ難関に直面するだろうと主張する、現行の審議委員会というのは、何百もの憲法上の難題を引いている間に手続き上の混乱によって行き詰まっている。Also, many argue that new national-security courts would likely face the same difficulties as the ongoing Guantánamo tribunals, which have floundered because of procedural snafus while drawing hundreds of constitutional challenges.「多くの人は反対しているしその理由はたくさんある」とケイチャルは提案された国家安全裁判所について語る。

現れたオバマ移行チームは、未だグアンタナモ閉鎖に関する計画について正式には詳細を示していない。選挙事務局が言うには、新大統領はまだ、このことや他の一度は大統領として決断しなければならないような問題について彼に助言するための法律チームを形成中である。オバマは選挙戦で勝利して依頼この問題について語らなかった、そして、月曜日にホワイトハウスを訪問したときにこの問題についてブッシュ大統領と議論したような素振りも見せなかった。しかしブッシュがオバマに残したグアンタナモ問題は、大統領に選ばれた者がついに大統領執務室の席に着くときに直面する最も困難なことのなかの一つになるだろうという小さな懸念がある。

Tuesday, June 2, 2009

Thursday, Apr. 09, 2009

Why South Africa's Over the Rainbow
http://www.time.com/time/world/article/0,8599,1890334-2,00.html
by ALEX PERRY / EAST LONDON

何故南アフリカは虹の彼方に?




  1月中旬のある温かい夏の日、南アフリカの政権を握る政党アフリカ国民党は、国内の南海岸にある東ロンドンで、再選挙に向けてキャンペーンを立ち上げるべく集会を開いた。市のスタジアム内の、ステージと、黄色と黒と緑のANC色を身に付けた支持者の海に挟まれた囲いの中に党のVIPたちが立った。多くの男たちはグッチを、女はプラダを身につけていたが、その中に60人くらいの人たちが混じっていた、男も女も、軍服を身に付けた彼らの迷彩柄の帽子は、彼らが解散したANCのゲリラ部隊であるUmkhonto we Sizwe ("国家の槍")の兵役経験者であることを明らかにしていた。盛装した若い男性の野球帽は、彼がポルシェ世界ロードショーのファンだったことを表明していたが、彼が話していた相手が来ていた赤いTシャツは:「さあ若者たちよ、南アフリカの若いコミュニストリーグに参加しよう、残酷なシステムである資本主義をぶち壊して共産主義を広めよう」と表明していた。矛盾は、駐車場でも見られた、そこでは、レンジローバーやBMW、そしてメルセデスベンツに、「福祉社会の建設」を約束する巨大なANCステッカーが貼りつけられていた。

  ANCは4月22日に、ひき続き4期目の、南アフリカの議会と大統領選挙に勝つと期待していた。けれども、1994年のアパルトヘイト終了とともに政権を握って以来、初めて、その結果は保証されていない、そしてどんな判断からも - 人気、会員数、道徳的権威 - この政党は下り坂になっている。リーダーたちは、汚職と不手際を含む一連のスキャンダルに巻き込まれている。政府として、激しい暴力事件や世界最大のHIV/AIDSの蔓延を止めることに失敗していた。エリートと深い関係のある億万長者を作り出してきた経済的好景気を統括してきたが、数え切れないほどの国民の生活が変わらないことを放っておいている。政党としては、警察や官僚を政府化していると、そして、そのために戦ってきた、本質的な民主主義を軽蔑ししていると非難されている。

  政党は11月に分裂した、その時に、不満を持った党員が離脱グループを立ち上げ、それは人民の議会(COPE)である、そして、かつての仲間がもどってきた。ノーベル賞受賞者である大主教デズモンド・トゥトゥはANCに投票することを拒否する、奴らはネルソン・マンデラの偉業を裏切ったと言って。ヘレン・スズマン、卓越した白人のアンチアパルトヘイト運動家はそのパフォーマンスを「桁外れの期待外れ」と呼んだ、彼女が元旦に亡くなる前に。

