Sunday, March 28, 2010

The Rise of Extremism in Somalia

http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,1966455,00.html
Monday, Mar. 01, 2010
By Alex Perry / Nairobi










ソマリアにおける過激主義の台頭

昨年9月21日夜、南アフリカ駐在アメリカ外交官は、翌日は出勤しないようにという電話を自宅で受けた。国務省当局者はこの警告に関する説明を拒否したが、アフリカにいるある西側の情報部員は、この警告はは、アルカイダ工作員からの電話が、ケープタウン市内にある番号にかかってきた電話が傍受された後に発せられたとTIME誌に教えてくれた ― この電話で、南アフリカにあるアメリカ政府の建物への攻撃について話題になっていた。攻撃はなかったので、3日後、プレトリアにある大使館と3か所の領事館は再開した。しかし、南アフリカは今年の6月と7月のサッカーワールドカップへ、50万人の集客を見込んでいるので、治安当局者たちは当然のことながら神経質になっている。特に、この電話の発信ちが問題になっている。TIME誌が聞いたところによると、それはソマリアからの電話だった。

ソマリアは、テロ対策関係者にとって、最近非常に気がかりな国である。2月1日、シャイフ・ファド・ムハマド・シャンゴールという、アル・シャバブ(若者たちという意味)としてしられていて、アフリカの角と呼ばれる場所にある国の覇権を支配しようと戦っているイスラム原理主義派の指導者が、ウサマ・ビン=ラーディンへの忠誠を公式に宣言した。もしこのことで、アフガンのタリバン政権とビン・ラディンの間にあったかつての関係の記憶を呼び覚まさないとしても、やはり気がかりに違いない。ソマリアとアフガニスタンの両国は1世代以上もの間戦争状態にあった。どちらの戦争も似通った展開を辿ってきた:何年もの軍司令官の反目に続いて起きた中央政権の打倒(1993年、モガディシュで国連使節団を護衛していた米兵18名が死亡したエピソードは、後に、ブラックホークダウンという本と映画の題材になっている)、その後に起こったムーブメント(アフガニスタンのタリバン政権、ソマリアにおけるアルシャバブのこと)が、無政府状態への1つの解決策として、イスラムの過激主義的な考え方を提案した。両国とも貧しく、居住者の多くは、よくそんな感じがするのだが、一用に好んで、あごひげを生やし、AK-47銃を抱え、ピックアップトラックに乗っている男たちである。

何年もの間、両国がアルカイダを受け入れていたころ、アルカイダは、ソマリアの平坦で開けた低木地帯よりもむしろ、アフガニスタンとパキスタンの国境にある近付くのが困難な険しい山々を好んでいるようだった。ソマリアに拠点を置く数人の聖戦兵士は国際的な攻撃を実行した:1998年8月に彼らはナイロビ(ケニア)とタンザニアのダルエスサラームにあるアメリカ大使館を同時に攻撃して224人の命を奪った、それから2002年11月にはケニアの沿岸地域にあるイスラエル人所有のホテル前での自動車爆弾攻撃で13人を犠牲にした。しかし、彼らは9.11規模の攻撃は行わなかった。しかし今、彼らの野望が高まっている恐れがある。このソマリアに関する懸念にもまた地域的側面がある:アデン湾の向こう側はまさにイエメンだ、長い間アルカイダによる攻撃のための準備基地になっていて、ウマル・ファルーク・アブドルタラブという、クリスマスの日にデトロイト行きの飛行機を爆破しようとしたナイジェリア人が訓練を受けていたと思われる場所である。

アルシャバブの長い腕
もし、ソマリアの過激派が国際的な脅威になっているとしたら、彼らの全世界におよぶ指導力がその理由の一部である。戦争がもたらす1つ確かなことは難民である、ソマリアにおける戦争が続く何十年もの間、ケープタウンからミネアポリスにおよぶ様々な場所へ大勢のソマリア人海外移住者が急激に増加した。しかし、アフリカから遠く離れざるを得なかった人々がみんな安全に暮らしていたわけではない。外交情報筋によると、ここ数年は、200人から300人のソマリア系の若者が、アメリカやイギリス、カナダ、オーストラリア、ノルウェイ、スウェーデンから入国している、つまり移民者の子供たちが祖国に戻ってきているのだ。ソマリア駐留の西側兵士が言うには、こういった外国生まれのソマリア人が、今やアルシャバブの中心になっている。「アルシャバブの下部組織は全て1人の外国人が指揮している」と彼は言う。「全ての戦術、戦略的決定は外国人たちによるものだ」

