http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/magazine/8328878.stm
半世紀前に描かれて間もなく忘れ去られていた一枚の地図が、現在我々が知っているのと同じ世界を見せてくれ、またアメリカという国名をつけるのに一役買った。しかし、トビー・レスターが発見したように、世界最強国アメリカの国名は語呂合わせでもあった。
ほぼ500年前の1507年に、マーティン・ヴァルドゼーミュラーとマティアス・リングマンという、東フランスの山岳地方に拠点のある2人の無名なドイツ人研究者たちが、地理学的考察の歴史において、いくつかの最大の飛躍のうちの1つをおこした、実際にはより広義な考察の歴史を変えのた。
「宇宙構造論への誘い」と銘打ったもう1つのの平凡な論文の終わりのほうで、ヴァルトゼーミュラーとリングマンの2人は、世界が古代より知られていたように、アジア、アフリカ、ヨーロッパの3大陸のみで成り立っているのではなかったという驚くべき情報を読者に向けて発信した。これまで発見されていなかった第4の大陸が、イタリア商人であるアメリゴ・ヴェスプッチによって最近発見された、そこでヴェスプッチの功績をたたえて、新大陸をアメリカと命名することにしたと、宣言したのだ。
しかしそれは始まりでしかなかった。ヴァルドゼーミュラーとリングマンが「宇宙構造論への誘い」を執筆したの、実は、彼らの代表作である大きくて革命的な新世界地図への単なる手引書としてであった。この新世界地図こそ1507年のヴァルトゼーミュラー地図として今日知られているものだ。
このヴァルトゼーミュラー地図はかつて(そして今でも)素晴らしく目を見張るものである。コロンブスが最初の大西洋横断をはたした15年後に、横8フィート縦4と1/2フィートという並はずれた大きさのこの地図は、地球の構造について基本的な新しい知識ををヨーロッパの人々に浸透させた。
この地図は膨大にある史上初のものを意味した。アメリカにその名をつけたことに加えて、新大陸を独立した大陸として描いた最初の地図だった ― コロンブスやヴェスプッチや他の昔の探検家たちは、大陸はアジアの極東限までつながっていると終生主張したかもしれないが。
ヴァルトゼーミュラー地図は、探検家フェルディナンド・マゼランが後に太平洋と呼んだものを最初に示唆したものであるが、新世界発見の歴史標準によれば、ヨーロッパの人々が、この時より数年後までは、太平洋地域について知らなかったと考えるとはこれは奇妙な見解である。
世界は4大陸
ヴァルトザーミュラー地図はごく最近ポルトガル人が一周したアフリカ大陸の海岸線全域を表記した最初の記録書である。もしかすると最も重要なことは、経度360度全体を用いて世界地図を配置した最初の地図のうちの1つでもあったということだ。要するに、今日われわれが知っているのとほぼ同じ世界を描いた最初の記録書として、まさに現代の地図の母だったのだ。
1507年から数年のうちに、ヴァルトゼーミュラー地図の複写版が、中央ヨーロッパ中の大学に出回り始めた。大学で講義室に展示され、地理学者や旅行者のような人たちが議論したりして、この世界地図は一般の人たちに4大陸世界の考え方を浸透させた。
ヴァルトゼーミュラー自身は、後に、自身の地図が1,000枚印刷されるという記録を作ることになった、この数字は時代を考えると実に大したものである。しかし、急速なペースの地理学的発見によって、間もなくヴァルトゼーミュラーの地図は、より新しくより最新式の世界地図にとってかわられて忘れられてしまい、1570年までには人々の記憶からほぼ消え去ってしまっていた。
地図製作者アブラハム・オルテリウスが、その年(1570年)、地図製作者の先駆者たちについてとそれぞれの地図の総覧を出版した際に、ヴァルトゼーミュラーについて言及したが、この偉大な1507年の地図は取り上げていなかった。
残っていた最後の地図