  多くのことにおいて、ANCの新しいリーダーである、ヤコブ・ズーマは、党の崩壊を具体化する。2007年終盤に前任者であるタボ・ムベキとのひどい戦い ー このことが党を分断した ー の末、リーダーシップを勝ち取り、COPEに導いた。2005年に彼のビジネスアドバイザーであるシャビール・シャリクは、ズーマに賄賂を求めたとして15年の判決を受けた、そして、何年もの間、その賄賂や恐喝、詐欺、マネーロンダリング、そして脱税などの起訴に関連することに直面してきた。先月、シャリクは、高血圧症を理由に、早期釈放を保障された。4月6日、ズーマを法廷に召喚しようとし続けて3年後、検察局はこの案件を棄却した。検察官は、ズーマ政府がまもなく始まることによる圧力に屈したことを否定した、一方で主張するのだ - 何年もの間否定した後で - それらのの案件は、前のムベキ政権による圧力によって、取り返しがつかないほどの妥協をしたのだと。

  ズーマの支持者は主張する、彼はただ南アフリカの自由の最初の年に影に放っておかれたものたちのためだけに戦う男なのだと。しかし、人種の和解のためのズーマの公約に関してはいくつか疑問がある - 有名なのは、未だに人種差別の暴力に苦しんでいる国では、彼はズールーの戦いを讃える歌を選ぶ、「私のマシンガンを持ってきて」テーマソングとして - そして彼の能力と判断に関しても疑問がある。彼は、政策に関する質問に答えることを拒絶した、ぐずぐずとANCの幹部委員会にかこつけて。彼の口の重さは賢明かもしれない:彼が公言してきた意見は驚くべきものだった。2006年のレイプ裁判で、判決は無罪放免だったのだが、そこで彼は、シャワーがHIVの伝染を防ぎうると思っていたと暴露した。支持者たちの中で、それら全てのことは彼のアピールにただ付け加えられる:ズーマには、非白人居住指定地区に大衆の支持者がいる、そこでは彼の土臭い感じがムベキのエリート主義とよく対比される。

新たな苦闘
  ANCの衰退は、かつて占めていたモラルの高さを考えると、ますますもって劇的だ。アパルトヘイトの戦いだった数年間、その使命は明瞭で、その正義は難攻不落であった。ANCメンバーは政府に抑圧された自由戦士であり、彼らの人種差別主義は、ヨーロッパ帝国主義の最悪を思い出させた。マンデラ、27年間投獄されていてただ迫害者たちを許すために表に出てきた彼は、この世の天使であった。そこには曖昧さはなかった。ANCとマンデラが共に一方にいて、アパルトヘイトが別の側にいて、南アフリカは言葉通り黒と白の問題だった。

  この初期の数年の間、トゥトゥが「虹の国」と命名した国の、建国の父としてのマンデラの統括によって、多様性、いってみれば、多様性はもはや分裂の原因ではなくなった、多様性は強さ、希望、まして美しさのうちの何かとなった。マンデラの新たな未来像の採用が、ANCの庶民の多くが古い白黒の世界観を削除しようと奮闘していた事実を隠した。ANCは、過去もそして今も、かつて力を持った全ての平等化運動が直面するのと同じジレンマに立ち向かっている。単にこう言おう:よい革命家はしばしば悪い民主主義者をつくる。革命家たちは、密かに計画し、要請に答え、彼らを導くことによってそして人民に奉仕する。民主主義者たちは、公に議論しそして、人々の意見を聞くことによって彼らに奉仕する。革命は決然とし、ロマンティックで、独りよがりである。民主主義は融通がきき、しばしば退屈で不信に満ちている。

  歴史は、スウィッチを作り損ねた革命家でいっぱいだ。殆どは、人民による統治を約束したが、永続する革命状態を甘受した - なかには、ロバート・ムガベやヒューゴ・チャベスのような、戦うべき根拠のない外国の敵を魔法のように出すものもいた。(それらのランクに、今、影響力のあるANC青年団のリーダーを付け加える、ジュリアス・マレマ、彼は、東ロンドンの集会で、若者は「この国をイギリスに、植民地開拓者の手に、差し出した奴らを決して許さない」だろうと語った)それらの人々にとって、この終わりなき戦いは独裁政権時代に普通に経験したものだ。あまりにも多くの解放運動のリーダーが、別の革命家が力を握った時にのみ政権を離れる。