外国への勢力を拡大するために、ソマリア内のアルシャバブ指揮官たちが過激派になりそうな若者を探して海外を周って来るのだと考えられている。FBIは、10名を超えるソマリア系アメリカ人で自宅から消えてアルシャバブに参加している疑惑のある者を追跡しており、11月には14名のソマリアと関係のあるミネソタの男たちをテロ組織を援助したといったような犯罪行為で告発し、そのうち4名は罪を認めている。8月、オーストラリア警察はメルボルンのソマリア系コミュニティにいた5人の男を、シドニー郊外にある軍兵舎攻撃を計画したとして逮捕した。情報部員によると、ケーブタウンにかかってきた9月の電話が傍受されたのは、ケープタウンのソマリア系グループが、アルシャバブへの資金提供疑惑により、既に監視下にあったためである。「ソマリアを優先的脅威だと断定する時期を待っている時に、他に何が必要なのだ?」と、ソマリア駐留の西側の兵士に尋ねた。「ソマリア南部が聖戦士の出動可能な配備基地になるかもしれないという深刻な危険は、もはやない。すでに実戦可能だからだ。」

それでどう対応するのか?ソマリアでは、当局は名目上、西側諸国との実利的なかかわりを説くイスラム原理主義者が主導する暫定連邦政府の支配下にある。この暫定連邦政府は、アフリカにおけるアメリカの主要な同盟国であるエチオピアから持ち込まれたもので、2006年にその勢力がソマリアに及び、ソマリアより大きくてよりキリスト教勢力の強い西側の同胞であるエチオピアに対して、愚かにも聖戦を布告した旧イスラム教主義政府を打倒した後のことだ。ところが、暫定連邦政府当局者の多くは実際にはナイロビに住んでいるようだ。(例外の中にいるのは、シェイク・シャリフ・アフマド大統領とユスフ・モハメッド・シアド国防大臣である、この大臣は老練の軍指揮官で、2月15日にモガディシュで起こった自爆テロ暗殺攻撃による難を逃れていた)5,300人のアフリカ連合部隊(主に、ウガンダ人とブルジア人からなる)による防衛にもかかわらず、暫定連邦政府は実際には、モガディシュの数ブロックを規制しているだけである。「シャバブを無力化させるために」と情報当局者は言う「実際に機能する政府が必要だ。それはまさに欠けているものなんだ。」

アフリカの外側からの対応は統制がない。いくつか財政的援助がるが、そのほとんどはアメリカからのものだ(アフリカ連合平和維持軍はこれまで1億6千万ドルを費やしてきた)2007年に、エチオピア側に特殊作戦部隊を送り(アメリカ側を支援するソマリア国会議員のアブディラシッド・モハメッド・ヒディングが言うには)10名から20名の外国人兵士を捕らえた。アメリカ国防総省広報によれば、その後でアメリカは少なくとも6回の空襲をソマリア国内で行った、アルシャバブ指導者であるアデン・ハッシ・ファラハ・アヨロは、2008年5月のミサイル攻撃を被弾し死亡、2002年のケニア攻撃の指導者であったサレフ・アリ・サレフ・ナブハンは昨年9月の米軍武装ヘリコプターにより殺害された。アメリカは他国からの軍事的援助を受けていなかった、しかしながら、ソマリアの長期にわたる人道的危機への取り組みを助けるために一部の国が援助した。海賊行為とそれが引き起こす国際貿易への脅威だけが、世界中の軍事力の協調を生み出した。現在20を超える国々からの艦隊が、アデン湾とインド洋で海賊を追跡し、商船を護衛している。

