http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,1966455,00.html
Monday, Mar. 01, 2010
By Alex Perry / Nairobi
ソマリアにおける過激主義の台頭
昨年9月21日夜、南アフリカ駐在アメリカ外交官は、翌日は出勤しないようにという電話を自宅で受けた。国務省当局者はこの警告に関する説明を拒否したが、アフリカにいるある西側の情報部員は、この警告はは、アルカイダ工作員からの電話が、ケープタウン市内にある番号にかかってきた電話が傍受された後に発せられたとTIME誌に教えてくれた ― この電話で、南アフリカにあるアメリカ政府の建物への攻撃について話題になっていた。攻撃はなかったので、3日後、プレトリアにある大使館と3か所の領事館は再開した。しかし、南アフリカは今年の6月と7月のサッカーワールドカップへ、50万人の集客を見込んでいるので、治安当局者たちは当然のことながら神経質になっている。特に、この電話の発信ちが問題になっている。TIME誌が聞いたところによると、それはソマリアからの電話だった。
ソマリアは、テロ対策関係者にとって、最近非常に気がかりな国である。2月1日、シャイフ・ファド・ムハマド・シャンゴールという、アル・シャバブ(若者たちという意味)としてしられていて、アフリカの角と呼ばれる場所にある国の覇権を支配しようと戦っているイスラム原理主義派の指導者が、ウサマ・ビン=ラーディンへの忠誠を公式に宣言した。もしこのことで、アフガンのタリバン政権とビン・ラディンの間にあったかつての関係の記憶を呼び覚まさないとしても、やはり気がかりに違いない。ソマリアとアフガニスタンの両国は1世代以上もの間戦争状態にあった。どちらの戦争も似通った展開を辿ってきた:何年もの軍司令官の反目に続いて起きた中央政権の打倒(1993年、モガディシュで国連使節団を護衛していた米兵18名が死亡したエピソードは、後に、ブラックホークダウンという本と映画の題材になっている)、その後に起こったムーブメント(アフガニスタンのタリバン政権、ソマリアにおけるアルシャバブのこと)が、無政府状態への1つの解決策として、イスラムの過激主義的な考え方を提案した。両国とも貧しく、居住者の多くは、よくそんな感じがするのだが、一用に好んで、あごひげを生やし、AK-47銃を抱え、ピックアップトラックに乗っている男たちである。
何年もの間、両国がアルカイダを受け入れていたころ、アルカイダは、ソマリアの平坦で開けた低木地帯よりもむしろ、アフガニスタンとパキスタンの国境にある近付くのが困難な険しい山々を好んでいるようだった。ソマリアに拠点を置く数人の聖戦兵士は国際的な攻撃を実行した:1998年8月に彼らはナイロビ(ケニア)とタンザニアのダルエスサラームにあるアメリカ大使館を同時に攻撃して224人の命を奪った、それから2002年11月にはケニアの沿岸地域にあるイスラエル人所有のホテル前での自動車爆弾攻撃で13人を犠牲にした。しかし、彼らは9.11規模の攻撃は行わなかった。しかし今、彼らの野望が高まっている恐れがある。このソマリアに関する懸念にもまた地域的側面がある:アデン湾の向こう側はまさにイエメンだ、長い間アルカイダによる攻撃のための準備基地になっていて、ウマル・ファルーク・アブドルタラブという、クリスマスの日にデトロイト行きの飛行機を爆破しようとしたナイジェリア人が訓練を受けていたと思われる場所である。
アルシャバブの長い腕
もし、ソマリアの過激派が国際的な脅威になっているとしたら、彼らの全世界におよぶ指導力がその理由の一部である。戦争がもたらす1つ確かなことは難民である、ソマリアにおける戦争が続く何十年もの間、ケープタウンからミネアポリスにおよぶ様々な場所へ大勢のソマリア人海外移住者が急激に増加した。しかし、アフリカから遠く離れざるを得なかった人々がみんな安全に暮らしていたわけではない。外交情報筋によると、ここ数年は、200人から300人のソマリア系の若者が、アメリカやイギリス、カナダ、オーストラリア、ノルウェイ、スウェーデンから入国している、つまり移民者の子供たちが祖国に戻ってきているのだ。ソマリア駐留の西側兵士が言うには、こういった外国生まれのソマリア人が、今やアルシャバブの中心になっている。「アルシャバブの下部組織は全て1人の外国人が指揮している」と彼は言う。「全ての戦術、戦略的決定は外国人たちによるものだ」
外国への勢力を拡大するために、ソマリア内のアルシャバブ指揮官たちが過激派になりそうな若者を探して海外を周って来るのだと考えられている。FBIは、10名を超えるソマリア系アメリカ人で自宅から消えてアルシャバブに参加している疑惑のある者を追跡しており、11月には14名のソマリアと関係のあるミネソタの男たちをテロ組織を援助したといったような犯罪行為で告発し、そのうち4名は罪を認めている。8月、オーストラリア警察はメルボルンのソマリア系コミュニティにいた5人の男を、シドニー郊外にある軍兵舎攻撃を計画したとして逮捕した。情報部員によると、ケーブタウンにかかってきた9月の電話が傍受されたのは、ケープタウンのソマリア系グループが、アルシャバブへの資金提供疑惑により、既に監視下にあったためである。「ソマリアを優先的脅威だと断定する時期を待っている時に、他に何が必要なのだ?」と、ソマリア駐留の西側の兵士に尋ねた。「ソマリア南部が聖戦士の出動可能な配備基地になるかもしれないという深刻な危険は、もはやない。すでに実戦可能だからだ。」