  これは、アフリカでとりわけはっきりと公言されてきたひとつの傾向である、独立後の歴史はBig Menによって支配されてきた、モトゥブ・セセ・セコのような独裁者、32年間に渡るザイールの統治者、彼はこの国を、そこを「解放」したことへの個人的な報酬として手に入れた。しかし、それはまた世界中で見られるのだ。ラテンアメリカや中国や東南アジアでの左翼の反乱の波は、同じような腐った全体主義の遺産を放っておいた。インドでは、ガンジーファミリーが60年のあいだ、その民主主義からひと際抜きんでていた。中東では、1993年にイスラエルとの歴史的平和協定をまとめるのを助けた後で、ヤッサー・アラファトのファタハー(テロ組織)運動が急速に権威主義と堕落へと転落した。若いころ、ヘニング・メルバ-、彼はスウェーデンのウプサラにあるDag Hammarskjöld財団の理事長なのだが、彼はナミビアで白人支配に反対して戦った。彼は、仲間の解放運動家が一旦戦争に勝つと国民を攻撃し始めるのを見て、革命と民主主義は”相容れない”のだと学んだ、という。

  自分たちの戦争に勝ったとき、ANCのそれは、革命のない革命的運動だとわかった。アパルトヘイト政府がつくりだした変わらない不平等を正さなければならなかっただけでなく、国力の道具を利用してそうしなければならなかった - 政府、法律、警察 - そのための戦いに何年も費やした。一つの方法、それは、現在のANCに現れているアイデンティティーの危機 - blingと迷彩の混合は東ロンドンで見られたプラダ労働者階級によって纏われた。さらに深刻なレベルでは、ビジネスにおいて、市民社会と報道は南アフリカ政府に対してはるかに大きな抑制を供給できる、彼らが、ジンバブエでやるよりも、党の批評家たちは同様の根本的な悪い力が働いているのを知る。
 
  アンドリュー・フェインシュテインは2001年に、兵器に関する50億の賄賂についての調査を受けてがっかりさせる党に抗議して辞職した、元ANC MP(ズーマが利益を得ていたと言われていたのと同じ事件)、彼は言う、ここ数年間は「アフリカのBig Manの常套句にしみ込んでいる、アフリカの最も誇れる民主主義」が見られたと。レイモンド・スットナー、元ANC運動家で1975年から1983年まで監禁されていた彼は、かつて政権に就いた党がどのように“野心と貪欲”を“非道徳的で犯罪的な無法地帯”に導いたかを語る。COPE創始者であるモジョア“テロリスト”レコタはTIME詩に語る:「自由のために戦うためには、解放運動家の組織が必要である。しかし、南アフリカは今動いている。我々には、以前の活動家の忠誠心に報いるのではなくて、民衆に奉仕できる政党が必要だ。」

  平等に言って、ANCは、自己強化と独裁主義に陥った革命運動の最悪の例からは程遠い。しかし、南アフリカは、大陸最大の経済で当然リーダーなので、ANCは模範となるものであり、南アフリカの国境を越えての影響力を持つ。それはいつもいいことばかりではない。ムベキ、彼は1999年に大統領としてマンデラの後継者となったのだが、彼は、ANCに政府における”民主主義的革命を”採用するように命じることによって、革命と民主主義の間の道を築こうとした。この取り組みは、一貫性の無さを証明した。ムベキは民主党員として、自由経済を認可し、印象的な成長を監視し、世論を高める平和交渉者としてアフリカ中から喝采を浴びた。ムベキは革命家として、自国のAIDS蔓延を西洋の陰謀とみなし、そのスタンスで治療をやめさせ、2000年から2005年の間に330,000の南アフリカ人の命を犠牲にした、これはボストンの公共健康のハーバードスクールによる11月の報告による。


  海外では、前の大統領は仲間の解放運動家や隣国のムガベを抑えられなかった、ジンバブエのリーダーであるムガベが警邏隊をけしかけた時に、国の経済を鈍らせ、何万人もの難民をつくりだした。国連では、南アメリカは、世界中のよくない地域のいくつかを一貫して擁護してきた - ビルマやスーダンをジンバブエと同様に - 懲戒的な世界の評価に反対して、その国の政府が自国民を扱うやり方よりも、西洋からのひどい扱いについてを、明らかにより心配した。フェインシュタインが言うように、ANCは「アフリカの中の、民主主義と進歩を築こうとしている他の国に、いいサインを送ったことがない」。