つまり、ソマリアからの脅威は全体的に捕えておく必要がある。アルシャバブはタリバンよりはるかに小さい。「L.A.にはもっと大きなギャングがいる」と、諜報部当局者は言う。派閥争いをする傾向があり、一般のソマリア人から援助を募るのは困難である。国連の発表によると、アルシャバブは、金品および武器を中東やエリトリア政府から受け取っている。(アルシャバブはエチオピアと対立しており、エチオピアはエリトリアの敵) しかしそういった援助は、パキスタンやアフガニスタンにいる過激派グループが世界中にいるイスラム過激派から受けていた援助と比較すると少ない。ついに、ソマリアが、アフリカの角を超える大規模な紛争に火をつける危険性は(エチオピア、エリトリア、そしてケニアまでも巻き込んでの)現実のものとなったが、これもまた、アフガニスタン近隣で起こっている程のものではない。ケニア駐在のアメリカ大使マイケル・レンヌバーガー氏が辛抱強く指摘し続けるのは、ソマリアの隣国はどこも核武装していないことである。「われわれはその違いに少し警戒している」と彼は言う。

しかし、この非対称なテロ算出による小さな数が重要なのではなくて、ダメージを与えようという考えこそが問題なのだ。レンヌバーガー氏が認めたように、ソマリアが何も変わらないのは「状況がより悪くなっている」ことを意味している。ますます厳しくなるアルシャバブへの対応が懸念されている。アフリカ連合平和維持軍は、モガディシュ市内に「安全地帯」を作ろうとして規模を拡大している。このところ何百人ものアルシャバブ戦士が、暫定政府の攻撃態勢を見越して、モガディシュに流れ込んできている。ウガンダ大統領ヨウェリ・ムザベリは、ソマリアを侵攻し、キスマユ南部の港を占領してアルシャバブとの闘いに利用しようという提案を推し進めてきた。1993年にあった悲惨な第三者介入の記憶がいまだ鮮明に残っているので、その提案はかつてのようにアメリカから多くの援助を受けようというものではないようだ。しかし、これは棚上げになっている問題をソマリアが刺激するのではないかという高まる懸念に対する1つの手段なのだ。



http://www.time.com/time/photogallery/0,29307,1653255,00.html

Tuesday, March 16, 2010

The Next American Century



By Andres Martinez


1949年、アメリカが第二次世界大戦に参戦する前に、この雑誌の共同創刊者Henry Luceは、LIFEの中で不幸なアメリカ人は不干渉主義に対する活気のない主張に当惑しており、そんなアメリカ人に、最初の偉大なアメリカの時代―いいかい、あくまでも最初であり、最後ではない―を築くよう説いた論文を書いた。私たちは今、より一層際立ってアメリカの時代になるであろう2期目の10年間に差し掛かっている。実際、世界のアメリカ化は過去よりもはるかに予測可能な未来を特徴付けるだろう。

ブランドアメリカがこの10年で大成功を収めたのは事実である。世界の超大国は自国の選挙と海外の占拠にしくじった。アメリカ自慢の金融市場は10年間の早い段階で概算により悪化し、さらにその後の世界的経済危機の引き金となった。それはウォール街が一度で危機を回避していたという借入額の多い賭けが原因だった。これらの過失全てが、アメリカの信頼性に不利な影響を与えたが、正当かどうかはあるが、アメリカがひどく広範囲にわたる過失を抱えているということを思い出させるものでもあった。また、経済混乱の時代が唯一、アメリカの他に負けない利点を強調しているのである。その利点とは、アメリカの俊敏さと適応力。

世界人口のたった5%の人口で、アメリカは世界の経済産出量の1/4を占めている。世界経済危機がG-7(またはG8、誰が計上しているかによる)からG20へ拡大していったときでさえ、どの参入国もアメリカのやり方に対して強固に異議を申し出る国はいなかった。むしろ、参入国は確実にアメリカが自国の規律に従うことを望んでいるのである。ギリシャの負債危機によって通貨同盟が政治的・財政的一貫性に欠ける危険性があることが明らかになると、世界の基軸通貨であるドルの地位が唯一強化された。中国は表向きはアメリカに次ぐ経済大国であるが、私有資産に欧米の概念を取り入れる方向に向かって動き始めている。一方、北京では数十億ドル分の財務省短期証券を買い上げることでアメリカの将来に投資している。中国、ブラジル、インド諸国で、中流階級社会における消費者保護運動家が増加していることがより安定な世界を生まれており、それがアメリカ製品や文化に新たな市場を生み出すことは言うまでもないだろう。

