Thursday, July 29, 2010

Curtains up at the Dallas Performing Arts Center

ダラス・パフォーミング・アーツ・センター開幕
http://www.time.com/time/arts/article/0,8599,1931386,00.html




ディー&チャールズ・ワイリー・シアター、ダラスAT&Tパフォーミング・アーツ・センターの一部として新たに増築

長い間、ダラスの中心地は、映画「波止場」の中でのマーロン・ブランドのようだった。国際的都市の候補になりたいのだ。すでに2,3の必要条件は満たしている―それは、スカイライン、人気のあるNFLチームそして深刻な交通問題だ。しかし、一流の文化的な会場が見事に揃っていなければ、辺鄙な田舎町でしかない。

そういうわけで、ダラス市は、何年もかけて、中心街に大掛かりなアート街、つまり、有名建築家の設計による美術館や劇場やオペラハウスの集まった場所を作ろうとしてきた。ついに先週、ダラス市は、このパズルにはめ込む最後の大きな2つのピースを公開した。その1つ、ディー&チャールズ・ワイリー・シアターは、オランダ人建築理論の大家であるレム・コールハースと、REX建築事務所のジョシュア・プリンス-ラモス(アメリカ人)の共同による作品である。一方の、マーゴット&ビル・ウィンズピア・オペラハウスは、イギリス人建築家ノーマン・フォスター卿率いる大会社によるものだ。この2つの建物はそれぞれ全く異なっていて、建築家達が互いに話をする仲ではないのだが、それぞれのやり方で、ダラス市が長年捜し求めてきたことに答えている。

まだ未完成のダラス・アート街の隙間を埋めるのに、30年以上もかかった。1977年にマスター・プランの幕が上がり、翌年、この計画に投じるための公債発行を有権者が却下するまではほぼうまく行っていた。最初の施設、エドワード・ララビー・バーンズ設計によるダラス美術館が完成するまでに1984年までかかる予定ではなかった。マイヤーソン・シンフォニーセンターが公開されるまで更に5年が過ぎた、こちらはイオ・ミン・ペイ設計によるもので、クリーム色で文化的なものをふんだんに取り入れた弧を描くような建築物である。それから長い中断の後、2003年に、レンゾ・ピアノ氏の手によるナッシャー彫刻センターがその1つに加わった。

決して分が悪い状況ではない、この68エーカーの地区における段階的な開発は結果として災い転じて福となった。あっという間に機能停止する一揃えの即席博物館、まあこれはニューヨーク市にあるリンカーンセンター・パフォーミングアーツ部門についての公正な描写なのだが、を作る代わりに、ダラス市は、30年かけて、先駆的な建築家たちによる建築物の多様な見本を纏め上げたのである。そして、ワイリーとウィンズピアによって非常に多様なものになった。ハイモダニズム主義の忠実な後継者であるフォスターと、どれが引き継がれていくべきか考えようと、そういった様々な理念を調べることにその生涯を費やしたコールハースの2人以上に違いのある2人の建築家を思い浮かべることは困難だろう。フォスターの建築物は落ち着いているデカルト派のものが多い。コールハースの建築物は、壊れていると言ってもいいほど珍妙な傾向がある。フォスターは、つやのある素材と研ぎ澄まされた仕上がりを好む。コールハースはワイリーの屋外テラスに人工芝に見えるようなものをポンと置くような人物である。どちらの建築家も、建築家としては最高の栄誉であるプリッツカー建築賞を受賞しているが、控えめな表現で言うと、受賞理由は異なっている。

言うまでもないのだが、フォスターとコールハースがお互いの作品のファンであるということは知られていない。ワイリーとウィンズピアの設計段階から完成までに要した5年以上ずっと、この2社の代表者が同時にダラスに現れることは滅多になく、むしろ、電話での会議やEメールを用いた、距離を置いた関係を好んだ。ダラスの権力者の怒りについての記事が地方紙に取り上げられはじめた。さらなるゆがみは、3年前に、ワイリーの共同設計者であるプリンス・ラモスが、コールハースの会社のニューヨーク支社を率いていたのだが、自分自身の会社、REX設計事務所を立ち上げるために辞職したことである。しかしながら、コールハースはワイリー建築チームとの関わりを持ち続けた、その主な相手が、ワイリーの完成まで関わり、"責任者" として名を残したプリンス・ラモスであった。

こうして、建築物は素晴らしく仕上がった。ワイリーの外観は、垂直のアルミ菅で出来た尖りくいに囲まれた、味気のない11階建ての箱である。正面から見ると、細長い非対称の窓で薄くスライスされた銀色のバーコードのように見える。近づいてくる人は皆、芝居が始まる前でさえ、旅が始まっているように思うだろう。下り坂を降りてくると、ガラス張りのロビーに降りてゆく広いコンクリートで出来た入り口がある、ロビーは地下にあって、冷たいコンクリートと灰色の金属で出来ており、その天井には剣型の照明が、まるで鍾乳石のようにぶら下っている。オルフェウスの時代、それよりももっと前から、地下の旅は心理的な影響があった。ここの場合は、正に石造りの地下、まるで古代の劇場の内部とも言える古い洞窟に降りてゆく気配を湛えている -それはたとえ、"マンマミア!" を観るために来た場合でもだ。











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