Friday, January 22, 2010

YouTube Makeup Sensation Lauren Luke

ForbesWoman Q&A
Evelyn M. Rusli, 12.03.09, 04:30 PM EST
http://www.forbes.com/2009/12/03/lauren-luke-panacea81-youtube-forbes-woman-entrepreneurs-makeup.html














彗星のごとく現れた企業家ローレン・ルークが、何百万人もの女性たちに、スターやスーパーモデルのように見せる方法を伝授している。ローレンのブランドも拡張するだろうか?

もし、Panacea81をご存じなければ、いい機会である。
ローレン・ルークとしても知られている、このYou Tube センセーションは、マルチメディアキャンペーンの真っ只中にいる。
ローレンは、その著書、「スターのように見せる」ローレン・ルーク著と、任天堂ゲーム「ローレン・ルークによるスーパーモデルメイク術」と、それからもちろんローレン・ルーク製のSephora 化粧品を宣伝中なのだ。



http://www.bylaurenluke.com/

Haiti's Agony: What It Will Take to Rebuild

ハイチの受難: 復興に必要なもの
By MICHAEL ELLIOTT Thursday, Jan. 14, 2010
http://www.time.com/time/specials/packages/article/0,28804,1953379_1953494_1953499,00.html














悲劇は、それを最も耐えられないところに訪れるものだ。ハイチは西半球において最も貧しい国であり、栄養失調が蔓延し、人口の半分に満たない人しか清潔な飲み水を手に入れられない場所だった。

1月12日午後4時53分9秒、ハイチ首都ポートプランスから南西に15マイルの地点で、カリブプレートが、北アメリカプレートを押し、エンリキロ・プランテイン・ガーデン断層として知られている断層を動かした。この揺れが地表で生み出した巨大なエネルギー(リヒタースケールで7.0と計測された地震)は、ハイチにおける救世軍の災害対策本部長であり、その時ちょうど、ポートープランスに向かって近郊にあるペティオヴィルから丘を下りていたボブ・ポフの車を突き飛ばし、まるで玩具のように前後に揺り動かした。揺れが治まった時、ポフは救世軍のブログに書き込みをした、「窓から外を見たら、建物がパンケーキのようにぺちゃんこに積み重なって崩れているのが見えた…何千人もの人たちが、叫びながら、血だらけの体を引きずって、助けを求めて、道にあふれ出してきたのを見た。」

それから数時間のうちに、これまで200年以上もの間にハイチを襲ったなかでも最悪の地震の規模が明らかになった。5年前に、携帯電話のビデオがインド洋津波の惨劇をリアルタイムで世界中に配信したが、ツィッターのつぶやきやブログの書き込みが今回のハイチ地震についてまさに同じことをした、何が起こったかを伝え、誰かが自分の大切な人の消息を知っていないか尋ね、医療用品やクレオール語を話せる人を求めた。NGOのパートナーズ・イン・ヘルスの臨床責任者であるルイーズ・アイバースは、こう書き込んだ、「ポートプランスが被災して多くの死者がでた。SOS.SOS...どうか助けて下さい。」NGOのセイブ・ザ・チルドレンのイアン・ロジャーズの書き込みはこうだった、「地震から5時間たった今でも建物が崩れ落ちて行っている音が聞こえるんだ。」
(See pictures of the Haiti quake's aftermath.)

翌日、死者の数はまだわからなかった(地震の場合は常にそうなのだが、被害者を埋めてしまう)知ることが出来なかったのだ。しかし、複数のハイチ政府当局者が報道機関に話したのは、政府当局では最終的な死者数は10万人を超えるだろうと考えていることだった。さらに翌日、ハイチにおける国連活動の広報担当者であるヴィンチェンゾ・パリーズは、それまでにわかっていたことをまとめた。今回の地震は、とヴィンチェンゾは話し始めた、甚大な被害を引き起こした、大統領府や大聖堂、それから多くの政府機関の建物を破壊した。ホテルや病院、学校や、首都の中央刑務所は全て倒壊した。「犠牲者は、それは、推定できる範囲だけでさえ膨大な数になる」、ヴィンチェンゾはそう語った。「何十万人もとはいわないまでも少なくとも何万人もの人が、程度はいろいろだが、家屋の破損に苦しんでいる。」すでに跪いていた国が地面に平伏されてしまったのだ。