国内の問題
  もし南アフリカに、ANCが、その民主主義と進展を築く努力に焦点を当てたかもしれない地域があれば、それは、東ロンドンの近くの東ケープである。車でその町を出て1時間も行けば、急な坂に向かって下り坂に入る、樹木に囲まれた深い峡谷がその地面を蛇行するケイ河に沿っている、白人が納める南アフリカと、大草原のうねりの古い境界線でそれは、アパルトヘイトの権威たちがつくりだした黒人の“ホームランド”トランスケイである、“ケイを渡る”という意味である。「アパルトヘイト時代」、トランスケイは貧困の地だった:何千もの泥の壁、草の屋根の粗末な小屋、そこで人々は、水道も電気もそして道もなしで生活していた。アパルトヘイトの支配者たちは、自らをこの貧困に対するどんな責めからも解放した、黒人はホームランドの中でやりたいことを何でもできる自由の身だと主張することによって - しかしそれは望みがないあるいは不可能だったと判明したのだ。それは彼らの反対者にとって信じられる主張ではなかった。東ケープの貧困はマンデラとムベキのなかの反乱の炎に火をつけた、2人ともそのムササの不潔で貧しいトランスケイ市の近くで生まれ育ち、キング・ウィリアムズタウンのそばで成長した。今でも、ANCとCOPEの両方は東ケープは彼らのハートタウンだと訴えている。

  ANCがその地区の改善を殆どやらなかったために、そこは孤立した。現在、東ケープのかなりの部分は、水道のない泥の壁や草の屋根の貧しい小屋によって象徴される、そこでは、少年は馬に乗り、少女は赤ん坊を背中に背負い、家族は、牛、羊、ヤギ、鶏、そしてトウモロコシで生計を立てている。新しい電線が殆どの家に行きわたり - しかし供給は一定しない。殆どの道は未舗装のままである。マササでは、人口の74%の稼ぎは月に150ドルに満たず、43%は失業している、これは南アメリカ医療ジャーナルの2008年6月の報告による。2007年、東ロンドンのデイリー・ディスパッチ紙が明らかにしたのは、この市のフレレ病院での質の悪い妊婦治療は毎年200人前後の死産をもたらしていた - そしてその死骸は貧困者用の共同墓地に埋められていた。マササ・ジェネラル病院の視察はその状態は質が悪いと示唆する: 朽ちた屋根のペンキは剥げているし、その床は不潔で、救急病棟では、老女が車いすで前かがみに座っている、尿にまみれて。

  そして暴力がある。マササの親たちは、強盗やもっと悪いことを恐れて、自分たちの子供を学校まで歩かせられない。南アフリカ医療ジャーナルは、マササの殺人の割合が、2005年10万人あたり133人であったことに着目した、これはコロンビアの殺人率の2倍、そして南アフリカの平均の3倍に近い。町のメイン通り、ネルソン・マンデラ通りのことだが、その壁や街頭は、次のような勧誘のポスターがベタベタ貼られている“一日で、安全な中絶を”とか“迅速で安全な中絶、3時間”や、それぞれに“100%保障、2時間”と書いてある外科手術の無料チケットまである。ノブ・シポカ、彼はマササ子供虐待支援センターの所長であるが、彼女は言う、子供のレイプの発生に関する正確なデータはないが、彼女は、医師がそれは尋常でなく高いと示唆したという実体験に基づく証拠によってセンターを立ち上げた。「これは失業と貧困の兆候となる」と、彼女は言う「ここは幸福な街ではないのです」1時間ほど離れたムヴェゾの村では、そこでマンデラが90年前、狭い吹きっさらしの山脚の小さな貧しい集落に生まれたのだが、住民人は、かれらのANCに対する幻滅について率直に語るひとたちだ。「私の生活はアパルトヘイト時代の方がよかったよ」、とヴィンセント・ンツワイ氏は語る、53歳の彼はヨハネスブルグで、白人が支配していた間、安定して職を得ていたが、その後は断続的にしか職を得られなくなった。「自由とはただの言葉だとわかった。本当の自由、本物の力、それは金から来る - そして私は金を全く得ていなかった。」