幸運にも、複写が1枚残っていた。1515年から1517年の間のどこかで、ニュルンベルグの数学者ヨハネス・シェーナーがヴァルトザーミュラー地図の複写版を手に入れて特大の二つ折りのフォルダーに挟み込み、自身の参考図書にしていた。
それから数年の間、シェーナーは地図を詳しく調べたが、何十年かが過ぎてより新しい地図が手に入るようになると、シェーナー自身の興味は地理学から天文学へと移ってゆき、ヴァルトゼーミュラー地図を開いてみることもしだいに少なくなっていった。シェーナーはその地図を、1545年に死亡するまで何年ものあいだ開かなかっただろう。その最後に残ったヴァルトゼーミュラー地図の複写は、シェーナーのフォルダーの中で美しいまま保たれ、長いまどろみにつき始めていた―そしておよそ350年もの間再び目覚めることはなかったのだろう。歴史的に貴重なものが時としてそうであるように、その地図は偶然発見された。
1901年の夏、イエズス会の地理学教師であるジョセフ・フィッシャーが南ドイツにあるヴォルフエッグ城の書庫を調べていて偶然シェーナーのフォルダーを見つけ、すぐに何を見つけたのか気がついた。
数ヶ月間、彼の発見は世界を駆け巡った。「待望の地図発見」、と、ニューヨークタイムスのある見出しが1902年3月に報じた。「最古のものとして知られているアメリカという言葉の記録書がついに白日のもとに」と。
その地図は、それから100間ヴォルフエッグの所蔵品のままだった―2003年にアメリカ国会図書館が、1,000万ドルという大金をはたいてヴォルフエッグ城の所有者からその地図を手に入れたことを鳴り物入りで発表するまでは。
この金額はアメリカ国会図書館がその膨大な商品のなかのどれに支払ったよりも高額であった。自信満々に、記者会見の席でアメリカ国会図書館はこの地図のことをアメリカの「出生証明書」だと言った。
金額ほどの価値は?
その金額に見合う価値があったのだろうか?そんな価値はなかったとぼやく有識者たちもいた。ところが最近国会図書館で公開展示されているこの地図は、その分野の研究者も他の分野の研究者も新たな視点から見るようになり、かつて予想されていたよりもずっと意味深く、独特で非常に歴史的な価値のある記録書であることがわかってきた。
ヴァルトゼーミュラー地図には、いくつかの異なる地図の寄せ集めであることが如実に表れていることがわかった:古代ギリシャ・ローマ人によって描かれたようであり、ヨーロッパのキリスト教神学者たちによって図式化されたようでありまた、地中海と大西洋を定期的に往復していた水夫たちによって図表化されたような世界である。
他にもある。例えば、アメリカの国名には、おそらくアメリゴ・ベスプッチに対する敬意だけではなく、「新生」と「どこでもない場所」の2つの意味にとれる異なる言語を組み合わせた語呂合わせも見てとれる―トマス・モアにひらめきを与え、海の向こうの新世界を考えださせた、ふざけた新造語の1つの意味もまた「どこでもない」であった、ユートピアのことである。
この地図自体は他でもないニコラス・コペルニクスその人に強い印象を与えたようでもある。コペルニクスは、代表作である「天体の回転について」の冒頭で、アメリカを、自身が見たヴァルトゼーミュラー地図に描かれていたとおりに記述し、それから第4の大陸(アメリカ)の存在は、地球だけでなく宇宙における従来通りの形を再考しなければならないということを意味するのだと主張した。
最後に残ったヴァルトゼーミュラー地図は、アメリカにその名を与え、ヨーロッパに新大陸の存在を知らせただけでなくコペルニクスが宇宙について再考するのに一役買ってもいたのだ、1,000万ドルはまさに妥当な金額だったようだ。
トビー・レスターはその著書「第4の大陸」において、ヴァルトゼーミュラー地図について述べている、プロフィール・ブックスより出版。
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