悲惨な場所をさらに悪くさせること

地震は予測できないものではなかった、とはいうものの、この地震による惨劇はそういった類のものではない。世界中の断層、つまり地殻を形成しているプレートとプレートの間にある危険な境界線は良く地図化されている。900万人の人口を抱える国ハイチは、カリブプレートと北アメリカプレートの接合部分の真上に位置しているのだが、「この境界線がこの島の岩盤をせん断し、押しつぶし、軋らせるのだ」、と語るのは、アメリカ地質調査所の地震災害部門、副主任であるマイケル・ブランピード氏である。「そして、そうなった時に地震が発生するのだ」
(See where the next five big earthquakes will be.)

That they do. 歴史学者によれば、過去500年間においてカリブ地域ではおよそ12の大きな地震が起こっている。地震による被害はよく知られている; 1962年の地震は、ジャマイカの都市ポート・ロイヤルをカリブ海に沈めてしまい、今日もまだ沈んだままである。しかし、地震がいつか起こるだろうということが解っても、地震が明日起こるのか、来週起こるのかそれとも来年かどうなのかと知りたがっている人には何の役にも立たない。1980年代に、アメリカ地質調査所とカリフォルニア州が、特に不安定で距離の長いサン・アンドレアス断層の研究を実施したが、2004年のパークフィールド地震を予見しうる兆候を全く見つけられなかった。「地震の予測は」、とブランピード氏は言う、「そもそも、もし出来たとしても、非常に難しいのだ」

今回のハイチ地震はこの地域において著しく強大だっただけではない; その震源は浅かったということもある ― 実際、ポートオプランスの辺りの軟弱な地盤と波型のドロドロの丘の組み合わせが、地震の影響をさらに大きくした。ポートプランス市内にある、大聖堂や大統領府のような堅強な建物がこの地震に持ちこたえられなかった、ということはつまり、他の多くのにわか作りのコンクリート製の建物はまるでトランプで作った家のように崩れ落ちてしまい、同時に多くの人の命を奪った ― ポートプランスの大主教はその一例である。
(Read "Seismologist Roger Musson: Haiti Quake Was the 'Big One.' ")

ポートプランスにある多くの立派な建物は、ハイチの人たちが国民意識や歴史観といったものを持つのに、これまで一役買ってきた、しかし今、この国は、国を立て直す方法だけでなく、国民の意識を立て直す方法をも見つけ出さなければならない。1月12日に起きたことは、まさにハイチの特殊な地形や地質によって作り出されために、最終的な被害者の数もまた、この国の、まさに特別な状況によって決定付けられるのだろう。ハイチは、不運で不幸な国だ。かつてフランスの奴隷植民地であったこの国は、長くて激しい独立戦争を経て、世界で最初の自由な黒人による近代国家として、200年以上前に血まみれで誕生した。それから何年もの間、ハイチはほぼ間断なく、地方地域の無法状態や諸外国からの干渉や経済的搾取に苦しみ続けてきた。ハイチは、1915年から1934年にかけては米軍の占領下にあった、その後、1957年から1986年の間はフランソワ・デュヴァリエとその息子であるジャン・デュヴァリエ(通称パパ・ドクとベイビー・ドクである)の支配下にあった、このデュヴァリエ政権期の政治腐敗と弾圧がハイチ国家を蝕み、教育を受けた人々の大規模な世界中への移民をもたらした。

1994年にアメリカが介入し、カリスマ的司祭で、1990年に大統領に選出されたジャン・バーナード・アリスティド政権を失脚させてしまった軍事政権を強制追放した。政治的混乱から10年後の2004年、当時、自身大統領として2期目であったアリスティドは、亡命せざるを得なかった;それから、国連の平和維持機関であるハイチ安定化派遣段が設置された―これは、ハイチ国家の平和と一定の安全確立を助けるために計画された一連の多くの海外援助のうち最新のものである。

