Tuesday, March 16, 2010

The Next American Century



By Andres Martinez


1949年、アメリカが第二次世界大戦に参戦する前に、この雑誌の共同創刊者Henry Luceは、LIFEの中で不幸なアメリカ人は不干渉主義に対する活気のない主張に当惑しており、そんなアメリカ人に、最初の偉大なアメリカの時代―いいかい、あくまでも最初であり、最後ではない―を築くよう説いた論文を書いた。私たちは今、より一層際立ってアメリカの時代になるであろう2期目の10年間に差し掛かっている。実際、世界のアメリカ化は過去よりもはるかに予測可能な未来を特徴付けるだろう。

ブランドアメリカがこの10年で大成功を収めたのは事実である。世界の超大国は自国の選挙と海外の占拠にしくじった。アメリカ自慢の金融市場は10年間の早い段階で概算により悪化し、さらにその後の世界的経済危機の引き金となった。それはウォール街が一度で危機を回避していたという借入額の多い賭けが原因だった。これらの過失全てが、アメリカの信頼性に不利な影響を与えたが、正当かどうかはあるが、アメリカがひどく広範囲にわたる過失を抱えているということを思い出させるものでもあった。また、経済混乱の時代が唯一、アメリカの他に負けない利点を強調しているのである。その利点とは、アメリカの俊敏さと適応力。

世界人口のたった5%の人口で、アメリカは世界の経済産出量の1/4を占めている。世界経済危機がG-7(またはG8、誰が計上しているかによる)からG20へ拡大していったときでさえ、どの参入国もアメリカのやり方に対して強固に異議を申し出る国はいなかった。むしろ、参入国は確実にアメリカが自国の規律に従うことを望んでいるのである。ギリシャの負債危機によって通貨同盟が政治的・財政的一貫性に欠ける危険性があることが明らかになると、世界の基軸通貨であるドルの地位が唯一強化された。中国は表向きはアメリカに次ぐ経済大国であるが、私有資産に欧米の概念を取り入れる方向に向かって動き始めている。一方、北京では数十億ドル分の財務省短期証券を買い上げることでアメリカの将来に投資している。中国、ブラジル、インド諸国で、中流階級社会における消費者保護運動家が増加していることがより安定な世界を生まれており、それがアメリカ製品や文化に新たな市場を生み出すことは言うまでもないだろう。

その上、経済評論家がアメリカの衰退について公然と非難し続けている。これは今に始まったことではない。1988年まで遡ると、ポール・ケネディの著書「大国の亡命」がベストセラーとなると、ケネディ氏はアメリカがあちこち手を出しすぎる危険を冒していると(念頭に置くというより回避すべきだと)しきりに警告している。その危険は昔から続いているやっかいな事実なのである。というのも、アメリカが世界から受けている関心や責務を全てあわせると、今日では、同時に全てを防御するだけの国力をはるかに超えているからである。

では、次に何が起こったのか?  ベルリンの壁が崩壊し、世界中の多くの国が市場資本主義を採用した。アメリカは世界に恐れをなし、アメリカの文化的優位性を強化すべく革新的な新技術を導入して世界をオンライン化した。一方、アメリカ支配による平和に対する維持費は極めて少なくなっている。アメリカにはアフガニスタンとイラクに関する2つの長期遂行中の公約があるにもかかわらず、海外に派遣予定又は派遣済みの288000人のアメリカ軍兵士とGDPの4.6%を占める防衛予算は、戦後の底値に近い数字となった(1987年に類似の数字を出しており、その数字は524000人の海外派遣軍兵士とGDPの6%を超過するほどの防衛予算)。そして、この歴史的に少ない投資のおかげで、軍が次に挙げる締結国9カ国に費やすことができなくなった。

依然として、我々は自国の地位に大いに悩まされている。これは部分的にはいいことである。自己満足を打開できるという点では。しかし、最近の他国の財政力をしぶしぶ認めるとなると悪いことになる。何百万のインド人や中国人が繁栄の味を覚えて始めているという事実がまずかった。アメリカの気分を害してしまったのである。

与えられた観点から、アメリカの権力と影響力を測定するには2つの方法がある。アメリカがそれ以外の国よりどれだけ裕福かという観点から権力と影響力を単純に測定すると、世界中の多くの国が荒廃した1945年は、アメリカにとっては明らかに最盛期であっただろう。第二次世界大戦終結時に、アメリカは世界の工業輸出品の1/3を占めていた。そして、その基準の下で、ヨーロッパの失われた優れた技術を修復することを目的とした、マーシャルプランは後に間違いを起こすことになってしまった。その計画がアメリカの世界マーケットシェアを崩壊させる運命になったからだ。

しかし、アメリカの影響力と権力を測定するよりふさわしい方法は、世界の中での国の財力と財政支配を結合することで見えてくる。1941年に戻ると、Luceはこう記している。「アメリカンジャズ、ハリウッド映画、アメリカンスラグ、アメリカ製の機器、特許製品らは、実際ZanzibarからHamburgまで世界中のあらゆる
地域が共通で認識している唯一のものである」。彼はわからなかった。アメリカに住んでいる人々と同じだけ中国で英語を勉強している(又はバスケットボールをしている)人がたくさんいる時代において、世界中でテレビ番組10作品のうち7つは、アメリカ製である。アバターは中国で史上最高収益を上げた。世界ではかつてないほどアメリカブランドが定着している。マクドナルドからナイキにいたるアメリカの多国籍企業はその総収益を半分以上海外で計上している。もし、ナイジェリア、スウェーデン、南アメリカ、アルゼンチンの10代の子供-ランダムに選んだ4人組-を一緒に連れて行き、ある地域に4人を一緒にしておくとアメリカ文化になるのである。つまり、音楽、ハリウッド上映作品、電子ゲーム、Google、アメリカの消費ブランドで満たされる。彼らが共通にやりそうで、アメリカでは盛んではない唯一のものといったらサッカーに対する興味くらいだ。世界のほかの国がアメリカにより近づくようになるという事実は、良くも悪くも、どれだけアメリカに浸かっているかということを強調するのである。明らかにアメリカ特別主義という概念が腐敗していても関係ないのだ。

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