それでどう対応するのか?ソマリアでは、当局は名目上、西側諸国との実利的なかかわりを説くイスラム原理主義者が主導する暫定連邦政府の支配下にある。この暫定連邦政府は、アフリカにおけるアメリカの主要な同盟国であるエチオピアから持ち込まれたもので、2006年にその勢力がソマリアに及び、ソマリアより大きくてよりキリスト教勢力の強い西側の同胞であるエチオピアに対して、愚かにも聖戦を布告した旧イスラム教主義政府を打倒した後のことだ。ところが、暫定連邦政府当局者の多くは実際にはナイロビに住んでいるようだ。(例外の中にいるのは、シェイク・シャリフ・アフマド大統領とユスフ・モハメッド・シアド国防大臣である、この大臣は老練の軍指揮官で、2月15日にモガディシュで起こった自爆テロ暗殺攻撃による難を逃れていた)5,300人のアフリカ連合部隊(主に、ウガンダ人とブルジア人からなる)による防衛にもかかわらず、暫定連邦政府は実際には、モガディシュの数ブロックを規制しているだけである。「シャバブを無力化させるために」と情報当局者は言う「実際に機能する政府が必要だ。それはまさに欠けているものなんだ。」
アフリカの外側からの対応は統制がない。いくつか財政的援助がるが、そのほとんどはアメリカからのものだ(アフリカ連合平和維持軍はこれまで1億6千万ドルを費やしてきた)2007年に、エチオピア側に特殊作戦部隊を送り(アメリカ側を支援するソマリア国会議員のアブディラシッド・モハメッド・ヒディングが言うには)10名から20名の外国人兵士を捕らえた。アメリカ国防総省広報によれば、その後でアメリカは少なくとも6回の空襲をソマリア国内で行った、アルシャバブ指導者であるアデン・ハッシ・ファラハ・アヨロは、2008年5月のミサイル攻撃を被弾し死亡、2002年のケニア攻撃の指導者であったサレフ・アリ・サレフ・ナブハンは昨年9月の米軍武装ヘリコプターにより殺害された。アメリカは他国からの軍事的援助を受けていなかった、しかしながら、ソマリアの長期にわたる人道的危機への取り組みを助けるために一部の国が援助した。海賊行為とそれが引き起こす国際貿易への脅威だけが、世界中の軍事力の協調を生み出した。現在20を超える国々からの艦隊が、アデン湾とインド洋で海賊を追跡し、商船を護衛している。
つまり、ソマリアからの脅威は全体的に捕えておく必要がある。アルシャバブはタリバンよりはるかに小さい。「L.A.にはもっと大きなギャングがいる」と、諜報部当局者は言う。派閥争いをする傾向があり、一般のソマリア人から援助を募るのは困難である。国連の発表によると、アルシャバブは、金品および武器を中東やエリトリア政府から受け取っている。(アルシャバブはエチオピアと対立しており、エチオピアはエリトリアの敵) しかしそういった援助は、パキスタンやアフガニスタンにいる過激派グループが世界中にいるイスラム過激派から受けていた援助と比較すると少ない。ついに、ソマリアが、アフリカの角を超える大規模な紛争に火をつける危険性は(エチオピア、エリトリア、そしてケニアまでも巻き込んでの)現実のものとなったが、これもまた、アフガニスタン近隣で起こっている程のものではない。ケニア駐在のアメリカ大使マイケル・レンヌバーガー氏が辛抱強く指摘し続けるのは、ソマリアの隣国はどこも核武装していないことである。「われわれはその違いに少し警戒している」と彼は言う。
しかし、この非対称なテロ算出による小さな数が重要なのではなくて、ダメージを与えようという考えこそが問題なのだ。レンヌバーガー氏が認めたように、ソマリアが何も変わらないのは「状況がより悪くなっている」ことを意味している。ますます厳しくなるアルシャバブへの対応が懸念されている。アフリカ連合平和維持軍は、モガディシュ市内に「安全地帯」を作ろうとして規模を拡大している。このところ何百人ものアルシャバブ戦士が、暫定政府の攻撃態勢を見越して、モガディシュに流れ込んできている。ウガンダ大統領ヨウェリ・ムザベリは、ソマリアを侵攻し、キスマユ南部の港を占領してアルシャバブとの闘いに利用しようという提案を推し進めてきた。1993年にあった悲惨な第三者介入の記憶がいまだ鮮明に残っているので、その提案はかつてのようにアメリカから多くの援助を受けようというものではないようだ。しかし、これは棚上げになっている問題をソマリアが刺激するのではないかという高まる懸念に対する1つの手段なのだ。
http://www.time.com/time/photogallery/0,29307,1653255,00.html
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