今回の地震を特に”悲惨で計り知れないもの”にさせたのは、バラク・オバマアメリカ大統領が述べたように、地震が、まれに見る楽観主義的な時期に襲ってきたことであった。自然と政治による惨事から何十年もたった後で、前の大統領であるビル・クリントン率いる国連平和維持活動と、国際投資活動、それから国連によるハイチへの特別使節が、最近やっとこの国を沈静化させ復興し始めていたところだった。しかし、この用心深い楽観主義的な雰囲気は、まだ、一般のハイチ人の最低限の生活状態を改善し始めてはいなかった。一番いいときでさえ、ハイチの健康衛生は最悪である。公共の下水施設を備えているハイチの都市は1つもない;20万人近くの人がHIVやAIDを抱えており、ハイチの子供達のうちたった半数しか、ジフテリアやはしかといった最低限の予防接種を受けられないのだ。

この地震はものごとを想像を絶するほどに悪化させた。救急隊は既に、まだ助かる可能性のある負傷者を見つけ出すために瓦礫の中をくまなく捜索しはじめていたが、この国を脅かすような、不気味で長期的な健康リスクがそこにはある。「これから数週間のうちに、わたし達は公衆衛生に関わる膨大な問題を抱えることになるかもしれない」、と言うピノ・アナンジアータ氏は、ジュネーブのWHOで救急隊をまとめている人物である。災害から1日も経たないうちに、アメリカ海軍と沿岸警備隊の船舶が群れを成してハイチに向かい、災害救済活動の陣頭指揮をとる準備をしていた。2,000人を超える海兵隊員が、ハイチへ向かう準備をするよう告げられた。彼らは、全員出動することになるだろう。地震後の最初の混乱していた日に、消息筋が強調したのは、瓦礫を移動させて建物を支えるための重機がないことだった;人々は大切な人たちのために、自らの素手で瓦礫をかき集めていたのだ。米軍は、空港や港が、これから大勢やってくるであろう、多くの救済者を受け入れられるように準備するだろう。

発展途上国においては常にそうなのだが、最優先事項は清潔な水である。飲料水分配システムが壊れてしまったので(それに、生存者は水まわり設備のない収容所に詰め込まれている)、供給水はすぐに汚染されてしまう。そのため、コレラや赤痢のような水を媒介する感染症があっという間に広がって、収容施設中に蔓延する可能性がある。

適切な援助によって、とにかく、最悪の事態は回避できるかもしれない。今日、災害後における感染症の大流行は世界でも稀である。2004年の津波のときでさえ、20万人を超える死者を出したが、迅速かつ徹底した対応が、被災後の死者数が膨大になるのを防いだ。実際に、海外からの、ハイチに対する非常に大きな注目によって、最終的に、ハイチの公衆衛生システムは改善されるかもしれない、津波の後のインドネシア、アチェ州がそうであったように。

ハイチの状況がよくなることを願っている人たち誰もが、そういった親切な施しを望むだろう。多くの人が望むだけでなく実行するだろう。トロイ・リヴゼイは、ポートオプランスから最初に言葉を発信した多くの宣教師の中の1人であるが、ツィッターの書き込みの中で、地震の会った日の夜の雰囲気を、こう表現した。「協会の人々は歌っている…祈っているのだ」と彼は書き込んだ。「恐ろしい惨状の中にあって、美しい歌声です。」

信者になるまでもなく、長い間悲しみに耐え続けてきたハイチの人々の祈りがかなえられることを望むはずだ。



— With reporting by Massimo Calabresi, Michael Scherer and Mark Thompson / Washington; Gilbert Cruz, Jeffrey Kluger, Kate Pickert and Bryan Walsh / New York; and Tim Padgett / Miami



Sunday, January 10, 2010

The '00s: Goodbye (at Last) to the Decade from Hell



By Andy Serwer Tuesday, Nov. 24, 2009
http://www.time.com/time/nation/article/0,8599,1942834,00.html

2000年1月1日に日付が変わってからちょうど2分後のこと、日本の女川原子力発電所で警報器が作動した。世界中の政府当局とコンピューター科学者たちは固唾を飲んだ。それは2000年問題による大規模なコンピューター崩壊の始まりだったのか?実はそうではなかった。それは単発的な出来事で、新しい10年の始めに起こった一握りの誤作動のうちの1つだった。(その中には、デラウエア州の2か所の競馬場で起きた500スロットマシーンの故障がある。)恐れられていた新世紀のコンピューター崩壊はまったく起こらなかった。

