消費者が値段の張るもの、たとえば新車、または新しい服にさえにも散財することができないとき、清涼飲料水といった安く手に入れることができる快感に救いを求める。コーラ事業が非常に複雑に発展した今も、その論理は変わらずにシンプルでありつづける。
1930年コーラの利益は1300万ドル、事業網は二十数カ国にあった。昨年の利益は58億ドル、売上319億ドル、200カ国以上に渡る事業からのものだ。
グローバル企業のさきがけであるコーラは、これまで以上に世界を対象にした売上をあてこんでいる。
ヨーロッパと北アメリカにおいては頭打ちだ。とくに企業の看板商品であるコカ・コーラは新世代飲料や水に猛攻撃によって力を削がれつつある。コーラはビタミンウォーターといった商品を獲得することでその動向に対応したが今年の全体の売上は北アメリカで2パーセントダウンした。
それでも、コーラは2009年度の第二4半期においてインドで33%、中国では14%の販売成長を享受した。
コーラは常に、国ごとの一人当たりの消費量を測定基準として使い、売上の将来性を測ってきた。そのはかりによると中国とインドは未開発の噴出油田なのだ。
ふつうのアメリカ人が1年でコーラ製品を422本消費するのに対し、中国では28本、インドでは7本だ。
10億人を越える人口を抱える 「インドと中国は企業の未来を担う」 と、マーク・スワーツベルグ氏は言う、彼はスタイフル・ニコラス社のアナリストだ。「世界には、今でも多くの経済成長の可能性がある、そして、中国とインドが、確実にその先頭を切っている。」
中国とインドは過去においても未来であった。コカコーラ社は、1927年に中国に参入し、1949年に撤退した、そのころ中国には大衆向け飲料が参入する余地がなかったのだ。1979年に戻ってきたとき、鄧小平が経済改革政策を立ち上げた年であった。2001年、中国はコカコーラ社にとって7番目に大きな市場であったが、現在は、合衆国、メキシコに次いで3番目である。
その後、大陸での成長は、広大な国を網羅する小売流通にともない、炭酸飲料メーカーや瓶詰め業者の立ち上げの着実な発展であった。コカコーラ社は現在、殆んど全ての地域で販売されている。
コークブランドは、昨年、中国の炭酸飲料市場において、52.5%のシェアを占めた、これは調査会社であるユーロモニター・インターナショナルによるものだが、一方、ペプシは32.8%だった。ペプシは、より大きなライバル者に対して引かなかった、洗練されたコマシャル活動を行って、そのコマーシャルは、多くの中国の若者にとって、よりカッコいい飲み物だと位置づけた。コカコーラ社は、NBAのセンタープレイヤーである姚明や、オリンピックの板飛び込み選手である郭晶晶のような、スポーツスターたちのスポンサーになり、一方、ペプシはポップカルチャーを支配している。最近は、中国の音楽レーベルを立ち上げたし、アメリカン・アイドルのような形式の音楽コンテストのスポンサーになっている。看板商品であるコーラの対決では、コークの22.2%に対して、ペプシが23%の市場シェアという僅差で勝っている。しかし、そのどちらも、中国では1番の炭酸飲料ではない。その栄誉は、シェア23.4%を占めるレモン・ライム・スプライトのものだ、そしてスプライトはコカコーラ社のものだ。
コカコーラ社のインドにおける上昇は、長年に渡る混乱を伴う。1958年から1977年まで、コークはトップクラスの清涼飲料ブランドだった、1977年に、インドの経済環境は、国家主義へと一変した。政府からその配合比を公表するように、また、少数株主になるようにと要請されると、コカコーラ社は撤退した。ペプシは1988年にインドに参入した、国有企業と、ヴォルタス社との共同事業者として、ヴォルタス社は、タタ・グループ複合企業の傘下にある。コカコーラ社が居ない間に、この企業は、徐々にその市場を拡大した。
コカコーラ社は1993年に、それはインド経済自由化の後だった、競合社のボトリング・ネットワークと、サムズ・アップやリンカ・レモンのような地元のソフトドリンク・ブランドを買い上げて再び参入した。その後10年に渡って、コカコーラ社は10億ドル以上も投資し、2001年になって初めて、インドでの利益を上げた。
しかしコカ・コーラ社に浮かれている間などほとんどなかった。二年後、ペプシ、コカコーラ社はともに環境科学センター(the Center for Science and Environment :CSE)という環境維持問題を扱うNGOの調査の対象となった。CSEがこの二社の飲料のサンプルテストをしたところ高い残留農薬を示す数値結果がでたと申し立てたのだ。両社ともに、売上も評判もひどく落ち込んだ。
団結することなど、まずありえなかったペプシとコカコーラ社はそのNGOを非難する共同記者会見を行った。
同じ申し立てが2006年にも再びもちだされ、炭酸飲料の年間売上は落ち込んだ。保健家族福祉省
(インドの政府機関)によって選任された専門委員会はその後、CSEの試験方法に問題があったことを発見した。
そのスキャンダルにより、二つの巨大清涼飲料水会社は自社製品を保護せざるをえなくなり、また水資源の保護といった社会的環境政策もはっきり打ち出さざるをえなくなった。
もちろんペプシコ株式会社の最高経営責任者でありインド出身のインドラ・ヌーイ氏はある目的をもったNGOに振り回されるつもりはなかった。