その上、経済評論家がアメリカの衰退について公然と非難し続けている。これは今に始まったことではない。1988年まで遡ると、ポール・ケネディの著書「大国の亡命」がベストセラーとなると、ケネディ氏はアメリカがあちこち手を出しすぎる危険を冒していると(念頭に置くというより回避すべきだと)しきりに警告している。その危険は昔から続いているやっかいな事実なのである。というのも、アメリカが世界から受けている関心や責務を全てあわせると、今日では、同時に全てを防御するだけの国力をはるかに超えているからである。

では、次に何が起こったのか?  ベルリンの壁が崩壊し、世界中の多くの国が市場資本主義を採用した。アメリカは世界に恐れをなし、アメリカの文化的優位性を強化すべく革新的な新技術を導入して世界をオンライン化した。一方、アメリカ支配による平和に対する維持費は極めて少なくなっている。アメリカにはアフガニスタンとイラクに関する2つの長期遂行中の公約があるにもかかわらず、海外に派遣予定又は派遣済みの288000人のアメリカ軍兵士とGDPの4.6%を占める防衛予算は、戦後の底値に近い数字となった(1987年に類似の数字を出しており、その数字は524000人の海外派遣軍兵士とGDPの6%を超過するほどの防衛予算)。そして、この歴史的に少ない投資のおかげで、軍が次に挙げる締結国9カ国に費やすことができなくなった。

依然として、我々は自国の地位に大いに悩まされている。これは部分的にはいいことである。自己満足を打開できるという点では。しかし、最近の他国の財政力をしぶしぶ認めるとなると悪いことになる。何百万のインド人や中国人が繁栄の味を覚えて始めているという事実がまずかった。アメリカの気分を害してしまったのである。

与えられた観点から、アメリカの権力と影響力を測定するには2つの方法がある。アメリカがそれ以外の国よりどれだけ裕福かという観点から権力と影響力を単純に測定すると、世界中の多くの国が荒廃した1945年は、アメリカにとっては明らかに最盛期であっただろう。第二次世界大戦終結時に、アメリカは世界の工業輸出品の1/3を占めていた。そして、その基準の下で、ヨーロッパの失われた優れた技術を修復することを目的とした、マーシャルプランは後に間違いを起こすことになってしまった。その計画がアメリカの世界マーケットシェアを崩壊させる運命になったからだ。

しかし、アメリカの影響力と権力を測定するよりふさわしい方法は、世界の中での国の財力と財政支配を結合することで見えてくる。1941年に戻ると、Luceはこう記している。「アメリカンジャズ、ハリウッド映画、アメリカンスラグ、アメリカ製の機器、特許製品らは、実際ZanzibarからHamburgまで世界中のあらゆる
地域が共通で認識している唯一のものである」。彼はわからなかった。アメリカに住んでいる人々と同じだけ中国で英語を勉強している(又はバスケットボールをしている)人がたくさんいる時代において、世界中でテレビ番組10作品のうち7つは、アメリカ製である。アバターは中国で史上最高収益を上げた。世界ではかつてないほどアメリカブランドが定着している。マクドナルドからナイキにいたるアメリカの多国籍企業はその総収益を半分以上海外で計上している。もし、ナイジェリア、スウェーデン、南アメリカ、アルゼンチンの10代の子供-ランダムに選んだ4人組-を一緒に連れて行き、ある地域に4人を一緒にしておくとアメリカ文化になるのである。つまり、音楽、ハリウッド上映作品、電子ゲーム、Google、アメリカの消費ブランドで満たされる。彼らが共通にやりそうで、アメリカでは盛んではない唯一のものといったらサッカーに対する興味くらいだ。世界のほかの国がアメリカにより近づくようになるという事実は、良くも悪くも、どれだけアメリカに浸かっているかということを強調するのである。明らかにアメリカ特別主義という概念が腐敗していても関係ないのだ。