その代わりに、壊れようとしていたものはアメリカン・ドリームであった。9.11にはじまり、金融崩壊で締めくくられた、今世紀最初の10年間は落ちてゆくのだろう、第二次世界大戦後アメリカが経験した中で最も気の滅入る、最も幻滅されられる10年間として。2009年が終わるまでにまだ数週間残っているが、判断を下すのに早すぎはしない。この10年を、最悪の10年と呼ぼう、もしくは、報い、夢が壊れた10年、失われた10年と呼んでもいい。何とでも好きなように呼ぼう、ただ、この10年が間もなく終わりを告げることに、感謝を捧げよう

2000年代を「最悪」と言うと、歴史的にみて大きな戦争がなかった10年には言い過ぎのレッテルのように思えるかもしれない。この言葉は、悲しいことに、何千人もの、9.11の犠牲者、イラクやアフガニスタンで犠牲になった兵士や一般の人たちの遺族にとっては妥当な言葉だ。しかし、大規模な武力抗争の欠如が、この10年をより一層際立たせた。この10年は、アメリカ全史におけるどの平和だった10年とも同じくらいひどいものだった。西欧諸国がイスラム過激派と苦闘し続けており、最近の瀕死の経済事情があるなかで(この波は、ほとんどの発展途上国を大きく避けて通った)、アメリカが10年の刑罰を受けていたように感じるのは無理もない。アメリカが受けたこの波による影響が最も深刻だったので、アメリカ人は近年の歴史について暗い見方をしているのかもしれない。ブラジルや中国の人は、経済面で非常に恵まれた10年を過ごしただろう。かつてアメリカは、どこよりも日当たりのよい、最も楽観的な国家であった。もはやそうではない。

アメリカは、1つどころか2つの市場崩壊に耐え抜いた、10年の終わりごとに1つずつだ。最初のウォール街の大暴落を思い出してほしい、力を失いかけていたテクノロジー株が、2000年から2001年にかけて市場を大暴落させたのは、2000年3月に10日にナスダックが5049ドルの最高値を記録してから間もなくのことだった。(最近の株価は:2150~2200ドルである)当時、経済は後退したが、それは今となっては笑ってしまうくらい穏やかな不況であった。その後に起こったさっぱり笑えないことというのは:史上最も対立的で、複雑な大統領選である、アメリカ人が、第三世界でしか起こり得ないだろう、と、かつて考えていたような混乱したドラマがあった。

やがてこの10年を決定づける瞬間が訪れた、9.11のテロ攻撃は少なくとも1世代の期間の外交政策を問いただし、それまではほとんど心配したことがなかったアメリカ本土の安全対策に疑問を抱かせた。アメリカはアフガニスタンに戦争をしかけたが、この戦争は延々と続き、今日となっては、かつてないほどに破滅的なものになっている。続いて、アメリカはイラクで大失敗を犯した。忘れてはいけない、炭疽菌が入っているという脅迫の手紙やその後に現れたワシントンD.C.の狙撃者たちと、エンロン社とワールドコム社によって浮き彫りにされたウォール街の不祥事を。

時々、それはまるで、この10年に対する神々の陰謀のようであった。2005年8月29日、この10年のちょうど真ん中で、ハリケーン・カトリーナがルイジアナ州南東部に上陸し、1,500人を超える死者と1,000億ドルの被害を出した。これは、アメリカ史上最悪の自然災害だった。

この10年が終わりに近付いている今もなおアメリカが格闘している経済の大崩壊に関して自然なことは何もない。低金利の融資によって支えられた不動産バブル景気と、金融派生商品によって膨らみすぎた負債が、いわゆる、金融の大量破壊兵器が、アメリカの経済状況を崩壊の危機に追いやった。アメリカは、これから何年もかけてこの損害を整理することになる。一方、この経済の卑劣さの生きた象徴である、囚人番号61727-054、別名バーニー・マドフは、ノース・カロライナ州、バトナー刑務所の独房でやせ衰えながら、人類史上最大のねずみ講を指揮した罪で150年の刑期に服している。