「その二社の汚名の返上が早かったとすれば、ある程度の誠実さと透明性を示すことができたからでしょう」とニューデリーを拠点とするマーケティングコンサルタント会社、フューチャーブランドの最高経営責任者であるサントシュ・デサイ氏はいう。
「売上は短期間では影響を被りましたが、顧客に安心感を与えることに成功しました」。2005年よりコカコーラ・インド社でCEOをつとめるアトゥル・シン氏は、自社についてかつて語った。外資系企業であったため「絶えず疑われ、試されてきました」と。今ではそういった監視の目も歓迎している。「実際に順調にいっているときは自分自身で水準をあげるに限るのだ」。と語る。
安全性に関するスキャンダル問題が起こったのち、コーラとペプシは消費者を引きつけるのに小さなサイズのボトルと割引に頼ることにした。小サイズのボトルで売り上げは増えたが、両社と、双方の炭酸飲料メーカーの利潤率は下がった。
2005年、シン氏は40%から60%への値上げを行い、その後1.25リットルのような新パッケージを導入し、家庭での消費を増やすこととなった。
2006年の売上の落ち込みが一度あってから、インド市場は2007年にふたたび盛り返しはじめた。
「まあ、こんなものですね。」とインドの南にあるコーラメーカー、スリ・サルバラヤ製糖会社のS.B.P.ラモハン氏はいう。「もう、なにがなんでも(売上?)量だというときではないのです。」
しかし中国では、コーラは売上量に依然焦点をしぼってきた。たった15セントほどで、小さなボトル入りのソーダを売っている。そして従来のプラスチックボトルの半分より少し大目の355ミリリットル入りを35セントで、輸出の不振によりひどく打撃をうけている南沿岸省のような場所で販売し始めたところだ。
コカコーラ社中国の代表であるダグ・ジャクソン氏は厳しい経済状況のなかでもやれることをやるまでだと述べる。
「もし手持ちのクゥワイ(元)がさびしかったら、誰もが1クゥワイ節約ができるところを探すのです。何も飲まないのではなく、安いほうなら手にとるのです。私どもは、まさに選択肢を提供しているのです。」と中国通貨を話言葉で呼びつつ話す。
もうひとつの重要な点で、コーラ社の伝統の戦略でもある点は、とにかく冷やしておくということであった。インドと中国では習慣と冷蔵庫の不足が理由で、コーラはぬるいままで飲まれることが多い。冷たい飲み物は不健康であるとさえ昔から考えられている中国のある地域では沸騰させ、レモンと生姜と一緒に供されることがある。コーラ社の理想とする温度は3度で、消費者が冷たいコーラを飲む気分にさせるようすることも昨年の北京オリンピックと関連広告のスポンサーとして支払ったとされる4億ドルの目的のうちのひとつであった。
インドでの売上が復活し、メーカーは電力なしで12時間も保冷可能な超断熱の小売用冷蔵庫をはじめとする新しい技術を導入した。田舎では送電線網はたよりにならないためだ。
コカコーラ社はインドにおいてインフラを拡大するため2011年までに2億5千万ドルをつぎ込む予定だ。
30年前に鄧小平が打ち立てた経済成長中心政策はコカコーラ社がなんとか事業を拡大するためのある程度の安定した足がかりを供給してきた。
「私たちは、自分達がどこに向かっているのかしっかりと認識しているのです」。とジャクソンは説明する。「中国政府は、今年から年間2千万人の人々を都会化し、引き続き2020年までその政策を続けていくつもりだといっています。これからの10年間で、ほぼアメリカ人口と同じくらいの人々を都会化させるのです。この会社にかけて損はしませんよ、確信をもっていえます」。
もちろんジャクソンは中国当局がコーラ社の24億ドルもの中国のジュースメーカー、ヒュイユアンの買収取引を阻止するだろうとは思っていなかった。実現していれば中国産業史上で最大規模の外国企業への売買であったろう。しかし、商務部(中国)はトラストの規制を理由にあげ、合併を許可すればコーラ社の国内ジュース市場の支配力が強くなりすぎるとし、阻止をした。
その吸収合併が拒絶された一件は、コーラ社にとっての敗北、また中国の保護主義の台頭として大方に受け止められたがヒュイユアンを獲得できなかったことはコーラ社にとり、そう悪いことばかりともいえぬかもしれない。「当局の決定のおかげで、コーラ社はヒュイアンという高い買い物をせずにすんだわけです」スタイフル・ニコラス社のアナリストであるスワルツバーグ氏はいう。ジャクソン氏はコーラ社はひとりでに成長するだろうという。「2020年の目標は変わりません。買収して進出していくより自社自身を成長させることで発展するでしょう」。
近い未来、コーラ社の中国への投資は大規模なものになるだろう。コーラ社は1979年以来16憶ドルを費やしてきたのだが、これからの3年間の成長に20憶ドル投資する予定だ。(昨年、ペプシは4年間で中国へ10億ドルの投資をすると発表した)。
コーラ社は今年9千万ドルをかけリサーチセンターを上海に建設し、そこで中国版ミニッツメイドにグレープ、レモン、ミックスフルーツ味を加えたような新製品グオ・リ・チェンという果肉入りのジュースを開発した。
西地域のシンチアンや東地域の内蒙古のような未開発エリアにも進出中であり、内蒙古には39番めとなるボトリング工場を建設中だ。
不景気時というのに大胆な動きだろうか。
そうかもしれない。が、しかし前例がある。1930年代、コーラ社は20ヵ所にのぼる国や自治区に新たに進出し、その年代当初からすると74%の拡大を成し遂げた。2010年代を世界大恐慌の再来とはいえないかもしれない。が、同じ戦略をふたたび試す価値はあるようだ。