  南アフリカには何千人ものムヴェゾ住民がいる、何百人ものマササ住民と何百人もの大都市の黒人居住区民もいる。2006年、南アフリカ人種関係研究所が予測したところによると、420万人の南アフリカ人が、2005年は1日1ドルで生活していた、1996年の190万人より増加している。2009年の選挙公約では、ANCでさえ、不平等は増えてきたと認めている。「僅かの裕福なひとがその生活を劇的に変えてきた」とスズマンは死ぬ前にTIME誌に語った。「しかし膨大なな大多数がその陰に取り残されたままだ。そして、我々が経験した、配達不可能と暴力と抗議の間には明確なつながりがある。人々はうんざりしていて、そしてそれはもっともだ。」

  暴力については、2010年のサッカーワールドカップが近づいてきたために、国際的な関心を高めている。しかし、まず、選挙がある、そしてその取り組みとして、南アフリカ人は、ANCが、その党がそのために作られなかったとして、過去の公約を全部果たさなかったという疑いについて考えている。ANCを強力な過半数が認めることによって - 前回の一般選挙で66%の得票で勝った - 義務を果たす必要性を回避する:この国の生活基準を改善すると見せかけることに焦点を当てる代わりに、ANC自信を改善することに照準をしぼる。それは築かれないまま終わった、そしてズーマの人気取りのアピールにも関わらず、いま罰を受けるだろう。「かれらは、いかさま師だ」ラッキー・マクツははっきり言う、33歳の、ムササの失業した建設現場監督で、セント・ジョーンズ・アポストリック・フェイス協会でボランティアをしている。「選挙に来てくれ、ANCはよく見た方がいい。奴らはショックを受けるよ」

  不信 - そしてそれは投票箱に現れる可能性がある - は、民主主義の基礎である。もしANCが投票日に落胆すれば、単に過半数を割るだけでなく、その前の革命グループから教訓を得るだろう。2006年のパレスチナ選挙における、ファタハーの、ハマスの失脚は軍を活気づけたことはもちろん、しかし、ハマスのよりよい社会貢献への所信表明を届けた。ムガベの、権力を握るための努力は、彼に永遠の支配を許すように憲法を改革することであり、それは、民主主義的変化を望む反対運動の組織形成に拍車をかけた。

  投票箱の衝撃は、ANCが人々を救うためにそこにいることを思い出させる多くの必要とされるものを供給するかもしれない、そして、他のみちではない。付け加えると、ANCの弱さと反対勢力の強さは、今までアフリカのもっとも誇るべき民主主義を蝕んできた1政党支配を正すのを助けるかもしれない。レコタは言う、今回の選挙は、南アフリカの民主主義を“育てる”かもしれないと。

  南アフリカは、その最も偉大なリーダーでさえ、革命から民主主義への返還に苦労したのだと知ることによって慰めを得ることができる。政権において、マンデラは、フィデル・カストロやムアマール・ガダフィのような独裁者たちへの称賛を表明し、1997年の彼のANC党大会での退任演説で、南アフリカの暴力犯罪は、前アパルトヘイトの白人によって「国を始末に負えないように変えるために」企まれた“革命の反動”の一部だったと訴えた。しかし、引退にあたって、マンデラは、彼の心の中に民主主義者を再発見した、独裁政治に対して反対意見を述べ - 彼自身の党ででさえも。2007年3月のアデレイド・タンボの告別式で、彼女は彼の長年の親友のオリバー・タンボの妻であるが、この老人は集まった党のリーダーたちに説教した。ANCのリーダーは“我々のこの国を、思いやりのある寛大な社会”にするべきである“そのために偉大なアフリカ人は命の全てを捧げ、そのために多くの犠牲をはらったのだ”と彼は語った。

  マンデラの後継者はうまくやるかもしれない、彼の中にいて、彼を最も素晴らしくさせたのは、革命家ではなく民主主義者であったことを思い出して。