大暴落

この災難を被ったのは我々アメリカ人だけだったのか?2004年のアジア津波は20万人を超える死者をだした。アメリカの金融崩壊は、世界中の先進国にあっと言う間に広まった。それでもまだアメリカは、20世紀を見下ろす高台に居て(TIME詩の共同創刊者はかつて、アメリカの世紀と名付けた)その先端はまるで切り立った崖のようである。我々の中で無傷だったのは誰だろう?多くはいない。家族の誰一人戦闘の犠牲にならず、マドフの金融詐欺にあわず、自宅が抵当に入っていなかったとしても、それでもおそらく、打撃をうけたはずだ。かつてロナルド・レーガンが問いかけた言葉を言い換えてみよう、この10年が始まったころとくらべて、あたなは今、より幸せですか?ほとんどのアメリカ人にとっては、その答えは明確にNOである。その理由をみてみよう。1つには、2000年以降株式市場は26%落ち込み、株に関しては最悪の10年間となった。(インフレを加味するとさらに悪くなる)この10年の初めにウォーレン・バフェットが私に話したことを思い出す、1990年代の高度景気が再来することはこれからも決してないのだから、アメリカは、将来のかすかな復興に慣れたほうがいいだろう。

平均的な労働者にとっては、非常にみじめな10年間だった。2000年の平均的な家庭の収入は52,500ドルであった。昨年(入手できる最新のデータである)は50,303ドルである。失業者率が10.2%まで上昇したために、今年の収入はほぼ確実に減少するとみられる。アメリカ人低所得者の暮らしはさらに厳しかった。2000年には、アメリカ人の11.3%が貧困層にいた。2008年までに、この数値は13.2%まで上昇した。一方、健康保険を持たないアメリカ人の割合は、13.7%から15.4%まで増えた。

驚くことに、住宅の価格はそれほど暴落しなかった、これは、早い時期に購入して今もそのままそこに住んでいる場合である。2000年には、中古住宅の平均的な価格は143,600ドルだった。今日それはおよそ175.000ドルである。しかし思い出してほしい、住宅の価格が高騰していた時期、つまりこの十年のちょうど中間のころに、何百万人ものアメリカ人が住宅購入に大金を費やしたのだ:2006年7月の住宅販売価格は230,300ドルとピークに達していた。もし、その時期に購入していたら(そして抵当に取られてしまっていなければ)、住宅はその価値のおよそ25%を失ったことになる。そこに元気づけられることは何もない。

アメリカ国民の精神は、記録的な数の法人の倒産によってアメリカの国家経済が損害を受けたのと同じくらい傷ついた、倒産した多くは有名企業である:Kマート、ユナイテッド・エアライン、サーキット・シティ、リーマン・ブラザーズ、GM、クライスラー。原油価格はこの10年で3倍以上になり、1バレルあたり70の高値を付けて、アメリカ経済を苦しめた。

もちろん、この10年の悪いニュースは、金融欄だけには収まらなかった。実際に普段よりも悪いニュースがあったのか?答えは、客観的にYESである。例えば、乱射事件や学校での発砲事件が増えていた、例えば、32人の学生が犠牲になった2007年のヴァージニア工科大学乱射事件や、11月に発生したフォート・フード陸軍基地での乱射事件、どの10年と比べても多く発生している。より大規模化したテロ爆弾やテロ攻撃があった、イングラン、スペイン、インドネシア、ロシア、ヨルダン、フィリピントルコ、インド、そしてもちろんアメリカ国内でも。実際の死者数はそう多くはなかったが、テロリストはいつどこででも攻撃できるという考えは、新たな、大きな不安をもたらしている。

我らがヒーローの多くでさえ、大いに欠点があることを明るみに出されてしまった、野球選手、自転車競技選手、オリンピック選手などによるドーピングから、際限のない政治不正や性的不祥事まで。そして、我々は、24時間報道されるケーブル・ニュースや、ブログ、リアリティー・ショーといった、人々の不快な行動を記録し意見を述べるメディアで見ていてもまだ満足しないようだ。さまざまな形のメディアの台頭と、ブログ世界における批評の制限の欠如が、全ての不祥事を強調しているようだ、そのために、汚されていない有名人はほとんどいなくなってしまった。もちろん、この10年に非常に素晴らしい出来事もあった、目覚ましい中国の台頭から、アップル社による一連の見事な新商品たち、ウサイン・ボルト選手の俊足、初のアフリカ系アメリカ人大統領を取り囲むアメリカ国民の団結(一時的ではあったが)である。だが、そういったことは全て、中心となる出来事というよりもむしろ、引き立て役だったように見える。

もしかすると、アメリカは、冷戦終結による繁栄によって自己満足に陥っていたのかもしれない。いつになく前向きに歴史が変わっていっていることによってもたらされた誤魔化しだったのだ。第一に、アメリカと連合軍は第二次世界大戦に勝った、それから45年後に、ベルリンの壁崩壊をもって、アメリカは共産主義にも打ち勝ったのだ。その後、たぶんアメリカ人は信じていたかもしれない、世界が永遠に戦闘から解き放たれるだろうと。一部の思想家はこれを歴史の終わりだと言った。しかし、歴史は死ななかった。再び精力的になった。古い形の戦闘は確かに消えたが、新しく悪意に満ちた戦いが現れた。


http://www.time.com/time/nation/article/0,8599,1942834,00.html

Thursday, January 7, 2010

Obama: "I Have Never Used Twitter"

Written by Marshall Kirkpatrick / November 15, 2009 10:36 PM / 45 Comments
http://www.readwriteweb.com/archives/obama_i_have_never_used_twitter.php










バラク・オバマ大統領は、今夜上海の公会堂で、中国人の学生グループの前で話をした。この会談は、ホワイトハウスのHPと、ホワイトハウスのフェイスブックページ上で、世界中に生配信された。オバマ大統領は、出席者からの少しだけ質問を受け、そのうちの1つはツィッターに関するものだった、ツィッターは、中国では7月以降、アクセスを閉鎖されている。

わかります? オバマ大統領は、中国を訪問し、ツィッターについての質問を受け、その様子が彼のフェイスブックページで生配信されたのだ。なんと世の中の変わったことか。

オバマ大統領は、ある学生から質問を受けた、「万里のファイヤーウォールというのをご存知ですか?そして、私たちがツィッターを利用できるようになるべきだと思いませんか?」オバマ氏の答えはこうだった「私は、1度もツィッターを利用したことがないのですが、私自身テクノロジーを奨励しているし、インターネット・アクセスを制限してはいません。」

オバマ大統領が1度もツィッターを利用したことがないとは!衝撃である、なぜなら、オバマ大統領のアカウントには、これまでに260万人のフォロワーがツィッター本部によって "承認" されてきたからだ。(新情報:ある読者が下のコメントの中で述べているように、ツィッターが言うには、承認というのは、組織や公人(有名人)を代表しているアカウントに対して与えられているのであって、実際に誰がツィッターに書き込んでいるのかは関知していない。)

もちろん、オバマ大統領はツィッターやフェイスブックを利用する必要などまったくない、まして効果的でもない、オバマ陣営の名前で、最先端の通信技術を効果的に利用できる人間を雇っている限りは。明らかに可能である。オバマ大統領の公式声明の言い換えでない書き込みにならば、スタッフのイニシャルを添えておくのも悪くはないかもしれない。これはブリトニー・スピアーズが自身のツィッター・アカウントでやっていることだ。

ツィッターは重要

一方で、これは国際情報通信の変化した姿ではないのだろうか?こういった、摩擦(干渉)なしに個人発信できるツールには、それは世界中への生の情報配信や聴取、流通、学習におけるネットワーク経済効果を伴うのだが、そこにはなにか国際外交の問題になるような、非常に大きな影響力がある。

ホワイトハウス報道官であるロバート・ギブス氏は、この夏、ツィッターを一蹴し、CNNに対して、このサイトはホワイトハウスのコンピューターでは制限されていたのだと話した、その後の何らかの報道によれば、どうやら制限されていたと言うのは間違いだったと判明したのだが、それにしても興味深いことだ。

しかしながら、笑える話ではない。ツィッターのようなサービスは、それが過激な種類のものでなければ、電話や鉄道の出現が世界にもたらした変化に本当によく似ている。CNNや天安門広場の実録報道、中国から(または別の場所から)のツィッター投稿:こういったことは、国際通信からしてみれば、混乱を引き起こさせる部類のツールに当てはまる。

オバマ大統領、まあ、いつかツィッターを試してみたらいいでしょう。そして、ツィッターにアクセスしているときに、分散しているソーシャル・ネットワーキング(インターネットを利用して、友人・知人の輪を広げていくこと)の規範に関する運動について簡単な説明を受けるべきです。